閑話 虎の人との出会い
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初めまして。私はエレクィルと申します。
ここより少し離れた、ディーセンという街でガラス細工の店を営んでいるものです。
と言っても、半ば隠居の身ですが。
彼の方と初めて出会ったのは、私が歳を取って一線を退き、気鬱の病になりかけていたのを和らげようと、私の乳兄弟であるハプテスが提案してくれた湯宿の里に向かう最中のことでした。
ディーセンの街で雇った護衛2人が、湯宿の里を前にして裏切ったのです。
二人して剣を突き付けられ、もう終わりかと思ったその時、何者かが現れ、私どもに剣を突き付けていた二人をあっという間に殴り倒してしまいました。
このときになって初めて闖入者を見たのですが、それはみごとな毛皮を持った虎の獣人でした。
ただ、私どもの認識では獣人というのは人間に動物の耳や尻尾が付いた程度のもので、全身を毛皮に覆われた獣人というのは犬小鬼くらいしか見たことがございません。
それで気が付きました。
ははぁ、これが噂で聞いていた、旅人や行商人を守る虎の魔物ですか、と。
昨日泊まった村で村長から聞いた噂話を思い出し、一人納得します。
「アンしんしろ、敵じゃナイ」
幾分なまった言葉が獣人の口から発せられました。
ハプテスはまだ警戒しているようですが、私はこの言葉で警戒が解けました。
わざわざ人間の言葉で話しかけてくる魔物が、私どもに危害を加えるとは思えません。
「念話ガつかエる者は、イるか?」
突然の問いに、ハプテスと顔を見合わせて首を横に振ると、虎の獣人は何かつぶやいて肩を落としました。
ここで私に、彼に対する興味がわきました。
肩を落として見せた残念そうな仕草が妙に人間臭く見えたせいかもしれません。
「お待ちください」
立ち去ろうとする彼に声をかけました。
「お待ちください」
今度はゆっくりと。
彼が足を止めて振り返った。
「危ないところを助けていただき、ありがとうございます。私はエレクィルと申しましてディーセンの街でガラス細工の店を営んでおります」
「俺は、コトばが、ワからナイ」
なるほど、だから念話ができるか尋ねたのですね。
私は歩み寄って彼の手をとりました。
「大旦那さま、危険です」
「ハプテス、大丈夫です」
ハプテスを止めると、虎の獣人にゆっくりと話しかけました。
「これから行く湯宿の集落には、念話が使える者に心当たりがあります。そこでゆっくりとお話ししましょう」
困ったような顔をしている彼の手を離し、手招きをすると、彼は戸惑いながらも付いてきました。
しかし、襲ってきた男二人を軽々と担いで見せたのにはいささか驚きました。
そして湯宿の集落に向かったのですが、案の定、彼を村に入れるか入れないかで揉めました。
最終的には門番が折れて、彼の入村を渋々許可してくれたのですが、空気を読んで話し合いの最中もじっと黙って待っていた彼のことも少しは評価してもらいたいものですね。
宿につき、村に住む魔法使いのアーレルさんを呼んでもらい、彼を介して話をするとおぼろげながら話が分かってきました。
なんでもこの獣人、ディーゴさんと言うらしいのですが、もとは人間だったそうではありませんか。
この集落の近くで旅人を守っていたのも、人里へ迎え入れて貰うためと聞きました。なんとも迂遠な話です。
しかしそうなると新たな疑問が出てきます。
人間が獣人になるなどと言うことが本当に起こり得るのか。魔法使いであるアーレルさんも、そのような事象に心当たりはないと仰っていました。
ただ、私はどうにもディーゴさんが嘘を言っているようには思えなかったのです。
アーレルさんが来るまでに、届いた食事を少しご一緒したのですが……ナイフやフォークを私ども人間と同じように自然に使っていることと、その食事の作法が、野に暮らす獣人(魔物?)とは思えないほど洗練されていたからです。これなら、貴族の少し砕けた席にそのまま出しても問題ないと思えるほどの品の良さでした。
世の中には不思議なことがあるもの、そう思わずにはいられないディーゴさんという存在です。
それからアーレルさんを介して言葉の授業が始まりましたが、ここでもまた疑問と驚きの連続でした。
翻訳された言葉の端々からは知性を感じますし、他者を気遣う言動は決して付け焼刃的なものではなく、確かな教育に裏打ちされた自然さが感じられます。
特に算術に関しては、数字を覚えたあとはアーレルさんが出す問題をすらすらと解いて見せるほど達者で、私どもも舌を巻いたほどです。
よほど高度な教育を受けたと見受けますが……その割に基本的な常識などがすっぽりと抜け落ちているかのような言動が気にかかります。
悪人ではないが、どうにも危なっかしいというのが私どものディーゴさんに対する評価です。
-2-
数日後、大変なことが起こりました。なんでも赤大鬼がこの集落を目指してやってくるというのです。
赤大鬼といえば、村を襲い、人を食らう凶暴な魔物です。
2匹出ただけで村一つが壊滅するといわれる魔物が3匹も出たとあって、集落は大騒ぎでした。
急いで戦えそうな者が集められますが、なにせ小さな湯宿の集落のこと、集まったのは怪我人や引退した人間ばかりです。
もちろんディーゴさんにも白羽の矢が立ちました。
酷な見方をすれば、ディーゴさんにはこの村のために戦う義理はございません。
にも拘らずディーゴさんは、気楽にそれを引き受けてくれました。
「義理はなくとも情はある。世話になっている以上、一肌脱ぐのはやぶさかではない」
そう言って笑うと、愛用の品らしい槌鉾を片手に外に出ようとなされます。
当人は気楽なようですが、今の戦力ではどうしてもディーゴさん頼みになってしまいます。
折角知り合えた気のいい方を、危険な場所に送り込むことに罪悪感は感じましたが、せめて彼の無事を祈ることにしました。
結果から言えば、私どもの心配は杞憂でした。
赤大鬼3匹を相手に、特に危ない場面もなく誰一人怪我をすることもなく撃退できたそうです。
私どもは部屋にいたので、戦いの詳細な内容は分かりませんが、まず3匹のうち1匹を魔法で作った落とし穴で倒し、2匹目の膝を折って無力化し、3匹目はアーレルさんの魔法とともに倒したということです。
彼の強さに驚くとともに、彼が味方であったことを神に感謝しました。
その後開かれた酒宴でも、ディーゴさんの子供好きという人懐こい一面が見られました。
この調子なら、うちの店で働いてもらうのも問題ないのかもしれません。
気がつけばいつの間にか、私の鬱々とした気分は晴れていました。