村の領域侵犯2
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異常。
イツキから聞いて分かってはいたが、実際に目にした感想はそれだった。
薮を透かして見える先には、土壁に囲まれた犬小鬼の集落が見える。
まだ工事の途中らしく、土壁は村の半分くらいしか囲んでいないが、囲まれていない部分は逆茂木のようなものでひとまずカバーされ、その向こうで武器を持った3匹の群れが2つ、交互に行き来をしながら侵入者を警戒していた。
これで土壁が完全に村を囲んでしまえば、人間のものに近い砦となることは容易に予想できた。
犬小鬼は手先が比較的器用だが、単独種族でこれだけのものを作り上げるとは聞いたことがない。
巡回している犬小鬼も、伸びた背筋と雰囲気から規律らしきものを感じられる。
「……いったい、誰が率いてやがる?緑小鬼でも豚鬼でもねぇ。侯爵の敵対勢力か?
いずれにしても率いている奴だけでも確認しねぇと」
思わず呟きが漏れる。
とりあえず暗くなるまでは、とその場で監視を続けたが、結局犬小鬼の巡回を眺めるだけで夜になった。
「……という訳で俺も見てきたが、ちょっとというかかなり厄介そうだ」
シェルターに戻り、ユニとクランヴェルに結果を報告する。
「明日も引き続き見張りですか?」
「ああ。ただ明日は全員でいくぞ」
「全員で、ですか?」
ユニが不安そうな顔でこちらを見る。
「まぁ見つかりやすいというリスクはあるが、あの犬小鬼どもの雰囲気は各自事前に見ておいた方がいい。
万が一俺達だけで仕掛ける羽目になったら、相応の覚悟が必要だ」
「それほどまでに異常なのか?」
クランヴェルが疑問を呈する。
「異常だな。犬小鬼という前提は捨ててかかったほうがいい」
俺の回答に、クランヴェルは神妙な顔をして頷いた。
翌日、早めに起きて暗いうちから犬小鬼の村へと向かう。
とにかく今は情報が欲しい。
本格的な活動が始まる日の出前から、じっくり村を観察しようという算段だ。
村の近くまで来て茂みに身を隠すと、ユニとクランヴェルにあれを見てみろと仕草で促した。
促された二人は村の土壁や逆茂木、見張りの犬小鬼などを見て驚いた表情をした。
「異常といった意味が分かったか?」
「確かに犬小鬼らしからぬ群れだな。ディーゴが慎重になるのも納得だ」
「いったい誰が率いているのでしょうか?」
「それが皆目わからん。犬小鬼には強いものに従うという習性があるのは言うまでもないと思うが、それでも緑小鬼や豚鬼、人間が率いる場合は渋々従う感じだ。
そう言った感情は見張りの動作とかにも出るはずなんだが、見た感じどうもそれがない」
「では、喜んで従っている、と?」
「さてな。だがそれに近い感じだろうな。クランヴェルは何かそう言うのを聞いたことはあるか?」
「いや、教会は不死者がほぼ専門だ。魔物の生態については魔術師ギルドの方が詳しいだろう」
「そうか。場合によっては一度シタデラに戻ることも考えなきゃならんな」
小声でそんなことを言いあっていると、村の中に動きが出始めた。
どうやら朝飯の準備が始まるらしい。
幾つかの焚火が用意され、それと近い場所に棒が立てられる。
その棒に袋状の皮がかけられ、水、木の実、野草、肉片が入れられたようだ。
「あれは、なにをしている?」
「恐らく鍋の代わりだな」
鍋といえば鉄や土器が一般的だが、動物の皮や胃袋などを鍋がわりに使う料理法もある。
袋状にした皮に水と材料を入れ、最後に焼いた石を入れれば簡易的な石焼鍋となる。
土器も鉄器もない時代や場所で行われていた調理法、と何かで見た記憶がある。
俺の解説通り、しばらく見ていると犬小鬼が2匹がかりで棒を使って焚火の中から石を取り出し、革袋の中に落し入れた。
ジュワァァアア、と袋の中身が沸騰する音がして、それが合図のようにぞろぞろと袋の周りに犬小鬼たちが集まった。
木をくりぬいて作ったらしい椀を手にした犬小鬼が、そわそわしながら袋の傍で出来上がりを待っている。
鼻を持ち上げて匂いを嗅いだり、袋をのぞき込もうとして料理担当に追い返されたりと、飯を前にした腹っぺらし共の行動は人間も犬小鬼もさほど変わらないらしい。
犬小鬼が相手とは言え、なんとなく和んだ目でその様子を見守っていると、鋭い吠え声が聞こえた。
「ガウッ!ギャウ!!」
見つかったか?と身体を固くしたが、犬小鬼の目は村の奥を向いている。俺たちのことではなさそうだ。
息をひそめて成り行きを見守っていると、やがて1匹の犬小鬼が姿を見せた。
いや、犬小鬼という呼び方はふさわしくないかもしれない。
なにせ大きさが違う。
姿を見せた犬小鬼は人間の大人ほどの背丈を持ち、装飾のついたベストのような上着をまとっている。
銀灰色の毛並みを持つそれは確かに犬小鬼の姿だが、立ち居振る舞いに確かな知性を感じた。
一斉に動きを止め、首を垂れる犬小鬼を手で制し、料理をしている袋の前に立つと、料理番に何かを話しかけた。
料理番が恭しい仕草で椀に袋の中身をよそい、大きな犬小鬼に差し出す。
大きな犬小鬼は頷いてそれを受け取り、その場を離れると、待機している犬小鬼たちに何かを言った。
歓声が上がり、犬小鬼たちが袋と料理番に殺到する。
大きな犬小鬼は満足そうにそれを眺めて頷くと、手近な丸太の椅子に腰を下ろし、椀の中身をすすり始めた。
「……あれが親玉らしいが、どうよ?」
茂みに隠れながら皆に小声で尋ねる。
「犬小鬼の上位種にしては姿が大きすぎるな。あの大きさだと将軍や君主に匹敵するのだろうが、犬小鬼にそんな上位種がいるなど聞いたことがない」
「犬小鬼の上位種といえば隊長が精々ですよね。それでももっと体格は小さいはずです」
クランヴェルとユニがそれぞれ首をかしげる。
「……ねぇ、あの親玉、なんとなくディーゴに似てない?」
「……はい?」
なんかイツキさんがヘンなこと言いだしたぞ。
「似てるか?俺に」
「獣のような見た目なのに妙に人間臭いのはディーゴも同じでしょ?」
「いやそりゃまぁそう……なのか?でも俺の場合は相当珍しい、例外的なケースだぞ?」
「今回だって十分珍しくて例外的じゃない」
いやしかしな……と反論を考えている横でクランヴェルが何かを思いついた。
「そうか。ユニ、魔界には獣牙というディーゴみたいな種族もいると言ってたな?それに当てはまらないか?」
ああ、そのパターンがあったか。
期待を込めてユニを見るが、ユニはしばらく観察した後に申し訳なさそうに首を振った。
「確かに獣牙族の中にはあのような姿の人もいますが、それだけで断定するのも……」
「それもそうか」
これといった打開策も思いつかず、なんとなく村の様子を見続けていると、食事が終わったのか犬小鬼たちが数匹ずつの群れを作って村の外に出始めた。
「食料探しでしょうか?」
「そんなとこだろうな」
4~6匹の群れを3つほど見送ったところで、大きな集団が現れた。
20匹くらいはいるだろうか。先頭にはあの銀灰色の犬小鬼がいる。いや、もう大きさ的に犬鬼といった方がいいか。
この集団は、さっき出ていった群れとは明らかに違う。
まず弓を持った犬小鬼が圧倒的に多い。群れの半分以上が弓持ちだ。
弓を持たない犬小鬼は代わりに槍を持っている。その数はおよそ6匹。
しかもその槍は、木を尖らせただけの簡素なものではなく、どこかで手に入れてきたらしい金属製のナイフらしきものが穂先に括り付けられていた。
銀灰色の犬鬼は腰の両脇にそれぞれ小剣らしきものを下げている。
「村を襲いに行く……訳ではなさそうだな」
隣でクランヴェルが呟く。
「だな。頭の犬鬼がどれほど遣うかは分からんが、あの数と武装で村を襲うのはさすがに無茶だ。
大物狙いの狩り、といったところか?」
「尾行ますか?」
「当然。ただ数が多いから少し距離をとるぞ。イツキ、すまんがよろしく頼む」
「了解」
犬鬼が率いる群れが村を出たのを見送ると、しばらく時間をおいてからその後を追うことにした。
それからしばらく、秘かな追跡行が続いた。
犬鬼の群れは時々止まって何かを確認しながらも、それなりのペースで進んでいく。
こちらからは目で追える範囲を超えているのでイツキレーダーが頼りなのだが、イツキが言うにはかなり統制のとれた集団らしい。
決して歩きやすいとは言えない獣道を20匹近い集団が行くのだ、多少の混乱や置いてきぼりなんてのもありそうなものだが、今のところそう言った兆候はないらしい。
それだけでもたいしたものだと思う。
20人の集団を率いて目的地に向かう。簡単なようだがこれがなかなか難しい。
これは犬小鬼だから、ではなく、率いるのが人間であっても同じことが言える。
そもそも20人も集まれば、どれほど事前にきっちり説明しても1~2人くらいは引率者の思惑通りに動かない者が出てくる。
学生時代の遠足や旅行などで、いざ点呼をとると「○○がいない」と軽く騒ぎになった経験のある人は少なくないと思う。
そう言ったことを防ぐために、リーダーでもある引率者は群れというか集団の最後尾に位置するのが定石だが、犬鬼が率いるこの群れはその犬鬼が先頭に近い位置にいる。
それでも脱落者がいないのは、周りの犬小鬼たちが渋々ではなく「自発的に」犬鬼に従っているからだ。
遅かれ早かれこの群れは討伐することになるだろうが、難易度の高さに少し気分が沈んだ。
「ディーゴ、ちょっと良くない知らせがあるわ」
しばらく歩く続け、犬小鬼の群れが2度目の休憩をとっているとき、イツキが気になることを言いだした。
「どした?」
「休んでる間に他の群れの様子も探ってみたんだけど、群れの一つが人間と接触しそう」
「……緊急事態じゃねぇか」
思わずうなり声が出た。
「方角と距離は?」
「こっちの方角。距離はそこそこあるわ」
「よし、俺とヴァルツで先行する。ユニとクランヴェルは後から急いで追いかけてこい。イツキ、道作り頼んだ」
犬鬼が率いる集団の狩りも見たかったが、こっちの方が優先だ。
「任せて。ユニ、クランヴェル。道は残しておくから早く追いかけて来てね」
「はい」
「わかった」
「うし、ヴァルツ、イツキ、行くぞ」
頷く二人を後に残し、ヴァルツとイツキを連れて全力で駆け出した。
イツキが作る草分け道をヴァルツが先行し、俺が後に続く。
全力で急いだものの、結果的に人間と犬小鬼の群れは出会ってしまった。
走りながらイツキの報告を受け、足が止まる。
先行していたヴァルツが「どうした?」といった感じで戻ってきた。
「間に合わなかったそうだ」
ヴァルツの頭を軽く撫でながらため息をつく。
「どうするの?ここでユニとクランヴェルを待つ?」
「……いや、手遅れだろうがまずは急ぐ。間に合わなくとも骸くらいは持ち帰ってやりてぇ」
「……そうね。じゃあ、再開するわよ」
「おう」
沈んだ気分のまま再び走り始める。
途中でイツキから聞いた話では、村人は2人で犬小鬼は6匹。
犬小鬼は臆病とはいえ、これだけの人数差があれば隠れてやり過ごすとは考えにくい。
森の中で出くわしたら、お互い挨拶をしてすれ違うような平和な関係ではないのだ。
どちらかが逃げ出してくれればいいのだが、イツキレーダーによれば人間と犬小鬼の群れは完全に入り乱れて激しく動き回っているらしい。
そしてそれは走り続けている今も続いており、思った以上に人間側が善戦しているように聞こえた。
「もうすぐ!そこ!!」
イツキの声に、戦槌を片手に飛び出す。
そこは小さな広場のようになっていて、確かに2人の人間と6匹の犬小鬼がそこにいた。
ただ、こちらに向けて牙をむき出しにしながら槍を構える犬小鬼2匹の向こうに、人間の子供が2人と犬小鬼の子供が4匹、身を寄せ合って震えていたのだが……これはいったいどういう状況なんだろうか?




