石鹸と化粧
―――前回のあらすじ―――
久しぶりのセルリ村訪問で、村人の家や用水路などをメンテしてきたディーゴ。
村にいたときに提案してすっかり忘れていたリンゴ酒は、なかなかうまく作られていた。
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-1-
街の中を寒風が吹きぬけるようになると、街角の露店に温めた葡萄酒売りが混じり始める。
単に葡萄酒を温めただけではなく、ショウガやクローブ、キャラウェイなどのスパイスを店独自の配合で加えて、色々と差別化を図っているのが涙ぐましい。
店によっては追加料金で蜂蜜を加えたりしているのだが、今年は蜂蜜の代わりに水飴を加える店も多いようだ。
一緒に売っている素朴な焼き菓子やチーズの欠片と共に、立ったまま温かい葡萄酒をちびちびやるのは、この街の冬の風物詩ともいえる。
かくいう俺も、支部での稽古帰りに露店に立ち寄り、塩味の松の実ビスケットを齧りつつ、木のカップに入った甘い葡萄酒をふぅふぅ言いながらすするのが好きだったりする。
ただ、この目立つナリで露店の前に立ち、背中を丸めて葡萄酒をすすっているといい看板になるのか、じわじわと客が増えるのは気のせいか。
この日も、5日後に控えた試合に備えてみっちり稽古を積み、帰り道の露店で葡萄酒を楽しんでいると、後ろから声がかかった。
「その後ろ姿は、ディーゴアルな?」
特徴のある口調に振り返ると、そこには5日後の試合相手のフォンフォンがいた。
お団子ヘアーのモンゴロイド顔、黄色い肌で使う得物は柳葉刀、となんか某国民を彷彿とさせる女の子だ。
ブルさんの情報によると『剣の舞い手』の2つ名で呼ばれる、正統派の試合巧者らしい。
見ると結構な荷物を持っている。
「よう、妙な所で会うな。買い物帰りか?」
確か剣闘士の寮は全然別方向だったと思うが。
「寮の備品がなくなりそうだから買い足しに来たアル」
「そりゃご苦労なこって。一杯飲んでくか?おごるぜ」
「悪いアルが、葡萄酒はちょっと苦手アル」
「そっか、そりゃすまんかった」
軽く頭を下げると、カップに残った酒をぐいと一気にあけた。
「おっちゃん、ご馳走さん」
「あいよ、ありがとな」
露店の店主にカップを返し、フォンフォンの前に移動する。
「剣闘士の寮からここだと、大分方向が違くねぇか?」
「皆のお気に入りの石鹸が、この近くの店じゃないと売ってないアル」
「ああ、そういう理由か。……あとでちょっと見せてもらっても構わんか?」
「それは構わないアルが、ディーゴも石鹸にはこだわるほうアルか?」
意外といった風にフォンフォンが訊ねてくる。
「見ての通り全身毛皮だからな、質の悪い石鹸を使うと毛並がヒサンなことになるんだよ」
「なるほど、それは死活問題アルな」
そう言ってフォンフォンがくすくすと笑う。
「ところでディーゴこそどうしてここにいるアルか?木の葉通りは反対側アルよ?」
「冒険者ギルドの支部がこっちの方角なんだよ。そこで稽古をしてきた帰りだ」
「5日後の試合のためアルな?」
フォンフォンがそう言って、挑みかかるような笑顔を浮かべる。
「無様はできねぇからな」
「それはこっちも同じアル。負けないアルよ?」
「その言葉、そっくり返すぜ。んじゃ、寮まで付き合うから荷物よこしな」
「このくらい軽いものアルよ?」
「男女が一緒に歩くんだ、男に見栄くらいはらせろよ」
「じゃあ、お願いするアル」
フォンフォンに差し出された荷物を受け取ると、並んで寮に向かって歩き出した。
「あ、フォンフォンおかえりー。ディーゴも一緒なんだ?」
寮の前の道を掃除していたハナが声をかけてきた。
「ただいまアル。ハナもお疲れ様アル」
「うす。掃除お疲れさん」
「珍しいね、ディーゴがこっちに来るなんて。せっかくだけど今日は稽古は休みだよ?」
「いや、こっちに寄ったのは別件だ」
そう言ってハナに、露店で声をかけられて話に上った石鹸のことを話す。
「……そっか、ディーゴは全身もふもふだもんね。体を洗うのも気を使うよねー」
俺の話を聞いたハナがころころと笑った。
「今使ってる石鹸も悪くはねぇんだが、不満がないわけじゃないんでな。こっちでお勧めがあれば参考にさせてもらおう、って魂胆だ」
「なるほど。じゃあ、残ってる皆を呼んでくるね」
ハナがそう言って掃除道具を担ぐと、ぱたぱたと寮の方に駆けていった。
フォンフォンに案内されて寮の談話室で待っていると、ハナが呼んだらしい娘さんたちが5人ほど姿を見せた。
「おう、フォンフォンお帰り。ディーゴも久しぶりだな」
まずはタリアが声をかけて、フォンフォンと俺の対面に座る。
「ただいまアル」
「邪魔するよ」
フォンフォンと俺が答えると、残りの4人も思い思いに腰を下ろす。
「まずこれが頼まれてた備品アル」
フォンフォンがそう言って、俺から受け取った袋の中身を並べ始める……んだが、化粧品ぽい小瓶はともかく、生理用品ぽい板状の綿まで並べ始めたのでちょっと焦る。
「ちっと席外すか?」
「ああ、気にすんな。日頃から露出の多いカッコで客の前に出てんだ、今更恥ずかしいなんて思わねぇよ」
タリアがそう言って豪快に笑う。
いやまぁそっちはそうかもしれんけどな、見てるこっちが気恥ずかしいのよ。
それでも、フォンフォンが買ってきた戦利品の分配が終わると、本日3度目になる本題を切り出した。
「なるほど、石鹸か」
「ああ。日頃皆はどんな石鹸使ってんのかな、と気になってな」
「ディーゴは日頃どんな石鹸使ってるの?」
娘さんの一人が逆に訊ねてきた。……すまん、名前忘れた。
「オリーブ油を使ったちょっとお高い奴だ。ただ、値段の割に思ってたより泡立ちが悪くて、浴室に置いとくとボロボロと崩れてくるのが不満でな」
「……あぁ、それ、多分ハズレの高級品ね」
そんなのがあるのか。というかそれだけでわかるのか。
「オリーブ油を使った石鹸ていうのは確かに髪にもお肌とかにいいんだけど、オリーブ油だけの石鹸ってディーゴが言ったみたいな欠点があるのよ。半年くらい熟成させれば、ある程度は改善されるけどね」
「熟成なんて必要なのか?」
「ええ。買ってから風通しのいい場所で数か月、場合によっては1年くらい追加で乾燥させる必要があるわ。そうしないと、浴室の湿気ですぐにぐずぐずになっちゃうの」
「あー、確かにすぐぐずぐずになるわ」
「今あたしたちが使ってるのは、オリーブ油とココナッツ油のブレンド石鹸ね」
「ブレンドって、そんなのがあるのか?」
ココナッツオイルの石鹸というのは前世で聞いたことあるが、油をブレンドして作るというのは初耳だ。
意外と馬鹿にできんな、異世界。
「そりゃあるわよ。石鹸だって、身体を洗うのと食器を洗うのと服を洗うので使い分けるしね」
ああそうか、言われてみりゃそうだな。日本でも体を洗う石鹸と、食器洗剤と、洗濯洗剤は別物だし。
今まで異世界つーことで一緒くたにしてたが、ちょっと考える必要があるか。
「これがオリーブ油とココナッツ油のブレンド石鹸アル」
フォンフォンにそう言われて、石鹸を手に取る。
なるほど、俺が日ごろ使ってるオリーブ油のみの石鹸より硬くてしっかりしている。
「その石鹸なら泡立ちもいいし、浴室に置いておいても崩れることもない。髪を洗ってもぱさぱさにならんし、今のところは一番のお勧めだな」
そう言ってタリアが話をまとめる。
「なるほど、じゃあ後で試してみよう。フォンフォン、売ってる店を教えてくれるか?」
「いいアルよ」
頷いたフォンフォンから、石鹸の店の場所を聞いてると、横からハナが口を出してきた。
「ねぇディーゴ、ディーゴって悪魔だったよね?悪魔の化粧品てのはどんなのがあるの?」
「あ、それはあたしも興味ある」
俺も、あたしも、と食いついてこられたが……あいにく俺は化粧品についてはよく知らんのだよな。
「すまんがそれにはちょっと応えられそうにない。俺が知ってるのは化粧水のヘチマ水くらいだし」
「ヘチマ水?」
「俺の故郷に古くからある化粧水でな、ヘチマ……こっちでいうと糸瓜っつーのか、それを使った化粧水だ。ニキビ予防やあせも対策、肌の保湿とか、シミシワ対策とか、まぁわりと万能な化粧水だな」
「それってこっちでも手に入る?」
「ああ、簡単に作れるぞ。今はもう時期が過ぎてるが、糸瓜が育つ夏ごろに作れるんだ」
そう言って、ヘチマ水の作り方を説明した。
「……そんな簡単に作れるんだ。糸瓜って育てるの難しいの?」
「いや、育てるのも簡単だ。子供の学校の教材にされるくらいだからな。種まきの時期が来たら教えに来るが?」
「「「ぜひお願い(します)」」」
女の子たちの声がハモった。
「あとは化粧に詳しそうな悪魔に1人心当たりがあるが……良ければそいつも寄越そうか?」
「いいの?」
「まぁ本人の都合がつけば、だが……まぁ大丈夫だろう。俺んとこの使用人だし」
「ディーゴ……お前、悪魔と住んでるのか?」
「領主も公認だからそのあたりは突っ込むな。悪魔ったって害はねぇよ。それに見てくれは可愛い女の子だ」
中身は男だけどな。
でも、あの肌のハリと肌理の細かさは、女の子でも十分参考にできると思う。
「そうか……ディーゴの所には悪魔の使用人もいるのか」
「悪魔といっても戦闘には向かない、強さでいえば一般人以下の戦闘力だからな?間違っても勝負を挑んだりするなよ?」
なんか目の色が変わったタリアに釘を刺す。さすがにユニにタリアの相手はさせられん。
-2-
そんなこんなで寮での話を切り上げた後、来た道を戻ってフォンフォンから聞いた店で石鹸を買い、屋敷に戻った。
そしてユニを呼んで、寮での話を説明する。
「つーわけなんだが、ユニ、お前さん化粧には詳しい方か?」
「一応、一通りのことは知ってますけど」
「じゃあ、明日か明後日にでも一緒に寮に行って話してくれるか?」
「いいですよ。でも糸瓜から化粧水って作れるんですね。知りませんでした」
「まぁ魔界に糸瓜があるか知らんけどな。そうだ、ついでに冷気の魔石でも土産に持ってってやるか。化粧品てのは要冷蔵のもんが多いだろ?
ヘチマ水も確か冷暗所保管だったか要冷蔵だったと記憶してるし。というわけで悪いが1個調達頼むわ」
「分かりました」
そして翌々日、ユニとヴァルツを連れて剣闘士たちの寮に向かった。
そしたら剣闘士の女の子勢ぞろいですよ。教官のベネデッタまで一緒になってユニが説明する(こっちでは珍しい)化粧法や化粧品に、食い入るように聞いてたのはちょっと微笑ましかったかな。
剣闘士なんて荒っぽい仕事をしてるけど、やっぱり女の子なのね。
でも、皆、元の顔のレベルが高いんだから、そんな気合い入れて化粧しなくてもいいんじゃね?と思うのは男から見たゆえの勝手な価値観か。
まぁ化粧に対するこだわりは、男女の間で温度差があるものの一つだしな。男としては、理解できずともおおむね「そういうもんか」と折れるしかない。
下手に口を出したり注文を付けたりしたら、ボロカスに言い負かされてこっちが大怪我をする……というか、したことがある。
後、土産に持ってった冷気の魔石はかなり喜んでもらえた。こっちにゃ冷蔵庫はないからな。
冷気の漏れない箱を作って、化粧品だけでなく飲み物も入れておけば、風呂上りや稽古後に冷たいものも楽しめるだろう。
ついでになるが、一緒に連れてったヴァルツも人気者だった。
タリアをはじめとする好戦的な女の子にさっそく試合というか勝負?をせがまれたし、ハナに抱き着かれて全身でもふもふされたりと有意義?な時間を過ごしたようだ。
首をがっしりホールドして、満面の笑みで頬ずりするハナに、ヴァルツが困ったような顔をしていたのは気付かなかった振りをしておく。
ヴァルツも俺も今は冬毛だから、モフ度が高くなってんだよな。毛皮大好きなハナの行動も頷ける。
すまんヴァルツ、俺も似たよなことされたんだ。ユニに言って今日の夕食はいい肉を頼んどくよ。




