閑話 教会にやってきた悪魔
―――まえがき――――――
今回は別の視点からの話です。
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-1-
「エランド様、私は納得がいきません!あのような者と共に酒を飲もうなどと!!」
私は今、付き人と護衛を兼ねる助祭のクランヴェルに詰め寄られていた。
おっと、自己紹介がまだであったな。私はエランド。元は冒険者で今は帝都の天の教会に所属する高司祭の一人だ。
今、私が詰め寄られているのは、先ほど訪れた御仁に理由がある。
緑小鬼に捕らえられていたという女性3人を荷車に乗せて、天の教会に併設される施療院にやってきた御仁なのだが、その容姿というか種族にいささか問題があった。
直立して二足歩行する虎のような、明らかに人間や亜人とは異なる風貌だったのだ。
「まぁ落ち着きなさい。施療院の中でそう大きな声を出すものではない」
クランヴェルをなだめつつ、過去の記憶や知識から、かの御仁の種族を推測する。
「確かにあの御仁、人虎か、あるいは……話で聞いた獣牙という悪魔やも知れんな。いや、むしろ共にいた娘を考えると後者の方がしっくりくるか」
思い当たる予想を口にする。
「え、娘のほう、ですか?それは、あのような者と行動を共にしているなら、まっとうな人間とは思えませんが……」
「そなたは気付かんかったか?あの娘、部分的に弱い変化の魔法をまとっておった。普通は全身丸ごとまとうものだが、部分を限定して弱くすることで感知されにくくしておる。そして私は、そういう魔法の使い方をする者に覚えがある」
「……まさか」
クランヴェルはごくりと唾を飲み込んだ。天に限らず教会のものが忌み嫌う、討伐すべき対象。
人間を堕落させ、魂を刈り取るという憎むべき敵。
「そう。特徴である角と翼と尻尾を隠し、人間を装う、淫魔のやり方だ」
「でしたらなおのこと!すぐに教会の者を集めて討伐を!!」
虎の御仁に付き従っていた娘の正体を指摘すると、クランヴェルは再び声を荒げた。
やれやれ、正義感が強いのは悪いことではないが、いささか視野が狭すぎる。目の前のことにしか考えが至っておらぬのは、ちとよろしくない。
「まぁ待ちなさい」
私は一つため息をつくと、未熟な付き人をなだめにかかった。
「ディーゴと名乗ったが、あの御仁、この街の名誉市民でもあるのはそなたも聞いたであろう?」
「……はい」
「名誉市民ともなれば領主が叙任する末席とはいえ貴族の一員だ。叙任に当たっては領主と顔も合わせていよう。いうなればあの虎の御仁は領主公認の存在よ。
いかなる理由であれ、そのような者を我らの一存で害せば、こちらの領主が敵に回るぞ?」
「しかし……」
「それにここの司教からも軽く釘を刺されておる。人とは異なる見た目なれど、害がないどころかこの街に大きな益をもたらしてくれた者なので、早まった真似はしないで欲しい、とな。
ここだけの話だが、この街の教会もかの御仁がこの街に住み始めてから、それとなく監視をつけていたそうだ。
その結果、普通の市民と変わらず何の落ち度も問題も見つからなかったそうだ」
私はそこまで言うと、白湯を少し口に含んで言葉を続けた。
「……かの虎の御仁の冒険者手帳を見せてもらったが、まっとうな依頼しか受けておらんようだし、依頼人を十分以上に満足させたという『大いなる感謝を込めて』と書かれた回数も多い。冒険者の経歴を見るならば、当時の私以上にできた冒険者だよ」
「ですが、相手が悪魔ならそのくらいの演技はしてのけるのでは?」
「まぁそこまで疑ってしまえば否定はしきれぬがな、あの虎の御仁がこの街に住むようになって少なくとも半年以上が経っておる。それだけの間一つのボロも出さずに演技を続けてきたというのならそれはそれで大したものだし、実際何の問題も起こしておらん。むしろ今回に至っては、3人の治療費にと大白金貨を10枚も出してきた。
名誉市民の義務と見栄、と、言っておったが、それでも破格の額よ。施療院としても大きな助けになろう。向こうに下心や打算があったにせよ、その厚意を土足で踏みつけ討伐隊を組織して差し向けるのは、神に仕える者以前に、人としていかがなものかと思うがな」
「……それでも相手は悪魔ではありませんか。教会、いや人類にとって忌むべき敵ではないのですか?」
クランヴェルが噛みしめるように尋ねてきた。確かに教会では悪魔は誅すべき存在と教えられておる。だがな……
「いかにも私が今まで対峙してきた悪魔はいずれも唾棄すべき相手だったが……どうにもあの虎の御仁は、見た目にそぐわぬまっとうな人物のような気がしてならんのだよ。
外見や出自に惑わされてはならぬ、と、教会の教えにもある。その教えに従うならば、一度膝を突き合わせて忌憚なく話し合ってみるべきであろう。
幸い話の通じそうな御仁だし、それに酒が入れば本音も出やすかろうて」
「……それはエランド様が飲みたいだけでは?」
うむ、見透かされておったか。だがまぁ、酒は私の数少ない楽しみの一つだからな。
-2-
数日後、また虎の御仁が施療院にやってきた。
今回の一件にひとまずの決着がついたので、それを報告に来たそうだ。
私らは診察中だったので、言付けだけで一度帰ったそうだが、また来たときに実際に酒に加えて料理まで持参してくれたのはちと予想外だった。
だがこの持参してくれた料理、私どもにはありがたいが、教会の他の者にはいささか目の毒だな。
教会の食堂の一角に店が広げられ報告会が始まったが、虎の御仁は私の指摘にあっさりと自分と連れていた娘が悪魔であることを認めた。
だが、続けられた話は予想外のものであった。
この虎の御仁、中身は異なる世界の人間で、この世界に来た時に虎の姿になったのだとか。
にわかには信じられない話だが、嘘を言っているようには見えんし、話のつじつまも合っている。なにより、異なる世界というものに心当たりもある。
記憶をもとに話に出した「ヤスケ」という人物に食いつきを見せて、こちらの知らぬ話を出してきたからには、その場で思いついた嘘ということも考えにくい。
その場では確証が持てなかったので覚えていないと答えはしたが、「オダ」「アケチ」という単語は、以前に耳にした記憶があるような気がした。
ここで虎の御仁の正体についてはいったん棚上げし、料理を肴に緑小鬼の件を報告してもらった。
……まぁ内容は予想通りといえば予想通りであった。
アモル王国による襲撃の規模が思っていたより大きかったが、騎士団、衛視隊、冒険者たちが協力して事前に動いたのであれば、よほどのことがない限り被害は未然か最小限に抑えられよう。
街や国によってはそれぞれの組織が手柄や利益などを巡って反目しあっていたりするのだが、この街ではお互いによい関係が築かれているようだ。
報告が済むと今度は逆に3人の女性のことを訊ねられたので答えておいた。
3人の処遇について、外見に似合わずふと気弱なことを漏らしてきたのは、正直に申せば意外ではあったな。
だがその一方で、それだけ3人のことを真剣に考えている証左でもあろう。
施設に預けて終わりとしてしまい、後は知らんぷりを決め込む親族も少なくない。ましてや縁もゆかりもない人間ならば尚更であろう。
私なりに背中を押してやったら納得してくれたようで、深々と頭を下げられたよ。ふ、ふ、まさか悪魔を諭して感謝される日が来ようとはな。
後は私の興味に基づいた、雑談のような時間だな。
買ってきてくれた葡萄酒もなかなか悪くないが、淫魔の娘が作ったという料理もまた旨い。
ありふれた材料を使った料理だが、この辺りの帝国風とは違う味付けが珍しさと新しい驚きを誘う。なんでも悪魔たちが住まう魔界ではこのような味付けなのだとか。
料理にさりげなく加えられている飾りやひと手間が、食べる者を喜ばせる。
美味しく食べてもらおうという作り手の気持ちが、押しつけがましくない範囲で伝わってくる良い品々だ。
料理が旨ければ、それに伴って酒も進む。
酒量が増えることで口も滑らかになったのか、虎の御仁はこちらの問いにもすらすらと答えてくれた。
当初は、虎のような姿に加えて言葉も通じなかったとあって、相応の誤解や苦労を強いられたようだが、それでも人間に仇なす存在とならずに人里に迎えられるべく努力を続けたのは、悪魔らしからぬ行動といえよう。
その後に作ったという数々の品も、異なる世界の存在を裏付けるものであった。
だが、短い期間でこれだけの数の品を作ってきた事実にいささかの危惧を覚えた私は、率直にその危惧をぶつけてみた。
しかし、返ってきた答は、完全にとはいかないまでも私の心配の大部分を拭い去るに十分なものだった。
「この世界を気に入っている。この世界の良さを大事にしていきたい」
そう言って浮かべた笑顔に、偽りの陰は感じ取れなかった。
こちらの警戒がほぼなくなったと感じたらしい虎の御仁は、その後もいくつか異世界の話をしてくれた。
なかでも、用を足した後に湯で洗ってくれるトイレなど想像もしたことがなかったが、そのようなことにさえ快適を求める凝り性な国民だ、と言われてニホンという国が羨ましく思えたのも事実だな。一般市民のトイレでさえそうなのだから、いち市民の日常生活であってもこちらの王侯貴族以上に快適な暮らしを送っているのであろう。
それに、トイレのような些末なことにまで気が回るというのは、それだけ社会が平和で豊かなことの証拠でもある。戦乱に明け暮れ、日々の生活を送るだけで精一杯ならば、とてもトイレの快適性にまで気を回す余裕はない。極端な話、人に見られないところでこっそりすませればそれで事足りるものだから。
それに続いて話してくれた、聖歌というものも興味深かった。
こちらにも歌は存在するが、農民や漁民などが作業を行いながら歌う労作歌や、吟遊詩人の弾き語り、あとは子守歌や子供が歌う戯れ歌が一般的で、宗教に絡んだ歌というものは言われてみれば確かにない。
経典を読み上げる際に、節や抑揚をつけることもあるが、これはとても歌とは言えない。
一部の地方では、聞く者に魔法のような効果を与える魔歌とか呪歌というものが伝えられているそうだが、これは宗教とは関係なく一般的とも言えなかろう。
ともあれ、神の御業や経典の一節に曲をつけて歌にする、という着想は今までになかったものだ。
一緒に話してくれた聖歌隊というものを組織して儀式のときに歌うならば、確かにこれは絵にもなるし評判にもなろう。
ここまで聞いた時点で、なんとなくだが虎の御仁の意図に気が付いた。
話の流れもあるが、ただの世間話として聖歌などを話題に乗せたわけではあるまい。
天の教会は悪魔に対して厳しい。破格ともいえる大白金貨10枚の治療費も、こうやって人を集めることができるものを提案することも、教会に対して恩を売り、予防線を張ることが目的なのであろう。
人間に対して実害がなく、自分らに利益をもたらした相手ならば、天の教会といえども悪魔というだけで積極的に討伐隊を送り込むことは躊躇する。
「彼は無害だ」と庇ってくれる味方にまではならずとも、「もう少し様子を見よう」と消極的になってくれるだけで虎の御仁の目的は果たされる。
翻って教会はどうか。
もし、教義に忠実に則り、この御仁に討伐隊を差し向ければ、この御仁から利益を受けた者は天の教会に対しそっぽを向くであろう。
この街の領主も態度を硬化させるだろうし、この街の天の教会にも悪影響が及ぶことは想像に難くない。
逆に討伐隊を差し向けて得られるものといえば、一部の過激派からのわずかな支持がいいところだ。いや、その支持すらも得られるかどうか怪しいと言わざるを得ない。
過激派からすれば、悪魔討伐という至極当然のことをしただけなのだから、恩にさえ感じない可能性も十二分にあり得る。過激派とはそういう集団だ。
討伐隊を差し向けることで得られる物に対し、払うことになる代償が大きすぎる。とても割に合うものではない。
ではこのまま見逃した場合はどうか。
帝都の大教会はかなり高い確率で聖歌と聖歌隊を採用するだろう。そしてそれらは総本山も習って導入するかもしれない。ステンドグラスも然り。
悪魔からの提案だが、聖歌にしろステンドグラスにしろ、教会の教義に背く要素は一切ない。むしろ天の教会の教義を広める一助になる。
これらは天の教会にとって大きな益になるだろう。
逆に過激派は不満を募らせようが、そもそも過激派はいつも何かに不満を述べている。不満の種が1つ2つ増えたところでその影響は些細なものだ。
それに、こちらが正体を吹聴して回らなければ、過激派とて正体に気付かないので不満を述べようもない。
悪魔が提案した、という点は問題にされるかもしれないが、別に提案主の正体や絵姿を公表しなければならない義務も習慣もないので、これは黙っていれば済む話だ。
(……秤にかけるまでもないか)
幸い、虎の御仁の正体を帝都の大教会で知る者はほとんどいない。
この街に来るにあたって、落成式に出席した同輩の司祭とも話したが、彼も虎の御仁の正体については口をつぐんでいた。
ならば私もそれに倣おう。追及されれば答えはするが、自ら進んで話すことはすまい。理由は後でどうとでも付けられる。
クランヴェルについては、帰り道にでも説得しよう。旨い料理と酒の礼と思えば、大したことではない。
私は一人そう結論付けると、再び料理に取り掛かった。
お互い話すことは話し終えたのか、その後はとりとめもない話が続き、最後にと〆の料理が出されて報告会はお開きになった。
別れの際に差し出した右手を握り返してきたその手は、酒のせいもあろうが随分と温かいものであったよ。
―――あとがき――――――
次回更新は1月2日、朝10:00の予定です。
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