閨姫の病8
―――前回までのあらすじ――――――
店の娼婦の所に何日も居続けた男が対価に払おうとした特級葡萄酒はやはり偽物だった。
男の処分は店に任せるが、葡萄酒の鑑定に来たリヒュードにはちょっと残ってもらうことにした。
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-1-
リヒュードに残ってもらったのは、この世界の酒について聞きたかったからだ。
商会で酒の売買を統括しているなら、珍しい酒にも詳しかろうと踏んだわけだ。
エール、葡萄酒、蜂蜜酒、焼酒(蒸留酒)は一通り飲んできたが、折角の異世界、やはり異世界ならではの酒というものがあるなら飲んでみたいと思うのは酒呑みの常だ。
「……という具合でさ、全くの興味本位になるんだが、珍しい酒とか知ってたら教えて欲しいんだ」
「なるほど、でしたらご希望に応えられるかと思います」
俺の求めにリヒュードは笑顔で頷いた。
「まず、この辺りではエール、葡萄酒、蜂蜜酒、焼酒が一般的なのはご存じですね?」
「ああ」
「それ以外となりますと、半人馬や遊牧民の間で飲まれている乳酒、南方の沿海部で飲まれているココナッツ酒などがありますね。
あとは砂糖の産地では糖蜜から作る酒もございます」
「ほぅ」
乳酒は前世で聞いたことあるがこっちでもあるんだな。ココナッツ酒は初耳だが……ココナッツミルクの酒か、ヤシ酒みたいなもんか?
糖蜜から作る酒は、ラム酒の前身だな。
「ちなみに米を使った酒というのはないか?」
ちょっと期待しながら聞いてみた。米があるならそれを材料にした酒も存在するはず。
穀物や芋などのでんぷん質を主食にしているなら、ほぼ確実にそれを使った酒が存在するのは地球の人類の歴史と文化が証明している。
己の食い扶持を削ってでも酒にぶっこむのは、人類の悲しいサガでもあり愛すべき習性でもある。
下戸の人間からすれば想像も納得もしがたいだろうが、人間てのは基本的に酒呑みなのよ。
「ええ。白濁した酒がありますが、酸味が強くあまり質は良くないですね。ですから取り寄せて飲むほどのものでは……」
俺の質問にリヒュードが苦笑しながら答えてくれた。白濁した酒というと、濁り酒だな。どぶろくみたいなもんか。
あれはあれで美味いもんだが、こっちじゃ酸味が強いのかよ。まぁ現代の日本酒みたいなレベルは期待していなかったが、酸っぱいのはどうもな……。
「亜人が作る酒ってのはあるのかな?」
ちょっと目先を変えて再度尋ねてみる。エルフやドワーフあたりなら作ってそうな気がするんだが。
「ええ、もちろんございますよ」
リヒュードが頷いた。
「比較的入手しやすいのはエルフの果実酒とドワーフの火吹酒ですね。当商会でもたまに取り扱うことがございます。
どちらも良い品なのですが、果実酒の方はそもそも作られる量が少なく、火吹酒のほうは作られた端からドワーフの間で消費されてしまうのであまり人間の街には回ってこないですね」
「なるほど」
「それから入手の難易度は格段に跳ね上がりますが、妖精が花の蜜から作るという蜜酒と、古竜酒というものがございます」
「ほぅ、妖精や竜も酒を作るのか」
「はい。ただ、妖精は会うこと自体が難しいですし、酒も一部の物好きが趣味で作る程度らしいので、滅多なことでは出回りませんね。ウチでも過去に扱ったのは数えるほどだったと記憶しております。
古竜酒にいたっては昔話の域でして、過去の記録で名前こそは知っていても実際に取り扱ったり飲んだことがある者は……という代物です。
また、古い文献には神々の間でだけ飲まれる神酒というものも出てくるそうですが、これはもうおとぎ話の領域でしょうね」
「ふむ、それは興味深いな。機会があれば飲んでみたいもんだ」
「まったくです。妖精の蜜酒もですが、古竜酒や神酒を味わうのは酒呑みの夢でもありますね」
そう言ってお互い笑いあう。
「そういやふと思ったんだが、緑小鬼や豚鬼なんかは酒は作らんのかな?」
ちらと浮かんだ疑問を口にしてみた。
「緑小鬼や豚鬼、赤大鬼を討伐に行った冒険者が、酒精の匂いのする「酒らしきもの」を巣穴や拠点で見たという話は聞いたことがございます。木の実や雑穀を原料にしたのでしょうが……飲みたいと思われますか?」
「…………いや、思わねぇな」
緑小鬼や豚鬼たちの醜悪な風貌を思い出して首を振る。どう贔屓目に見ても美味いとは思えんし、ヘタに飲んだらハラ壊しそうだ。
しかも、もしその酒が口噛み酒だったら、と思うと身震いがする。そしてその可能性は決して低いものじゃない。
緑小鬼が噛んで吐き出して作った酒を飲むなんざ、飲酒ではなく拷問だ。
「ただ例外もございまして、犬小鬼が作るどんぐり酒と蜥蜴人が作る樹液酒は、人間にも飲める程度の物が作られていまして、野趣あふれる風味を好む方もおられます。
ただ、入手する手段はかなり限られますね」
「ほう、そうなんか」
そういえば蜥蜴人のジューワックたちと旅をしたときに酒の話は出なかったな。近くに行くようなことがあったら顔を出して聞いてみるか。
作ってないとしても、森の迷宮やその近辺で甘い樹液が採取できるなら、提案してみるのもいいかもしれん。
「ディーゴ様は冒険者でしたね?酒類に興味がおありでしたら、一度、グレンカートとハルバの街を訪れることをお勧めします」
「グレンカートとハルバ?」
いきなり話が変わり、聞いたことのない地名が出てきたので首を傾げる。
「はい。グレンカートの街は別名『醸造都市』と呼ばれてまして、そこの領主様の方針で質のいい葡萄酒が作られ集まるところなのです。葡萄酒以外にも様々な酒が集まりまして、あそこに行けば帝国内で飲まれている酒がほぼすべて揃う、と言われています。
ハルバの街は『迷宮都市』と言った方が通じると思います。迷宮を探索していると宝物として酒が手に入ることがあるそうなのですが、どれも1級品と言われています。迷宮産の酒といえば一つのジャンルになるほどですよ。どちらの街もここからはいささか距離がありますが、一度は訪れて損はないところです」
「なるほど。ならば一度は行ってみなきゃならんな」
旅の目的地が増えたわ。冒険者のランクが上がって稼ぎに余裕ができたら行ってみよう。
「いや、色々といい情報を教えてもらった。礼を言わせてもらうよ。代わりと言っちゃなんだが、俺からもちょっと話をさせてもらおうかな」
「ほう、なにか耳寄りな話がございますか?」
「耳寄りかどうかは分からんが、新しい酒についてだ」
と前置きして、セルリ村でこの間味わったリンゴ酒と、昨年に自宅と石巨人亭で仕込んだ貯蔵酒のことを話しておいた。
リンゴ酒の方はまだ試しに仕込んだ程度と思うので買い付けるほどの量はないだろうが、味だけでも知っておけば商売に繋がることもあるだろう。
貯蔵酒については俺の知っている限りのことを話し、中古の葡萄酒樽、内側を軽く焼き焦がした新樽、それなりに強めに焼き焦がした新樽の3種類で貯蔵してみることを提案しておいた。
俺と石巨人亭だけじゃ、試す量に限りがあるしな。
「なるほど、リンゴ酒と貯蔵酒ですか。それは興味深いですね」
「リンゴ酒の方は俺の名前を出せば話がしやすいと思う。まだ作り始めたばかりだから、酒のプロから見た問題点を指摘してくれると助かる」
「わかりました。さっそく動かせてもらうことにします。有益なお話、ありがとうございました」
そう礼を言い残すと、リヒュードは帰っていった。
-2-
リヒュードが帰った後、待合室で一人、話の内容を反芻する。
長い時間ではなかったが、話の内容は大変に有意義なものだった。
迷宮酒に妖精や竜の酒ねぇ……どんな味がするのやら、と想像が膨らむ。
まぁその分、値も張るんだろうけどな。
そう結論付けたところで意識を切り替えて、用心棒の本業に戻る。
揉め事のせいで開店時間が少しずれこんだが、まぁ平日の昼間なのでさしたる影響はなさそうだ。
ぽつりぽつりと訪れる客をなんとなく眺めていると、夕方が近くなった頃合いにちょっと気になる客?が入ってきた。
男の3人組だが、そろいも揃って大人というにはまだ微妙に早い年齢の子供?たちだ。
店員のギューが3人について話しかけてはいるが、どうも困ったような雰囲気を出していた。
「何かあったか?」
声をかけつつギューの隣に立つと、3人組は俺を見てびくりと体を震わせた。
「ああ先生。この3人がウチで遊びたいらしいんですが……」
ギューが俺を振り返りながら、ちょっと困った顔をして見せた。その向こうで3人組がたがいに囁き合う声が聞こえる。
「……だから、やっぱり今日じゃなくて別の日にしようよ」
「ここまで来て帰るわけにもいかないだろ。店の前じゃ乗り気だったじゃないか」
「でもこの店、本当に大丈夫なの?」
「大丈夫だって、メルゼンさんはここが行きつけらしいんだから」
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なんとなく分かった。
これは3人揃って卒業しに来たんだな、と。初々しいねぇ。
甘酸っぱい顔でギューを見返すと、ギューも囁きを聞いて察したのか苦笑を浮かべた。
「兄さんたち、ここまで来たらもう後戻りはできないよ。覚悟を決めて遊んできな」
「そういうこった。こういう店はな、勢いってのが大事なんだ。表で見て気に入った娘はいたかい?」
俺の質問に3人がそれぞれ顔を赤くしながら頷く。
「じゃあ、この兄さんに気に入った娘の名を言ってやりな。ちなみに予算はどれほどだ?」
「3人でこれだけ持ってきた」
そう言って一人が財布を差し出すと、ギューが受け取って中身を調べた。
「……銀貨と半銀貨、銅貨ばかりだな。この額じゃ一人分が精々だ」
「それは困る。俺たちは3人一緒にと誓い合ってきたんだ」
誓い合うとはまた大仰な、と思ったが、ここは空気を呼んで黙っておく。
「とは言ってもねぇ……この額で3人となると、外の立ちんぼくらいしかないぜ?」
ギューの宣告に落胆の表情を見せる3人。とはいえギューもここは引くわけにはいかない。
「参考までに聞くが、3人はそれぞれ誰を希望だい?」
「俺はサンドラさんがいい」
「僕はファニーさん」
「できればヒルデさんが」
俺の問いに3人がそれぞれ答える。
……ふむ、名前の出た3人ともこの店では一番安いコスモスランクのおねえちゃんたちだな。
頭の中でそろばんを弾くと、ギューを引っ張って待合室の隅に移動した。
「(小声で)あの3人だがな、勘定は俺が持つわ。3人それぞれ目一杯まで遊ばせてやってくれ」
「(小声で)そりゃウチとしちゃ有難いですが……いいんですか?」
「(小声で)若いのが勇気と小遣い振り絞って来てんだ、背中押してやるのも大人の役目かと思ってな。まぁ今回だけだ、次はねぇよ」
「(小声で)まぁ先生がそこまで言うんでしたら……」
ギューが頷いたのを見て、俺と一緒に3人の所に戻る。
「兄さんがた運がいいな。この虎の先生が特別に兄さんがたの代金を持ってくれるってよ」
「「「ホントですか!?」」」
3人の声がハモる。
「ああ。その代わり、今日用意してきた金は全額俺が貰うし、次は正規の料金を貰うからな」
「「「ありがとうございます!!」」」
「じゃあギュー、あとよろしくな」
「分かりました。って、先生は?」
3人とギューを残して待合室から出ていこうとする俺に、ギューが尋ねてきた。
「喉乾いたんで台所でなにか飲んでくる」
そう言い残すと、俺は一人台所へと向かった。まぁぶっちゃけ喉なんか乾いていない、ただの照れ隠しなんだけどな。