閨姫の病9
―――前回までのあらすじ――――――
娼館に卒業しに来た若者3人組の背中をちょいと押してやった主人公。
身銭を切ってまで手助けしたその本音とは?
――――――――――――――――――
-1-
店の台所でのんびりと水の2杯も飲んで戻ってくると、待合室に3人組の姿はなかった。
「あの3人は大丈夫そうか?」
定位置の椅子に腰かけながらギューに尋ねる。
「料金さえ払ってもらえるなら、ウチとしては否やはありませんよ。指名された嬢もウブいののお初ってんでまんざらじゃない様子でしたしね。
目一杯ということでコスモスでは最長の4時間にしましたが、良かったんですか?」
「ああ、構わんよ」
「……でも先生も物好きですね」
ギューが苦笑いしながら尋ねてきた。確かにこの店で一番安いコスモスランクとはいえ、3人をそれぞれ4時間となると金貨が飛んでいく額だ。決して安くはない。
「……3人の勇気に応えただけだ、というのはカッコつけすぎか」
「ですね」
「まぁ、卒業ってのは男にとっちゃ一大イベントだろ?一人じゃ心細いからって仲間誘って3人で来る辺りが涙ぐましいじゃねーの。
そこまで思い詰めて来て、相手が化け物みたいな顔の年増ババァでおまけに病気の土産付きってなったらさすがにな……。
俺が卒業であまりいい思いしなかっただけに、同じ男として初回くらいはいい思いさせてやりたいと思ったわけよ。そうでなくても初めての相手ってのは結構記憶に残るもんだし」
「なるほど、そういう理由ですか」
俺の答に、ギューが納得したように頷いた。
「ちなみに先生はいつごろ済ませたんで?」
「俺か?俺の時はちょっと遅くてな、20を過ぎてからやっとだ。相手がいないもんでこういう店で済ませたわ。ギューはなんかとっとと済ませてそうだな」
「自分はガキの頃から住み込みだったんですが、剥けた頃に店一番の年増に物置に引っ張り込まれて終わりでしたね」
「それもまた災難というか……なんだな」
そんな流れで、3人のいなくなった待合室で猥談が始まった。
いや猥談大好きなセクハラオヤジのつもりはないけど、この姿になってからというもの品行方正を心がけてきたうえに周りにこういう露骨な馬鹿話ができる相手がいなかったもんでさ。
とても他所では話せない露骨でマニアックな話まで出て、性産業の闇を垣間見たような気がした。
見識を広める意味ではまぁ有意義な時間だったが、何をどう拗らせたらそんなプレイを思いつくんだ、という内容もあって、男の性癖というものについて少し考えさせられる時間でもあったな。
それに付き合わされるおねーちゃんたちも大変だ。
そんな感じでしょうもない馬鹿話で盛り上がっていると、約束の時間が過ぎたのか3人組が相方のおねえちゃんたちと一緒に待合室に戻ってきた。
……ふむ、それぞれの顔を見るにお互いそれなりに満足はできたようだ。
「よぅ、無事に卒業はできたようだな。大人の男のいい顔になったじゃねーか」
椅子に座ったまま、にかっと笑って話しかけると、3人組は弾かれたように頭を下げた。
「「「ありがとうございました!」」」
うん、いい教育されてんな。それでこそこっちも奢ってやったかいがあるというもの。
「まだ遊び足りないだろうが時間も時間だ、気を付けて帰れよ」
「はい。それであの、よろしければ名前を教えてもらえませんか?」
3人組の中心らしいのがおずおずと尋ねてきた。
「ああ、俺はディーゴってもんだ。今はここの用心棒だが、普段は石巨人亭ってところで冒険者をやってんだ。何か揉め事があったら訪ねてくるといい。
それと、今回の払いについては誰にも言うなよ?」
「わかりました」
3人はそれぞれに頷くと、相方だったおねーちゃんたちと俺達に別れを告げて帰っていった。
そんな初々しい3人を目を細めて見送る。
「先生、あの子たちの代金、先生が持ってくれたんだって?」
3人組を見送ると、相手をしたうちの一人、サンドラが尋ねてきた。
「なに、店先で甘酸っぱいやり取りをしてたからつい見かねてな。余計なお世話だったか?」
「ううん。久しぶりの時間目一杯だから助かったわ。ありがと」
そういってサンドラ、ファニー、ヒルデの3人が微笑む。
「なら良かった」
その後、汗を流すために店の奥に消えていった3人娘を見て、自分の財布を取り出した。
「3人組の代金だが、今払っとくわ」
「用心棒代から引いてもいいんですが?」
「それだと計算が面倒くせぇだろ。手持ちがないわけじゃないんだ、今払っちまうよ」
そう言って金貨2枚をギューに渡し、お釣りの半金貨と銀貨を受けとる。
「ああそれと、3人組が置いてった財布です。これは先生に」
続いてギューが差し出してきた財布を受け取ると、中身を確認した。
……中身は半金貨2枚にも満たない額か。確かにこれで3人じゃ立ちんぼの相手が精々だな。
そんなことを考えながら、財布の中身を移し替えた。銀貨銅貨が一気に増えたので、財布が急に重くなったよ。
総額としては減ってるのにな。
-2-
そして翌朝。
泊り客が揉め事も起こさず帰るのを見届けると、注文した鎧の2度目の調整の為にドワンゴ親方の店へと向かった。
前回の調整の結果か、鎧の着心地はさらに良くなり動き回るのに支障もなくなった。寸法的にはこれで問題ないだろう。
今回は鎧の内側に貼り付ける、金属の小札の調整だ。
専門的なことは分からんので基本的にドワンゴ親方の提案に頷くだけだが、思いついたことや気になることを言ってみると、こちらの意図を正確に汲み取って手を加えたりしてくれるのは、さすが熟練の職人と言ったところか。
……もっとも、俺が言ったことの半分くらいは意味がなかったり取り越し苦労だったりで却下されたわけだが。
いや、今回は別の店で同時に盾も注文しているのだが、まだ実物ができていないせいか鎧を着て盾も持った時のイメージがなかなか掴めなくてね。
「盾を持ったままそんな動きはできんぞ」とか「盾があるんじゃからそこまで気にする必要はない」とか、結構容赦のないツッコミを食らったのよ。
そんなこんなで調整を終え、次は2日後と約束を取り付けてドワンゴ親方の店を出た。
なんかさ、注文したオーダーメイドの鎧が徐々に形になっていくってのは結構わくわくするもんだね。
そんな気分のまま微笑む雪娘への帰路につく。
まだ人通りの少ない徒花小路に足を踏み入れると、前方からギューが駆けてくるのが見えた。
はて、今日はギューは交代で休みのはずだが……?と、足を止めると、ギューは俺を見つけたのかまっすぐこちらに向かってきた。
「せ、先生。良かった、今から呼びに行くところだったんですよ」
「何か起きたか?」
ただならぬ雰囲気のギューに尋ねる。
「はい。以前用心棒として雇っていた男が裏口から断りもなく入ってきたのをエイドが見つけまして、今、店主と押し問答してます。
店主がすぐに先生を呼んできてくれ、と」
「分かった。急ごう」
ギューの答えに状況を察して頷いて見せると、足を早めて微笑む雪娘に急いだ。
店の裏口につくと、開け放たれたままの裏口から問答の様子が外まで聞こえてきた。
「あんたもしつこいね。もうあんたはウチの用心棒でもなんでもないんだよ。シンディに会いたきゃ正面から客として来なと何度も言ってるだろう」
「うるさい!いいからさっさとシンディを出せ!」
「バロッツさん、店主の言う通りですよ。これ以上騒ぐなら衛視にきてもらわにゃならなくなりますよ?」
「衛視ごときに何ができる!ならばひと暴れしてシンディを連れ出すまでだ!!」
あ、こりゃいかん。
中からの声を聞いてギューに頷いて見せると、裏口から店に中に入った。
短い廊下を通り、2階への階段の前で店主のジュリア婆さんと住み込みのエイド、通いの料理人コーンツの3人が、小太りの男の前を塞いでいた。
「よぉしそこまでだ」
小太りの男の背に向けて声をかけると、男が振り返った。
「なんだ貴様は」
男が据わった眼で呟く。
「そのくらい察しろよ。俺ぁここの「今の用心棒」だよ。以前の用心棒ってことで身内気取りでタダ乗りしに来たんだろうが、今のあんたは赤の他人だ。とっとと帰んな」
「……嫌だと言ったら?」
「そうなると面倒くせぇな。2度とその気が起きなくなるまで痛めつけなきゃならん」
「この俺に勝てると思っているのか?」
「むしろ色ボケ男なんぞに負ける要素が見当たらねぇんだが?まぁそれでも俺に勝つ気があるなら表に出ろや。そこで勝ち負けはっきりさせようぜ」
そう言って顎をしゃくり、踵を返すと背中に警戒しつつ店の外に出た。
意外にも小太りの男は素直についてきた。
裏口から店の外に出ると、事情を聴いたか察したかした見物人がぽろぽろと集まっている。
どちらかが言い出すわけでもなく、4~5トエム程の距離をとってお互いに向かい合った。
……しかし、正直ちょっとやっちまったかなという気がしないでもない。
相対してみて分かったが、この小太りの男、用心棒をしていただけあってかなり腕が立ちそうだ。
細身の長剣を抜いて右手でだらりと下げているが、その時点で隙がない。
両の足を肩幅ほどに開いた自然体で、これから勝負が始まるというのに力のこもった様子もない。
対するこちらは、魔法で急ごしらえに作った70セメトほどの石の棒。硬度は上げてあるので折れる心配はないと思う。
それを右手で持ち、左手の掌にぽんぽんと打ち付けながら様子を見る。
いつしか周りの見物人も増え、店からはジュリア婆さんを筆頭に男衆が3人。女の子たちも2階3階の窓を開けて事の成り行きを見守っている。
しばしの睨み合いののちに、先に男が動いた。
低く身をかがめると、細身の剣を突き出して一気に距離を詰めてきた。
対するこちらは左足を後ろに引き、右足を前にした半身の構えで迎え撃つ。
幸い、リーチの長さはこちらに分がある。左足を引いた際に振りかぶった石棒を、相手の右肩に振り下ろした。
しかし相手は横に飛んでそれを躱す。石棒の先端が相手の体をかすめるが、僅かに距離が足りない。よく見てやがんな。
相手は飛んだ勢いで膝のバネを溜め、再び突きかかってくる。
こちらも向きを変えて突きで返すと、相手はまた横に飛んで躱す。小太りの相手が身をかがめて跳ね回る姿ってのは……なんか、弾むボールを連想させるのは気のせいか。
そんな応酬が繰り返され、俺が時計回りに3/4周ほどその場で回ったあたりで流れが変わった。
繰り出した俺の石棒の突きを、相手は横ではなく前に低く飛んで懐に飛び込んできた。
身を捻って長剣の切っ先を躱すが、完全に避けきれずに服が切られる感触がした。
その上間合いがほぼゼロ距離となり、長剣が使えなくなるや否や、相手は長剣から手を離し左手で腰から短剣を引き抜きざまに切り付けてきた。
「そいつは短剣で喉を掻っ切るのが得意技だよ!気をつけな!!」
ジュリア婆さんから助言が飛ぶが、そういう事はもっと早く言って欲しかった。
懐に入られた状態で、左に右にと短剣を持ち替えられつつ容赦なく繰り出される攻撃に、ロクな反撃も出来ずに刻まれる俺。
今のところ大きな傷は受けていないが、服はかなり切り裂かれあちこちに血が滲み始める。
ゼロ距離では邪魔にしかならない石棒を捨てて無手になると、周りの見物人からは悲鳴が上がり相手はニヤリと顔をゆがめた。
「どうした!勝負を捨てたか!!」
「まさか」
相手の勝ち誇ったような声に、こちらも不敵な笑みを浮かべて答える。
「長剣を捨てた時点で、お前の勝ちはなくなったんだよ」
「ほざけ!!」
突き出してきた短剣を、打ち払うのではなくあえて左腕で受け止める。焼け火箸を突っ込まれるような痛みを気力でねじ伏せ、動きの止まった相手の右腕をがしりと掴んだ。
「むんっ」
気合いを入れて力を込めると、ゴボキッ、という音とともに、短剣を持った相手の右腕が握りつぶされた。虎男の握力舐めんなよ。
「あぎゃぁぁあああああ!!」
相手が目を見開いて絶叫を上げる。
「腕、俺の腕がぁぁああ!ゲブゥ」
至近距離で叫ばれてうるさいので、離した右手で即座に相手の顔面を殴りつけて黙らせた。
相手が地べたに倒れてやっと静かになったところで、呼ばれたらしい衛視がようやく姿を見せた。というかこのタイミング、実は様子を伺ってたな?
「……またおたくですか。話を聞かせてもらいますよ」
そう言って苦笑いを浮かべる衛視たちに、こちらもボロボロの服のままで苦笑いを返した。