毒を使う緑小鬼9
―――前回までのあらすじ―――
緑小鬼の群れを潰し、セグメト村の危機はひとまず去った。
ディーセンに戻り、黒幕の一人を衛視に引き渡したのちに、被害者の女性たちを連れて天の教会の施療院に向かった。
―――――――――――――
-1-
施療院の玄関を出てきた初老の男性と、神官戦士らしい若者がこちらを見たので軽く頭を下げる。
二人とも俺の姿を見て驚いたような顔をしたが、初老の男性の方はすぐに表情を改めて会釈を返してきた。
そしてそのままこちらに向かってきたので、脇によけて道を譲ると、初老の男性が目の前で立ち止まってこちらを向いた。
「こんな時刻に急患かな?」
穏やかな表情でそう尋ねてきた。
「まぁ、急ぎといえば急ぎなのですが、一刻を争うほどでもないので、診察が終わっているようでしたら出直します」
なんとなく偉い立場の人のような気がしたので、こちらも穏やかに丁寧に答えた。
「ふむ。診てもらいたいのはそちらの荷車の女性たちかな?」
男性は一つ頷くと、荷車の方を見て重ねて尋ねてきた。これは、診てもらえそうな流れか?
「はい。緑小鬼どもに捕らえられていた女性たちです」
「なるほど。それは災難であったな。クランヴェル、明かりを」
男性が若者に命じたが、クランヴェルと呼ばれた若者の方は俺を険しい目で見ながら腰の剣に手をかけ、動こうとしなかった。
「クランヴェル、明かりを寄こしなさい」
「エランド様、しかしその者は……」
男性が重ねて命じると、クランヴェルは男性をたしなめるような口調で答えた。
「治療が必要な女性を3人も荷車に乗せて、わざわざここまで連れてきた御仁に剣を抜くのかね?」
エランドと呼ばれた初老の男性は、クランヴェルの言葉をさえぎって咎めるような口調で尋ねた。
「いえ……申し訳ありません」
クランヴェルは腰の剣から手を離すと、小さく頭を下げて、手のひらに魔法の明かりを灯した。
「ウチの若い者が失礼を働きましたな。まだ未熟者ゆえ、許してくだされよ」
「いえ、この姿なので初対面の相手に剣槍を向けられるのは慣れています。どうかお気になさらずに。むしろお役目に熱心な方、と、お見受けします」
謝罪をしてきたエランドにリップサービス込みで笑顔でそう答えると、向こうも察したのか悪戯っぽい笑顔を浮かべて頷き、クランヴェルを振り返った。
「……だそうだ。聞いたかクランヴェル。話の分かる御仁で良かったな」
「……はい」
「ともあれ、その女性たちを診させてもらおうかな」
エランドがそこまで言ったとき、事情を察した施療院の職員たちが玄関からわらわらと出てきた。
「エランド様、お疲れなのにこのような玄関先で診られずとも」
一番偉いとみられる職員がエランドに声をかける。
「なに、明かりがあるから大丈夫だよ。それに緑小鬼どもに捕らわれていた女性たちなら放っておくわけにもいくまい」
エランドは職員たちにそう言って黙らせると、クランヴェルが灯す魔法の明かりの下で次々と女性たちを覗き込んだ。
「むぅ……これは些か宜しくないな。皆、この3人を中へ。それと入院の準備を」
女性たちを次々と診て眉をひそめたエランドは、集まっていた職員たちに指示を出した。
職員たちの手で荷車から女性たちが下ろされ、慎重な手つきで施療院の中に運ばれていく。
「これから詳しく診させてもらうが、後で事情をお聞かせ願えるかな?」
「はい。診察が終わるまで待ってます」
「まぁ3人とは言え幾つか確認をするだけでな、それほど時間はかかるまい」
エランドは俺にそう言い残すと、クランヴェルを連れて施療院の中に戻って行った。
俺達も、荷車の傍にヴァルツを残して施療院の中に入る。
待合室の長椅子に腰掛けてしばらく待っていると、やがて診察を終えたらしいエランドが姿を見せて俺たちを手招きした。
「診察は済んだので話を聞かせてもらえるかな?とはいえここではなんだ、ついてきなさい」
そう言われてついていくと、奥の会議室のような大部屋に案内された。
中には案内してきたエランドのほか、クランヴェルに加えて施療院の職員らしい3人の合計5人が待っていた。
「ではまぁ、座りなさい」
「失礼します」
エランドに促されて腰を下ろす。
「ではまずお互いの自己紹介から始めようかな。私はエランド。帝都の天の教会で司祭をやっておる。
こちらはクランヴェル。同じく帝都の天の教会に所属する助祭で、まぁ私の付き人兼護衛だな」
「クランヴェルです」
エランドに紹介されたクランヴェルが儀礼的に頭を下げる。
なるほど、門で聞いた高位の魔法が使える司祭というのはやはりこの人たちだったか。
「では今度は私ですね。名前はディーゴ。5級の冒険者をやってますが、名誉市民の地位もいただいています。これが冒険者手帳と名誉市民の短剣です」
そう言って冒険者手帳と短剣を差し出す。
クランヴェルが2つを受け取り、エランドに差し出す。
エランドは短剣の方はちらりと見ただけで、手帳の方をぱらぱらと繰って中身を見た。そして小さく笑みを浮かべると、2つをこちらに返してきた。
「ありがとう。中を拝見した感じでは、なかなか真面目な御仁と推測した」
「ありがとうございます」
次いでユニと精霊のイツキ、外にいる使い魔のヴァルツを紹介すると、今度は施療院の職員たちがそれぞれ名乗った。
それによると施療院の院長と事務長、看護師長のトップ3人がそろい踏みらしい。
「では、互いに紹介も済んだことだし、詳しい話を聞かせてもらえるかな?」
「分かりました」
エランドの求めに頷いて答えると、今回の事件の流れと今の状況を話して聞かせた。
毒を塗った武器を使う緑小鬼に襲われた新人冒険者4人の話から始まり、毒の強さや材料の産地、黒幕とみられる人間二人の存在と、そのバックにいると予想されるスポンサー的な存在、80匹程度の群れがいたこととその討伐結果、黒幕2人のうち一人には逃げられたがもう一人は門の衛視に引き渡したこと、この話し合いが済み次第冒険者ギルドに報告に行くこと、等、順を追って説明した。
「……なるほど、この街の近くでそんな事件が進行していましたか。ディーゴさん、事件を未然に防いでくれてお礼を申し上げます」
そう言って院長ら職員たちが頭を下げた。
「いえ、お礼を言われるのはまだ早いです。一人を逃したせいで事態が急変する可能性もあります。まだ気は抜けないかと」
「そうだな。まだこの事件は終わってはおるまい。衛視と冒険者ギルド、場合によっては騎士団も巻き込んで、互いに協力しつつ警戒を続けるのが良かろう。
ともあれ今は、衛視に引き渡したという男の自供待ちだな」
「はい」
エランドの言葉に頷いて答える。すると事務長が口を開いた。
「ところで、3人の女性の身元が分かるような品とか話は何かありませんでしたか?」
「残念ながらそれについては全く。女性たちが着ている服は、セグメト村のおかみさん連中が用意してくれた古着ですし、本人たちもあの状態ですので」
「そうですか……」
事務長がそう言って肩を落とした。
「……で、女性たちの容態ですが、どんな感じでしょうか?」
「良くはないな。私が今まで診たなかでも重症の部類に入る」
気になっていたことを尋ねると、エランドが眉をひそめながら答えた。
「長期にわたって捕まっていたせいか、かなり衰弱しておる。しかしこちらの方は魔法と薬湯と日々の食事でなんとかなろう。だが問題なのは、3人とも心が完全に壊れてしまっていることだ。自分一人では食事もできなければ排泄も垂れ流し。今のままでは生ける屍と変わらんよ」
「そうですか……」
察してはいたが、改めて専門家から指摘されるとため息が漏れる。
「心が壊れた場合は魔法を使ってもどうにもならん。ゆっくりと時間をかけて癒えるのを待つしかないが……時間さえかければ必ず癒えるという保証もない。それに治りかけたときが一番危ない」
「……発作的に自ら命を絶つ可能性、ですか?」
「うむ。……っと、ディーゴ殿はもしかして医療経験がおありか?」
「いえ、聞きかじりの半端な知識です。実際に医療に携わったことはありません」
「そうか。まぁしかしその危惧は当たっておる。肉親などが傍にいれば、それが命綱となって繋ぎとめることもできようが、名前も身元も分からぬ状態ではな」
エランドがそう言って椅子の背もたれに体を預け、目を閉じる。
一同もそれぞれにこの先のことを考えて、つかの間の沈黙が訪れた。
「まぁ先のことを今から考えていても始まらん。今は目の前のことに手を尽くそう。私もこの事件がひとまずの決着を見るまで滞在を延ばすつもりだ」
「お手数をおかけします」
滞在を延ばすと言ってくれたエランドに頭を下げると、思い出して財布から大白金貨を取り出した。
「むき出しのままで不躾になりますが、3人の当面の治療費としてお納めください」
そう言って大白金貨10枚を事務長に差し出す。
「え?」
事務長が驚いた顔でこちらを見た。まさか治療費が払われるとは想像していなかったのだろう。
院長も看護師長も、クランヴェルも一様に驚いた顔をしている。
「一応、3人の2年分に諸々を加えて、キリのいい額にしました。これで足りるといいんですが」
唖然とする4人を置いて、エランドの笑いが爆発した。
「ぶわっははは!院長、これだけ出されては3人の治療と看護はよほど手厚くせねばならんな!!」
「は、はぁ……。しかし、本当にいいのですか?」
院長が心配そうにこちらを見た。まぁ、一見すれば俺が出さなきゃならん道理もなければ5級の冒険者が出す額でもないしね。
「名誉市民の義務と見栄、とでも思ってください」
「……そうですか。それでしたら遠慮なく収めさせていただきます」
院長がそう言って大白金貨10枚を手にすると、恭しく頭を下げた。
「くくく、名誉市民の義務と見栄、か。久しぶりに面白いものを見せてもらった。人面獣心の輩は時折目にも耳にもするが、その逆の御仁がいるとはな。市井もまだまだ捨てたものではないな」
エランドは上機嫌でそういうと、表情を改めて正面から俺を見た。
「ディーゴ殿、3人の女性の治療は確かに引き受けた。彼女らは天の教会の施療院が、責任をもって面倒を見ることを約束しよう。院長たちもそれで良いな?」
「「「はい」」」
エランドの言葉に3人が力強く頷いた。
「わかりました。よろしくお願いします」
俺もそれを見て一同に頭を下げる。
「私は立場上、今回の事件に積極的に関与することはできんが、決着がついたらまた顔を見せてくれ。その時は共に酒でも飲みながら顛末を聞かせてもらおう」
エランドが最後ににかっと笑って見せたことで、施療院での説明はお開きになった。
次は冒険者ギルドだな。時間的にちっと遅いが、誰かしらいるだろう。