空飛ぶトカゲとおっさんと
-1-
街を大きく迂回してしばらく、草原を抜け、小川に架けられた土橋を渡り、人がいれば道を迂回し、だいぶ距離を稼いだと思った先に前方の空に影を見つけた。
鳥にしてはでかい。しかも徐々に大きくなってくる……こっちに向かっているようだ。
そして初めて気づいたが、その影の下には土煙を上げてこちらに向かってくる、荷車を引いた馬が。
荷車は、ドラゴンに追われていた。
ただ、ドラゴンとはいっても口から火を吐いてるわけでもなし、大きさもせいぜい5mちょい。
鱗と蝙蝠のような羽をもっているが、どうもイメージにあるような格好いいものではなく、全体的につるんとした印象のそれは、遊んだことのあるゲームでは亜竜といわれて強さ的にドラゴンより数段階下のワイバーンというものを連想させた。
まぁそれでも記憶によれば結構な強さに入るとは思うのだが。
そして追われている方といえば、人馬ともどもこれでもかと目を見開いて、死に物狂いでワイバーンの攻撃から逃げている。
大して広くもなく、舗装だってされていない街道を、右に左にと器用に馬と荷車を操って攻撃を避け続ける技量は見事だが、いかんせん馬と荷車がそれに追いつかない。
5度ほど攻撃を避けたあたりで、ついにワイバーンの足が荷車を捉えた。
荷車に急制動がかかり、御者の男が投げ出される。目の前の馬の尻にぶつかって勢いが殺されたのが幸運だった。
それでも結構な勢いが残っているのだが、お陰で何とか地面に激突する前に拾い上げることができた。
これが若くて可愛い女の子だったらフラグの一つも立っていただろうに、生憎と腕の中でぐったりしているのは40を過ぎただろうおっさんでしかも意識を失っていた。
直後、身体の脇をワイバーンに掴まれた荷車が凄まじい勢いで通過する。
あんなもの直撃食らったら、この身体でもただではすまない。全身の毛が一気に逆立った。
ワイバーンはというと、おっさんを仕留め損ねたのが気に障ったのか一声叫ぶと、荷車を投げ捨て上空に舞い上がり、何度目かの攻撃態勢をとる。
俺のほうもおっさんを道に横たえ、腰から槌鉾を抜いて迎撃態勢をとる。
初めてのまともな戦闘。
荒事なんざちょっとした喧嘩程度しか経験がないうえに、こんな化け物を相手にするのも初めてだが不思議と恐怖感はなかった。
むしろこの虎男の体がどんなもんかを試すいい機会だと、わくわくすらしていた。
ワイバーンの攻撃パターンは、荷車へのそれを見て大体見当がついている。
上空からの急降下を基本とし、顎で噛み砕くか足の爪で掴みあげるかのどちらかだ。
どうやらあのワイバーンは足での攻撃を選んだようだ。
重い羽音を響かせて高度を取ると、鋭い爪を突き出して一気に降下してきた。
対するこちらは、槌鉾を大きく振りかぶるとワイバーンに向けて思い切りぶん投げる。
コントロールに自信はなかったが、10m先の5m大の的、外すほうが難しい。
人外の並外れた膂力で投げられた槌鉾は、ものの見事にワイバーンの胸に直撃した。
たまらずバランスを崩して落下するワイバーンに、短剣を逆手で抜いて走り寄る。
狙うのは蝙蝠のよう羽。
のたうつ巨体を避けながら、羽の付け根に2度3度と短剣を突き立てる。
固いっちゃ固いがなんとか刺さる。しかし完全に千切れる前に、短剣があっさり折れた。
すかさず羽の骨を両手で掴み、体重をかけて捻りながら引きちぎる。
ミチミチブチと筋繊維の切れる音がして左の羽は完全に使い物にならなくなった。
グガァァァアアアア!!
ワイバーンが痛みの咆哮をあげ、ひときわ大きく身体をゆすって俺のことを引き剥がしにかかる。
それに逆らうことなく距離をとると、落ちていた槌鉾を拾って構える。
勝負は既に決まったも同然。
「空を飛べなきゃ、ただのでかいトカゲだよな」
長い首を振り回して牽制してくるが、弱った身体で虎男の運動性能についていけるはずもなく。
執拗に槌鉾で殴られ続け、最後には頭蓋を砕かれて動かなくなった。
トドメをさして落ち着きを取り戻すと、道端に寝かせていたおっさんの介抱に取り掛かった。
「おーい、おーい?」
ぺちぺちと頬を幾度か叩いて、おっさんの目を覚まさせてやる。
「……bl……?」
やっと目が覚めたおっさんだが、このときの顔を俺は多分忘れない。
おっさんは俺に気づいたかと思うと、表現に困る表情で叫ぶなり脱兎のごとく逃げ出して……転んだ。
そしてそのまま蹲って動かなくなってしまった。
軽く背中を叩いてもダメ、頭を撫でてやってもダメ。
カメのように頭を引っ込め、股間をぬらしてガタガタ震えながら何かを呟きつづけるおっさんを見て、恐らく話は通じないと諦めるのに時間はかからなかった。
仕方なくおっさんはその場に放置して、ワイバーンから爪と牙を数本むしり取ると、未練を残してその場を後にした。
え、なんで爪と牙をわざわざ取ったかって?
削れば折れた短剣の代わりにならんかな、と思ったのと竜の爪とか牙の武器ってのにちょっと憧れただけよ。
実際、使い物になるかはわからんけどね。
ちなみに鱗も欲しかったけどこっちは遠慮した。剥ぎ方わからんし短剣も折れてるし。
しばらく歩いて、夕食代わりに肉の一部でも削り取っておけば良かったか、と気づいたのはここだけの話。
ついでに言うと、気を取り直したおっさんが慌てて後を追ってくる……なんてイベントもありませんでした。
先の見通しは、未だ立たない。
-2-
この世界で目を覚ましてから1ヶ月くらいが経過した。
目覚めた当初は(現実逃避もあって)慎重に慎重を期して断定は避けていたが、数日おきに現れる2つの月のお陰で絶対にここが地球ではないことがはっきりした。
それから、4ヶ所の村で人間との接触を試みたが、ことごとく全敗した。
で、今は何をしているかというと、山の中で手頃な洞窟を見つけたので自給自足の拠点とするべく改装中だったりする。
うん、騎馬隊に追いかけまわされてからちょっと人間が怖くなってね。少しこうやって本筋から外れて元気をチャージしようかな、と。
そうしないと暗黒面に堕ちそうで。
そうでなくても、今までの人間たちからの反応で『生きててすいません』的な気分になってるのに。
他人から明確な悪意・敵意を向けられるのって地味に精神力を削られるのよね。
そんな事柄から目を背けるというか、気を紛らわすのにも体を動かしていたほうがいいってのは、俺の経験則だったりする。
ちなみに大工道具については色々足りないが、それでもまぁなんとかなってる。
槌鉾と折れた短剣だけではどうにもならなかったが、行商人ぽいのを襲ってたゴブリンを倒して諸々手に入ったからだ。
行商人は……スミマセン間に合いませんでした。
駆けつけたときには荷馬車のロバともども既に血だまりの中に沈んでた。
ワイバーンといいゴブリンといい、物騒な世界だよホント。
なんとも後味の悪い結果だが、行商人の積荷を含め使えそうなものは全部ありがたく使わせていただくことにした。
ゴブリンのほうは7匹いたが、5匹目を倒した時点で残り2匹は逃げ出した。
ゴブリンとはいえ人型の相手の命を奪ってしまったわけだが……あまり気分のいいもんじゃないね。
それでもこの程度で済んでいるのは、やっぱり初日の死体漁りと連日に及ぶ解体&生肉の食事の所為だろうか。
それともゲームの中で散々倒してきた相手だからだろうか。
などと、3日ほど前のことをつらつらと思い出しながら、洞窟の壁を削って棚を作っていく。
何せ一度に持ち物が増えた。
大きなリュック……というには少し雑な造りの背嚢、鍋釜食器の類に、毛布などの野営道具。
保存食と思われる固パンと干し肉に岩塩と見られる調味料。
行商人が持っていた長剣と短剣、貨幣と商品らしい雑多な品々。
どうやら商人は村を巡って日用品を扱っていたらしく、商品には役に立ちそうなものが大量におさめられていた。
道具としては釘が2袋に鎌、鍬、手斧、ノコギリ、ノミにナイフが数本。
針と糸と布。
そして何よりありがたいのが小麦が3袋に塩が1袋。辛子粉などの香辛料が入った小袋が計6袋といった食料。
これで久しぶりに穀物が食える。
や、肉も旨いがやはりそればかりだと飽きも来るわけで。
本音を言えば野菜もほしいが、そこは水辺に群生しているクレソンで我慢。
果物?そういや見かけないな。
森の植生が針葉樹林メインなので仕方ないのかもしれないが。
とにかく大量の成果だったが、すると今度は収納に困るわけで。
いくら大雑把な性格とはいえ、これらをまとめて積み上げておくほどズボラでもない。
「ん、まぁこんなもんか」
数日かけて壁を削り、主だった品を収納できる棚を作り終えて収納すると、少しばかりマシなねぐらになった。
そして今日は斧とノコギリを手に入口の扉の材料となる木を切り倒しに行く予定。
まぁそんな蝶番がついてるような本格的なものじゃなくて、丸太を束ねて蔦で縛っただけの簡単なものにするつもりだけどね。
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だったんだけど、なぜに俺は今、でかい黒熊と相対しているのか、と。
答:適当な木を探して歩いていたら、どうも縄張りに入ってしまったっぽい。
いや、歩いていてどうもいがらっぽいというか獣くさい雰囲気は察していたんだが、今まで別に襲われなかったのでそれなりに注意しながらも無視していたのよ。
しかしまぁ、まさか3mを超える巨体が空から降ってくるとは思わなかった。
樹上で待ち伏せしていやがったこの六本足の熊野郎。
幸い初撃はかわせた。ほとんど運だが。
反射的に斧でぶん殴ったが、体勢が崩れていたので大したダメージにはなっていないっぽい。
その後距離を取ってにらみ合いをしているが……どうやら向こうは俺を餌にする気満々のようだ。
しかしこちらもそれは同じこと。保存食は多いほどいい。燻して干し肉にしてやる。
しばらくのにらみ合いの後、先に仕掛けたのは俺。
斧を振りかぶり、鼻っ柱に叩き付ける。
が、頭を振って躱される。熊のくせに生意気な。
そして熊の体当たり。
これもなんとか躱す。
再び距離がとれたのでまた斧を振りかぶる。
今度は熊のほうが突進してきた。
「せぇーのっ!」
野球のバットを振るようなサイドスイング。
ボゴシャ!
今度は上手く命中し、鈍い音ともに熊の頭が二つに割れる。
続いて、ドスンという音とともに熊が倒れた。
……ふぅ、何とか倒せた。
四つん這いで来たからよかったものの、こんな爪に抉られたらそれこそ痛いじゃすまねーな。
今しがた倒した熊のごつい爪を見て、いまさらながら冷や汗が出る気がした。
でもまぁ倒せた以上は特に言うこもとなし。うむ。
今夜は熊肉と小麦の雑炊だ。