村の領域侵犯5
-1-
犬小鬼の村で夜を明かした俺たちは、翌日、住人の犬小鬼たちと共に朝の水汲みにでかけた。
樽だの壺だのと言った気の利いたものは持っていないので、なめした皮を袋状にしたものや木の器などでそれぞれ持って帰るそうだ。
当然ながらその程度で1日の消費に足りるわけがないが、足りなくなれば都度誰かが汲みに来るらしい。
ただ朝だけは皆で汲みに来るのが日課なんだそうだ。
「ここの湧き水はちょっと変わっていてな、なかなか面白い湧き方をしているんだ」
道すがらグレッグがそう教えてくれた。
はて?湧き水といえば地べたか岩の割れ目とかから湧くくらいしか思いつかんが。
首をひねりながら歩いていくと、やがてバシャバシャという水音が聞こえてきた。
「……なんだあれは」
湧き水の場所を訪れた俺たちは、その替わった光景に思わず声を上げた。
「珍しいだろう?俺達は『噴水樹』と呼んでる」
面白そうに言うグレッグの視線の先には、二抱え程もある大樹がそびえている。
ただ、その木のうろや幹の穴からは、澄んだ水がバシャバシャと音を立てて噴き出していた。
大樹の根元には簡素ながら足場が組まれて、足が濡れないように工夫されている。
犬小鬼たちは自分が濡れないように位置取りに注意しながら足場を使い、噴き出す水に器や袋を近づけて水を汲んでいた。
「なるほど、こりゃ確かに噴水樹だな」
「こんな湧き水初めて見ました」
「どうなっているんだ?これは」
「水を噴き出す木なんてあたしも初めて見るわ。こういうのもあるのね」
初めて見る光景につい見入っていると、グレッグが嬉しそうに促した。
「見るだけじゃなくて実際に飲んでみな。ここに住もうと思った理由がわかるぜ」
言われて各自が水袋を水流に差し出す。
木の幹から吹き出す水は、初夏というのにとても冷たかった。
期待を込めて、満たした水袋から一口飲んでみる。
クセや変な臭いもない、まろやかな冷たい水が喉を滑り落ちていく。
一口だけでは足りず、ごくごくと喉を鳴らして水袋の中身を飲み干した。そこそこ量が入るはずなのに。
水袋の飲み口から口を離してグレッグを見る。
ただの水なのに、そこらの酒よりよほど美味い。
なるほど、これほど美味い水があるなら腰を落ち着けようというのも頷ける。
かつての俺でも温泉より先にこれを見つけていたら、やはりこの近くに拠点を作っていたと思う。
「……これは、やばいな」
「だろう?」
してやったりという顔でグレッグが笑った。
全員が水を汲み終えたのを待って、村に引き返す。
すると、水汲みに行かなかった犬小鬼たちが弓や槍などを揃えて待っていた。
「慌ただしくて悪いが、今日はこれから狩りの予定だ。備蓄が少し心もとない。
朝飯は歩きながら済ませてくれ」
グレッグがそう説明すると、犬小鬼たちが俺達にそれぞれ革の包みを渡してきた。
包みを開くと、中には木の実がいくつも入っていた。これが朝の弁当替わりだろう。
「備蓄が少ないのに気を遣わせて悪いな」
「その分、狩りでは気張ってくれ」
「承知した」
そして俺たちはグレッグ率いる20匹の犬小鬼と共に、食料調達の狩りに出かけた。
狩りはイツキレーダーのおかげで順調に進んだ。
手始めに俺たちが大角鹿を仕留めると、犬小鬼たちは歓声を上げて解体に取り掛かる。
ある程度まで解体が進んだところで村から追加の犬小鬼がやってきて、残りの解体を引き継いだ。
なるほど、こういう形で狩り組は狩りに専念させているのか。
続いて犬小鬼たちの狩りを見物させてもらったが、種族的に非力な所を毒を使うことで補っているようだ。
ただ、非力な矢では刺さらない鎧猪相手では分が悪いらしい。
それでも俺達が手を貸すことで鎧猪や青蜥蜴の大物などを仕留め、かなりの肉を確保できたように思う。
「今回はあんたらのおかげで狩りが捗るぜ」
幾度かの共闘ですっかり気安くなったグレッグが隣で嬉しそうに笑った。
「普段は手が出せなくて見逃すこともあるからなぁ。鎧猪の肉なんて久しぶりだ」
「鎧猪相手にあの弓ではなぁ……」
鎧猪は松脂と泥で毛皮を固める習性があるので、生半可な弓では矢が弾かれてしまう。
俺の場合は槌鉾や戦槌で鎧代わりの毛皮ごと叩き潰す力技で仕留めていたが、非力な犬小鬼では厳しかろう。
現状では犬小鬼が雨のように毒の矢を降らせ、運良く傷ついて弱ったところをグレッグが二刀流の小剣で止めを刺すという形だ。
ぶっちゃけ矢の消費が激しすぎて効率はあまり良くない。
犬小鬼にも使えるいい物はねぇかな、と考えてふと思い出したものを狩りの間の休憩時間に作ってみた。
「いったい何を作って……ってああ、その手があったか」
興味をそそられたらしいグレッグが俺の手元を覗きに来て、納得したように頷いた。
俺が作っているのは2つ3つの石を革紐で結んだボーラという武器。以前蜥蜴人にも教えた、主に捕縛を目的とした原始的な投擲武器だ。
なおこちらでは石縄というらしい。
グレッグや彼が命じた犬小鬼が加わり、追加で5個の石縄を作って少し使い方の練習をする。
立ち木に向けて数回投げてみたが、犬小鬼でも問題なく使えそうだった。
グレッグの指示で編成を少し変え、狩りを再開する。
追加で大角鹿を2頭狩り、石縄の使い心地を確認したところで今日の狩りを終えることになった。
-2-
大猟に終わった狩りを終えて犬小鬼の村に戻ると、待っていたのはお祭り騒ぎだった。
広場に幾つも焚火が作られ、今日狩ったらしい肉が大小さまざまな形で焼かれている。
支度をしている犬小鬼の一匹が帰ってきた面子に気がつくと、あっという間に取り囲まれて英雄のような扱いでひと際大きな焚火の傍に案内された。
ガウガウ、ギャウギャウと言いながら犬小鬼たちが次々と焼いた肉を皿や器に盛ってやってくる。
後ろで大きく振られている尻尾から見るに機嫌は悪くなさそうだ。
次から次へと肉が持ってこられ、最後に器に入った飲み物が差し出された。
「群れの皆が腹いっぱい肉を食える上に備蓄にも回せる。あまり量はないがこんな日くらいはな。
物足りないかも知れんが気分だけでも味わってくれ」
グレッグがそう言って器を掲げると、グイと煽った。
俺達もそれに倣い、器の中身を口に含む。
野性的な渋みと豊かなコク、そして強くはないが明らかに酒精の味が口の中に広がる。
「これは……酒か!?」
俺を含め、イツキやユニ、クランヴェルが驚いたようにグレッグを見る。
「おお。群れの中に得意な奴がいてな、集めてきた木の実を元に作ってんだ。もっとも、大した量は作れねぇから特別な時にしか飲めないが」
「いいのか?そんな貴重なものを」
「構わないと思ったから出してきたんだろう。皆からの大猟の礼と思って遠慮なくやってくれ」
「そういう事なら、ありがたく頂こう」
俺はグレッグにそう答えると、手にした器を軽く掲げて見せた。
そして犬小鬼たちの宴は続く。
くりぬいた丸太を太鼓のように叩く者があれば、獲物の骨同士を打ち合わせて拍子をとる者がいる。
それに合わせて遠吠えのような声で犬小鬼たちが歌いはじめ、興の乗った者が焚火の周りで踊り出す。
大猟の獲物や収穫に感謝し、喜びを祭で表現するのは人間も犬小鬼も変わらんらしい。
それに犬小鬼といえば緑小鬼と並ぶ嫌われ者だが、こうやって害のないはしゃぎ方を見ている分には結構和む。
大きな焚火に照らされた犬小鬼たちの宴は、夜遅くまで続いた。
翌日、人間の村に持っていくという獲物を狩りに出かけるグレッグたちを見送ると、俺は一人犬小鬼の村に残って
あるものの制作を始めた。
昨日の狩りに同行して思ったことだが、どうにも犬小鬼たちが非力すぎる。
その辺りをなんとかできないかと考えて、思い出したものを作ってみようという算段だ。
角の一部や骨片なんかを分けてもらい、尖らせるように削って穂先を作る。
そうして作った穂先の中央より少し先端側に穴をあけ、革紐を編んだ丈夫なロープを括り付ける。
それをやや短めに作った木の棒の先端に取り付ければ完成だ。
出来上がったのはいわゆる「チョッキ銛」。
クジラ漁なんかで使われるロープ付きの銛だ。
普通の銛と違って、獲物に刺さればロープのついた穂先が柄から外れる仕組みになっていて、穂先だけ獲物の体内に残る。
穂先にはロープが括り付けてあるので、後はそれを手繰り寄せるなり木に巻き付けるなりすれば、獲物の動きを止めることができる。
あとは動けなくなった獲物に、慎重かつ確実にトドメをさせばいい。
問題は犬小鬼たちにとって使いやすい(投げやすい)重さとバランスだが、これは興味深そうに俺の作業を見ていた犬小鬼たちに身振り手振りで協力してもらった。
ついでに作り方も見せておいたので、俺たちが帰っても修理や追加の製作は可能だろう。
そうしている間にも犬小鬼たちが仕留めた獲物をぽつりぽつりと持ち帰ってくる。
角馬2頭と鎧猪1頭、大角鹿1頭が持ち込まれた後、グレッグたちが戻ってきた。
互いの労をねぎらうと、グレッグにチョッキ銛について説明した。
「なるほど。確かにそのチョッキ?銛なら犬小鬼たちでも大物を相手にできるな」
「銛を投げるのにちょいとコツが必要だが、まぁその辺りは頑張って練習してくれ」
「なに、それでも弓に比べればまだ楽だろうよ」
そう言ってグレッグが笑って見せた。
昨夜に引き続き肉まみれの夕食の席で、翌日の予定について話し合う。
今日狩ってきた獲物は人間の村へ詫びの品として持っていく予定だが、その段取りや内容について事前に決めておく必要があった。
まず手始めに向かうのは今回の依頼を出してきたコンバルド村だ。
ここで依頼人でもあるビゼット村長に話をし、ここの犬小鬼たちが無害であることを知って貰う。
そしてビゼット村長から他の2つの村に使いを出してもらい、それぞれ犬小鬼たちと面識を持ってもらう。
とりあえず今回の件はこれで手打ちとなるだろうが、問題なのはその後だ。
お互い、触らぬ神に祟りなしと相互不可侵の約束ができればいいが、恐らくそれでは納得しない者も出てくるだろう。
俺達は、グレッグ率いるこの群れが無害なことを理解できたが、他の者はそうはいかない。
近くに犬小鬼の大きな群れがいるというだけで不安に駆られるものは少なくない……というか、不安に思うのが普通だ。
それに犬小鬼の側としても、人間に対し警戒感が根強い。
実際、今の犬小鬼の村でもイツキ、ユニ、クランヴェルに対してはまだ微妙に距離がある。
これを無視して「お互い仲良くしましょうね」といっても、なかなか難しいだろう。
ならばどうすればいいか。
一番わかりやすいのは、眼に見える形で相手に利益をもたらすことだ。
「ならば、この先も定期的に人間の村に獲物を届けるのか?」
その辺りでグレッグが声を上げる。
「それは場合によりけりだが、次回からは対価を要求すればいい。狩りの獲物を無償で献上し続けるほど媚びる必要はねぇだろう。
そんなことしてたら犬小鬼の側に不満が溜まる。
まぁ一度人間の村長らと話をして、人間側で欲しがりつつこちらが用意できるものを見繕って、それと引き替えに生活に使える道具とか余剰の食糧なんかを分けてもらうのがいいだろうな。
水を溜めておく空き樽とか食器とか、鉄製の鉈や鎌、手斧やナイフなんかはこの村でもあると便利だろう。
畑を作る考えがあるなら農具を要求するのも手だな。ただ、弓とか槍とかの武器の類はしばらくは控えたほうがいい。
使い道が狩りだとしても変に勘繰られる恐れがある」
「なるほど、確かにそうだな」
「まぁ酒が出せればいいんだが、アレはあまり量は作れんのだろう?」
昨日飲んだ物を思い出しながら尋ねる。
「残念ながらな。というかあんなものが取引の材料になるのか?」
グレッグが不思議そうに尋ねてきた。
「犬小鬼のどんぐり酒は一部の間で好まれている、と聞いたことがある。実際、昨日飲んだあれは悪くなかった。
取引される量も少ないから、出せばいい値がつくはずだ」
「ほぅ、それはいいことを聞いた。なら増産をちょっと考えてみよう」
「無理せん程度にな」
……とは言ったものの、実は是非増産を頑張ってほしいと内心思う俺がいる。
割と好みの味だったので個人的にもっと飲みたいというのもある。
出来ればもう少し酒精を強くしたいし、それが駄目なら軽く蒸留したものを数年寝かせて味を見てみたい。
そして恐らくだが、ここの侯爵サマもあの酒を気に入るんじゃないかと思う。
確証はないがイメージ的に、ああいう野性味あふれる酒が好きそうな、そんな気がするのよね。
もう少し洗練させる必要はあるだろうが、年間で樽3~4つくらいの量を安定して世に出せるのであれば、話の転がし方次第で公に保護してもらえるんじゃないかという考えがなくもない。
ただ下手にそんなこと言って根拠のない希望を持たせて、犬小鬼らに負担を強いるのもなんか本末転倒な気がするので黙っとくけど。
そんな俺の心の内は表に出さず、犬小鬼の村から狩りの獲物以外に出せそうなものについて話し合う。
狩りの獲物以外だと山菜や薬草類が主なものになるので、とりあえずこれらは事前に見本を幾つか用意することにした。
まぁ他にも取引の案がないこともないが、あとは実際に膝付き合わせてこちらと向こうの希望・要望をすり合わせるしかない。
明日は朝からコンバルド村に向かうことにして、この日は床についた。