閑話 カタブツ司祭と幽霊犬
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私の名はクランヴェル。帝都の天の教会で助祭の地位を頂いている。
今はある目的の為にある冒険者のパーティーに加わり、シタデラという城塞都市に滞在している。
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のだが、今の状況を振り返ると、少し首を傾げざるを得ない。
数日前に冥の教会の高司祭からの依頼で、この街の外にある廃教会と墓地に出る不死者たちを退治した。
退治にあたっては私の加わっている冒険者パーティーだけでなく、冥の教会の高司祭本人を始めとする聖職者たちも協力して事態に当たったため、犠牲者が出ることもなく退治を完了することができた。
原因となっていたのは、いわゆる呪いの儀式の犠牲となった犬だ。
そして今、その原因となった犬が、幽霊になって私の隣にいる。
「すまない。ちょっとものを尋ねるが、この犬に見覚えはないだろうか?」
「はぁ、どの犬ですか……ひっ」
手頃な店の店員に話しかけると、大抵が幽霊犬を見てこのような反応をする。
「大丈夫だ。特に害はない。生前、どこかで飼われていたようなので、その飼い主を探しているんだ」
「ああ、そういうことですか……」
何度も繰り返した説明をすると、相手は表情をやわらげ、しげしげと幽霊犬を観察する。
「……いや、申し訳ありませんが、見覚えはないですね」
そして返ってくるのは決まって同じ答えだ。
「そうか。邪魔をして済まなかった」
店員に軽く頭を下げてその場を離れる。
今まで街の北区域と東区域を歩いてきたが、これといった手掛かりはない。
「……ふぅ」
水をたたえた内堀の傍、ベンチ代わりに置かれている丸太に腰掛けると、つい息が漏れた。
幽霊犬は目の前に行儀よく座り、こちらを見ている。
「なかなか見つからないな、お前の主は」
私の問いかけに答えるように、幽霊犬はぱたぱたと尻尾を振って見せた。
そんな仕草を見ると、実家で飼っていた犬のことが思い出される。
私の実家は帝都でそこそこの商店を営んでおり、防犯の都合上から犬を飼っていた。
私が生まれたときにはカールというやや大型の犬がいて、家の内外を自由に出入りしながら、離れの倉庫の警備を担っていた。
不審者には激しいが、家族に対しては穏やかな気性の犬で、幼少期は多忙な両親の代わりに常に私の傍にいた。
人間の言葉を理解しているかのように利発で、家族や私が話しかけたり簡単なお願いをすれば、反応を返したり頼んだ通りに動いてくれた。
そんなカールは幼い私にとってよき遊び相手であると同時に、頼りになる兄のような存在だった。
私が6歳の時に神聖魔法の才を見出され、教会に預けられたことで離ればなれにはなったが、その3年後に
老衰で亡くなったのを覚えている。
両親と弟と、知らせを貰って教会から急ぎ帰ってきた私の、家族4人に見守られて、カールは永遠の眠りについた。
埋葬する前に撫でた冷たい毛皮の感触と、亡骸に土をかぶせた時の想いは、忘れようがない。
それ以来、私は動物に対しては一線を引くようになったのだが、この幽霊犬はそんなことお構いなしに真っすぐな好意を向けてくる。
幽霊としてこの世に留まっているからには、速やかに天に還さねばならない。
その為にこうして連れまわしているのだが、この幽霊犬は理解しているのだろうか?
そこまで理解しているのなら構わないが、単純な好意であるならば少し心苦しい。
そしてこの日も、なんの収穫も得られぬまま拠点としている宿に戻った。
部屋に入ると、別行動から先に戻っていたパーティーのメンバーが思い思いの格好でくつろいでいた。
「お疲れさん。収穫はあったか?」
真っ先に声をかけてきたのは、ディーゴと名乗る直立した獣のような虎顔の男。このパーティーのリーダーだ。
見た目からして人間でも獣人でもないこの男、本人によれば獣魔という悪魔だそうだ。
「いや、残念ながら今日も収穫なしだ」
それに答えながらベッドに腰を下ろすと、今度はディーゴの傍にいた少女が尋ねてきた。
「お疲れ様です。夕食のまえに何か飲みますか?」
こちらはユニ。見た目こそ美しい少女だが、さもあらん。彼女は淫魔という悪魔だ。見た目がいいのは種族的な特徴でもある。
「大丈夫だ。それよりそっちの作業はどうなっている?」
「墓地の除草はほぼ済んだ感じね。あとは墓標を作り直すことになるかしら。設置には教会からも手を出してくれるみたい」
私の問いに答えてきたのは、ディーゴを依り代としている樹精のイツキ。
女性の姿でやや露出が多いが、ディーゴの話ではこれでも当初より大分大人しくなったらしい。
もう一人というか一頭、漆黒虎でディーゴの使い魔のヴァルツがいるが、こちらは私たちをちらりと見ただけですぐに目を閉じた。
「……となると、まだ数日はかかるか」
「俺の予想より若干早く進んでいるが、あと4~5日は見といてくれ」
「分かった」
ディーゴの答に頷いて返す。
この悪魔たちだが、今は廃教会の墓地の再整備に取り組んでいる。しかも自らが言い出して、だ。
悪魔が人間……ましてや教会のために奉仕するなど聞いたことがないが、実際にこうなったのはリーダーであるディーゴが特殊すぎるという理由がある。
このディーゴだが、悪魔という見た目ではあるが元は人間で、しかも異なる世界からやってきた、と、エランド師と私に言ってのけた。
その後のディーゴの説明でエランド師は納得されたようだが、私はいまだに信じることができない。
もしディーゴたちが人間に害を為すようであれば、それを見逃したエランド師にも累が及びかねないし、ディーセンの天の教会としてもかなり危うい立場になろう。
エランド師が導入を前向きに検討している、ステンドグラスや聖歌隊のことも考え直してもらわねばならない。
それ故に、私はディーゴたちの過去の行動を調べ、エランド師の制止を振り切ってパーティーに加わってからはその言動を注視してきた。
その結果分かったのは、彼は聖人君子とはいかないまでも、かなり高い道徳心に基づいて行動するらしいことだった。
これは悪魔として見るなら異常極まる行動原理だし、『元は人間だった』という彼の弁を信用したとしても、その基準が高すぎる。
エランド師は『そういうもの』と受け入れてしまってはいるが、私にはその道徳心の高さがどうにも作為的に見えて仕方がない。
悪人が世間の目をごまかすために善人を演じるように、ディーゴも何か秘めた良くない企みがあるのではないか。そのような思いが頭を離れない。
更に言うならば、ディーゴが率いるこのパーティーには、制止役が存在しないのも問題だ。
ユニはディーゴの方針に無条件で従う従僕のような立ち位置にいるし、樹精のイツキは人間とは違う理で生きている。使い魔のヴァルツは言わずもがな、だ。
もしディーゴが心変わりをしたり本性をむき出しにして人間に害をなすようになれば、それを止めたり他所に知らせる者がいないのだ。
ならば私が制止役になるべきだろう。いざというときには、刺し違えてでも暴挙を止めてみせる。それができるのは私しかいないのだから。
そう自分の務めを言い聞かせたとき、床で寝ていたヴァルツがのそりと立ち上がり、一つ伸びをして扉の前に立った。
「ヴァルツが腹減ったとさ。夕飯に行くが、準備はいいか?」
ディーゴの言葉に、部屋にいた全員が頷いた。
-2-
それから数日後、相変わらず幽霊犬については何の手掛かりもないまま、私は最後に残った街の西区域を歩いていた。
ここは貧民街に近く、貧民街ほどではないにしろ治安はあまり良くない。
明らかに無理のある構造な4~5階建ての集合住宅が、互いを支え合うようにひしめき合っている。
当然ながら陽も風も遮られ、初夏の日中でさえ薄暗い。
籠る熱気と悪臭に辟易しながらも、幽霊犬の飼い主を探して回るが、胡散臭い目を向けられたり邪険に追い払われたりとで、相変わらず手応えはない。
……ここもハズレか。
適当な所で見切りをつけ、残りの歩いていない場所を思いだしながら立ち去ろうとしたとき、前方に薄汚れた男が立った。
「幽霊犬の飼い主を探してるってのはアンタかい?」
「ああ、多分私のことだと思うが」
男が尋ねてきたので答える。幽霊犬の飼い主を探しているなんて、私以外にはいるまい。
「その飼い主に心当たりがなくもないんだが、案内したらいくらくれる?」
なるほど、そうきたか。
「どこからか金が出る話じゃない。銀貨5枚でどうだ?」
腰の財布から銀貨を取り出して男に見せた。多くはないが、情報料としては問題ない額だろう。
「なんだそれっぽっちか。まぁいいや、ついてきな」
男は私の取りだした銀貨を見ると、背を向けて歩き出した。
男に案内されるまま、幾つかの角を曲がり路地を抜け、たどり着いたのは貧民街の一角の行き止まりだった。
「へっへ、わざわざご苦労さん。痛い目見たくなけりゃ、身ぐるみ脱いで置いてきな」
前を行く男が大振りのナイフを手に振り返ると、その声に呼応して私の背後に男が3人、得物をもって姿を現した。
「大人しく身ぐるみ差しだしゃ、命までは勘弁してやるよ。まぁ俺たちゃ別に死体からはぎ取っても構わねぇけどなぁ?ひゃっひゃっ」
後ろから姿を見せた男の一人が下品に笑った。
「なるほど、そういうことか」
腰の剣を抜きながら自分の迂闊さに内心で悪態をついた。
相手は武器を持った男4人。私を案内した男と下品に笑う男の2人は大したことなさそうだが、残り2人の男はかなりこの手の悪事に慣れてそうな気がした。
ランク4の冒険者とはいえ、この4人を相手にするのはかなり厳しい。鎧を着ていないことが悔やまれる。
「ひゅぅ、そいつぁ銀混じりの武器じゃねぇか。いいオモチャ持ってんなぁ?旦那がた、倒したほうにあの剣を進呈するってのぁどうですかい?」
案内の男が私の剣を見てけしかけた。
「面白い。その話、乗った!」
腕利きらしいうちの一人がそう言って猛然と切り込んできた。
こちらも剣を合わせて弾き返す。しかし、重い。
それでもと続く2撃3撃を受け止め、弾き返していると
「馬鹿、あまり剣を打ち合わせるな。せっかくの賞品が傷むだろうが」
という声が背後から聞こえた。
反射的に横っ飛びに避けるが背中に熱いものが走る。斬られたようだ。
「お前こそ馬鹿だ。言わなきゃアレで仕留められたものを」
先ほどまで打ち合っていた男が呆れたように答えた。
「それもそうだったな。まぁいい。俺も少しくらい遊ばせろ」
背後から切り付けてきた男が、剣を肩に担いでこちらに向き直った。
実際に剣を打ち合わせて分かったが、一人でも鎧なしでは難しいのに二人同時は無理だ。
……ここで私は殺され、身ぐるみ剥がれたうえで身元不明の死体として作業的に処理されるのか?
そんな考えがふと脳裏をよぎったとき、苦悶の声と何かが倒れる音がした。
何事かとそちらを見れば、倒れた案内役の傍で幽霊犬がじっとこちらを見ていた。
幽霊なのに四つ足を踏みしめて凛々しく立つその姿と、こちらを見つめる力強い目は、幼少期の記憶を嫌が応にも呼び起こす。
遊びに出た帰りに運悪く野良犬の群れに絡まれ、家の近くの袋小路に追い詰められたときに現れたカール。
群れの一角を瞬く間に蹴散らし、その場からじっとこちらを見つめてきたその目。
「助けてやる。お前もやれるな?」
あの時聞いたような声が再び聞こえた気がして、私は奥歯を強く噛みしめた。
男どもが何か叫んでいるが、もう耳には入ってこない。カールの助けがあるならば、あの時のように恐れるものはない。
「神よ、我が傷を癒したまえ」
癒しの魔法で傷を塞げば、身体に力がみなぎるのが分かる。
「コイツ、神官戦士か!?」
驚きの声を上げる襲撃者たちに、今度は私から切りかかった。
数分と経たないうちに、地面には残りの襲撃者3人が転がってうめき声を上げていた。
使い手の男2人にも勝てたのは、幽霊犬の的確な助勢のおかげだ。
亡霊による精神的な一撃の直後に物理的な一撃。
この連続攻撃をディーゴが防げずまともに食らったことを、幽霊犬は覚えていたらしい。
いや、幽霊犬という呼び方はふさわしくないかもしれない。
「……カール……なの、か?」
躊躇いながら尋ねた私の声に、目の前の幽霊犬は聞こえないながらも一言吠えて、勢いよく尻尾を振り回した。
生前のカールとは見た目が違う。大きさも違う。
だがその仕草は、私が名前を呼んだ時にみせたカールの仕草そのものだった。
襲撃者たちを衛視に引き渡し、諸々の手続きを済ますと、拠点である黒虎亭へと足を向けた。
隣には幽霊犬のカールがいる。
……しかしこの話、どう切り出したものか……。
宿への帰り道、かつての飼い犬と再会できた喜びはあるものの、荒唐無稽すぎる話に私は頭を悩ませることになる。