閨姫の病5
―――前回までのあらすじ――――――
今日も今日とて用心棒の仕事。
しかし微妙に困ったことが起きていた。
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-1-
赤色ヒバリで大立ち回りをした日、昼にはまだかなり早い時間に目を覚ますと、着替え一式をぶら下げて風呂屋を訪問した。
戻ってきたのが明け方では、店の風呂の湯も冷たくなっているだろうし、俺一人の為に湯を沸かしてもらうのも気が引けた。
風呂屋の帰りに、昨夜食いそびれた夜食と今朝の朝食分を適当な露店の立ち食いで済ませ、微笑む雪娘に戻る。
遅くなって悪いが、と洗濯物を渡して待合室の定位置に陣取ると、ジュリア婆さんが顔を見せた。
「昨日はご苦労だったね。キッチリ代金も回収してきたんだって?赤色ヒバリの店主が礼を言ってたよ」
「まぁ額が額だからな。だが衛視が取り立てを手伝ってくれたのはちっと予想外だったが」
「支払いでもめることは結構多いのさ。ま、衛視も人の子という事さね」
ジュリア婆さんはそう言ってニヤリと笑うと、奥に引っ込んだ。はっきりとは言わなかったが、なんとなく察しはついた。
それについて突つくのは用心棒の範疇を越えているし、それで衛視が味方になるなら俺にとっても損はないので、黙っていることにした。
で、昨日と同じように待合室での待機が始まったわけだが……ちょっと困ったことが起きていた。
昨夜、街の中で樹の精霊魔法をぶっ放したせいで、日頃、街中では寝ていることが多いイツキさんが目を覚ましてしまったのよ。
ユニたちとパーティーを組んだばかりというのに個人で依頼を受けていることに興味を持ったらしく、根掘り葉掘りと質問されてねぇ……。
娼婦の仕事内容とか娼館の存在意義とかを説明する言葉を選ぶのに、脳味噌をフル回転させる必要に陥ったわけだ。
なにせこのイツキさん、森の中の大樹の精霊だけあって、そっち方面は森に棲む鳥や動物や昆虫を基にした、かなりあやふやで浅い知識しかないらしい。
まぁこの世界の精霊は生殖活動を必要としないみたいだし、そもそも精霊に正しい性教育を施す存在がいるとも思えん。
迂闊な説明をした挙句、下手に興味を持たれて「じゃあ、試してみたい」とか言い出されるのが一番怖い。
基本的に精霊というのは、素質があるか相応の訓練をしないと見ることができないし、そうやって姿を見ることができても触ることができない幽霊みたいなものだ。
ただ、イツキのように人間に憑いている精霊になると話が変わってくる。
普通に誰の目にも見えるようになるし、当人の意識次第で実体を持つこともできる。実際、ウチのイツキは酒も飲むし料理もつまむ。
そういうのを駆使すれば、精霊と人間の間でも閨の真似事くらいは出来そうなのがまた困ったところでよぅ。
でもそういうのは何か違うんだよ俺的には。
「ふぅん、こういうのがいいんだ?」系のプレイはちょっと俺の趣味じゃない。
この世界に来てからずっと清い生活を強いられているとはいえ、そこら辺はまだプライドというか矜持が残っててね。
そんなわけで、なんとなく腕を組んだ状態で目を閉じてイツキとの会話(念話)に専念していたのだが、どうもそれを見た周りには「機嫌が悪い」と誤解されてしまったようで。
昨夜の容赦のない大立ち回りの一件もあって、一緒にいる店員のエイドや温かい飲み物を持ってきてくれた下働きの女の子に随分と怖い思いをさせてしまったらしい。
後になって恐る恐る聞いてきたエイドに事情を説明したら爆笑された。
一言も発さずにずっと難しい顔をして、時々眉間にしわを寄せたりしていたから、下働きの女の子は俺に声をかけられずにずっともじもじしていたそうだ。
……あとで女の子にも謝っておこう。
「これから来客のピークが来るから、早めに夕食を済ませな」とジュリア婆さんのお達しがあり、用意された早めの夕食を急いでかっこむ。
そうか、今日は週末で明日は世間様は休みだったな。週払いの職場なら給料日だし。
揉め事が起こるかは分からんが、気を付けてはいた方がいいだろう。
待合室に戻ってすこし経つと、なるほど確かに来客が増えてきた。
店員のエイドだけでは捌ききれずに、ジュリア婆さんも出てきて接客をしている。指名の女の子が被ったのか、待合室で待機する客も出始めた。
だがまぁ、今のところはこれといってガラの悪そうな客は来ていない。
一戦終えて店を出ていく客も出てきているが、延長とかはしていないのか追加料金を払うこともなく挨拶だけで店を後にしている。
客の出入りは日付が変わる時刻近くまで続いたが、結局この日は特に揉め事は起きなかった。
-2-
翌朝。
昨夜の泊り客を送り出すと娼館は休みに入るが、別の意味で忙しくもなる。
娼婦のおねえちゃんたちにとってはつかの間の休息であり自由時間でもあるが、男衆や下働きの女の子たちにとってはこれからが修羅場だ。
娼館内の掃除や大量に出た汚れものの洗濯、昼食や夕食の下ごしらえ等が待っている。
そしてジュリア婆さんは昨日から今朝にかけての売り上げの金勘定と、従業員たちへの指示で忙しい。
そんななかで、仕事を手伝いもせずゴロゴロしてるのはいささか気が引けるので、野暮用を済ましてくるという名目をでっちあげて外に出た。
……心情的には、掃除くらいなら手伝ってやってもいいんだが、コワモテなイメージの用心棒がせっせと箒掛けやモップ掛けしてるのを外から見られるのもあまりよろしくないだろうし、一つ手伝うと次から次へとジュリア婆さんに雑用を言いつけられそうでね。
あてもなく街の中をぶらぶらと歩きまわり、適当に時間を潰したのちに娼館に戻ると、昼食を頂いて午後からの営業に備える。
休日の午後というだけあってぽつぽつと客は入る。
でも、休日の今の時間帯は通りを歩いて女の子を見るだけの冷やかしが圧倒的に多い、とギューが教えてくれた。
店の中の待合室にいるので通りの様子は分からないが、客の出入りに合わせて開かれる扉越しに見た感じでは、確かにそれなりに人通りは多そうだ。
これはアレか、海外の飾り窓とかを観光でうろつくようなもんか。実際に行ったことはないけど。
あとはひたすら時間を潰す。
起きた揉め事といえば、何か勘違いした中年男が一人「この店の前で財布を掏られた」と飛び込んできたことくらいか。
掏られたことはご愁傷さまだが、ウチは春を売る店で衛視詰め所じゃないのよ。
中年男はギューや俺になんとかしてくれと泣きついてきたが、現場に居合わせてもいない衛視でもない人間に言われてもなぁ……まぁ、近くの衛視詰め所の場所を教えてそこに行ってくれと送り出しはしたが、まず財布の金は戻ってくるまい。
基本的に掏りというのは現行犯逮捕が前提だからな。
衛視としても話だけ聞いてそれで終わりだろう。慰めの言葉がついてくるなら御の字だ。
そんな一幕はあったが、店としては何らトラブルもなく夜の営業へと移った。
風俗=夜というイメージはこちらでも共通なのか、日中よりは客が増えて今日もジュリア婆さんとギューの2人態勢で客の応対をしている。
でも昨日ほどの忙しさではないようだ。
早々に来客のピークが過ぎ、応援に出ていたジュリア婆さんが引っ込む段になって俺の隣に寄ってきた。
「……少し前にエリンのところに泊りで上がった客だけどねぇ、ちょっと気を付けたほうがいいかもしれないね」
小声でジュリア婆さんがそう囁いてきた。といわれても、その客がどんな客だったか分からんのだが。
ちなみにエリンというのはこの店で一番高いユリのランクの娼婦だ。最高ランクのバラには1歩及ばないものの、指名するにも1級市民以上の身分が必要で、値段も割とお高めになっている。
「なんか怪しい素振りでもあったか?」
「いや、強いて言うならあたしの勘だね」
俺の質問に、ジュリア婆さんがなんとも返答に困る回答をしてみせる。
「……ま、それとなく注意はしておこう」
仕方なくそう答えて頷いて見せると、ジュリア婆さんは満足したように去って行った。
まぁこういう場所で数多くの男を見てきた婆さんの勘だから、大外れということはないのだろうが……いったい何が起こるやら。
今日の夜に来た客の顔を思い出しながら一人考えに耽るも、その答えが出ることはなかった。
そして翌朝、朝食の席でそれとなくエリンの客について聞いてみたが、どうもこの店には初めて来た客で今日も延長して滞在を続けるらしい。
それを聞いて少し警戒レベルが上がる。
延長ということは追加料金が発生するし、一見の客は馴染み客に比べて揉め事を起こす確率が高いという。
……こりゃ、揉め事が起こるとすれば暴力沙汰よりも支払い関係かね?
そんな風に予想しながら朝食をすませて早めに店を出た。
昨夜の泊り客はエリンの客だけな上に延長と言われているので、今朝に限れば送り出す客がいないからだ。
それに今日は新調する鎧の仮縫いというか調整の予定が入っている。
一度屋敷に戻って鎧下を用意し、その足でドワンゴ親方の防具屋に向かった。
-3-
「おう、来おったな」
ドワンゴ親方の店に入ると、親方が出迎えてくれた。
「ちょっと早かったけど大丈夫だったかな?」
「できるところまでは昨日のうちに済ませておる。早速始めるぞ」
そう言ってドワンゴ親方が作りかけの鎧を持ってきた。
大まかな形は出来上がっているが、内側に貼り付ける小札は背面の部分くらいしか取り付けられていない。
鎧下に着替えたうえで、作りかけの鎧を重ね着する。
その状態で店内を歩き回ったり、身体を動かしたりして細かいところをドワンゴ親方が調べて回る。
「軟革鎧に比べると着心地が大分違うじゃろ」
「だな。軟革鎧はまだ服の延長みたいな感じが残ってたけど、硬革鎧だとさすがに鎧っぽくなってくる」
「前の鎧の具合から、お前さんの戦いの中でも動きは大まかに予想がつく。まぁその辺は支障がないように調整するから安心せい」
「そりゃ助かる」
小一時間ほどかけて調整が必要な所を調べ終えると、鎧と鎧下を脱いで平服に着替え直した。
「次は3日後の30日に再調整じゃ。来るとしたらこの時間か?」
「そうだな。またこの時間になると思う。というか、この時間しか空いてねーのよ」
なにせ昼過ぎから日付が変わるまで詰めっぱなしだからな。
「ならこの時間は空けておこう。もう帰っていいぞ」
「了解。じゃあ、よろしく頼むよ」
ドワンゴ親方に後を頼んで、さっさと娼館に戻る。
屋敷に寄って鎧下を戻している時間はないし、どうせ3日後にまた必要になるし。
娼館に戻って昼食を済ませると、また退屈な用心棒の仕事が始まった。