葬送
この世には、「見てはいけないもの」が多く存在する。青年は何を見たのか。これを知るのは彼自身のみである。
「こんにちは、初めまして。あなたがこの町の葬儀屋さんですよね?」
その少女は、僕の目の前に突然現れた。とても華やかとはいえない服装に真っ黒な髪。何故だか僕はこの少女に惹かれていった。それにはちゃんとした理由がある。
「私のために棺を作ってくれないかしら」
初めは何を言っているのか分からなかった。いつも棺を作る時それを依頼しにやってくるのは、遺族や故人の友人たちなどである。自分から頼みに来る方なんてそうそういない。だからこそ僕は、彼女に興味を持ち始めたのだ。
「何故棺を?」
「これから死ぬのです。だから必要。それだけです。」
彼女の表情からなんとなく身寄りがないのだろうという憶測が生まれていた。不治の病でも患っているのかもしれない。それならせめて自分が人生の最後を飾ろうではないか。それきっと、とても名誉なことだ。
「分かりました。では希望を伺いますのでこちらへどうぞ。」
来客には、紅茶と簡単なお菓子をお出しするのが僕の習慣だった。紅茶は気持ちを落ち着かせる成分が多いものを出すようにしている。
「どうぞ、遠慮せずに召し上がってください。」
「ありがとう。それで、棺の話なんだけれど…。」
僕はこれにもいつものように、お客様に分かりやすいよう自分で描いた図を付けた紙を差し出す。
「棺は主に2種類ですね。コフィンはこの図のように、両肩の部分が広くなっていて、足先に向かって細くなっていくデザインのものです。もう1つ宝石箱という名の通り、長方体の形のものであるキャスケット様式があります。」
僕の説明が終わると、彼女はゆっくりとティーカップに口をつける。一呼吸置いた後、今まで僕がされたことのない質問が飛んできた。
「葬儀屋さんは死んだ時、どんな棺に入りたいのですか?」
青天の霹靂、とでも言おうか。驚きの余り数秒の間言葉が出なかった。
「葬儀屋さん?どうかしましたか?」
「僕、ですか?」
「ここに葬儀屋さんは貴方以外に見当たりませんが…。」
「えーっと…そうだなぁ…。」
突然すぎる質問に何も答えることができず、考え込んでしまう。すると、彼女は申し訳ないと謝った。
「僕の方こそお答えできず申し訳ありません…。考えたことがありませんでした。」
僕がそう言い切ったのと、彼女が紅茶を飲み終るのはほぼ同時だった。息を吐ききった様子の彼女が徐に立ち上がる。どうかしたのか、と聞くと今日はもう帰らなければならないらしい。
「突然やってきて、可笑しなことばかり言ってしまってごめんなさい。次は必ず決めますから。明日伺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。いつでもお待ちしております。」
外は灰色、細い雨が降る中、彼女は少し頭を下げて帰っていった。そういえば名前を聞くのを忘れてしまった、と気付いたのは彼女の後ろ姿が見えなくなってからだった。
次の日も、また次の日も彼女はやってきた。棺を作るために必要な情報を聞き、中はどうするのかを決めた。
「こんなに丁寧にして頂けるなんて…。嬉しいです。」
そういう彼女の表情はいつだってあまり変わらなかった。考え込んだり、悩んだりする時には眉間に少しだけ皺を寄せる。何か希望にあるものがあった時は目を開く。これがここ数日で彼女について分かったことだった。
ここからどんどん彼女が気になって仕方なくなっていた。彼女をもっと知りたい。もっと彼女と時を過ごしたい。そんな風に思うようになっていた。しかし、美しい彼女にそんなことを言える勇気を僕は持っていなかった。しかし、何度聞いても彼女は頑なに名乗ろうとしなかった。
「とても、名乗れるような名前ではないのです。」
毎回こう返された。
棺を作るようになっても彼女はやってきた。どうにも自分が入る棺が気になって気になって仕方がないのだという。僕は彼女を工房に入れ、色々と説明した。彼女も熱心に聞いていた。時には質問をされることもあった。心做しか楽しそうな彼女が魅力的に思えて仕方がなかった。このまま棺が完成しなければいいのに。そうすれば僕は彼女との時間をずっと過ごせるのに。そう思っていた。
棺が完成したのはそれからしばらく経った時だった。彼女は完成品を隅々まで見ると、僕の方に向き直った。
「ありがとう、とても素敵だわ。」
「いいえ、僕の方こそ。今までで最高の棺になりました。」
これで彼女とはお別れなのだ。そう思いたくなくて、他愛もない話でなんとか時間を稼いだ。終わりを告げたのは彼女の方だった。
「私、そろそろ行かないと…。」
「そうですか。それは…少し寂しいですね。」
彼女は少しだけ俯いて、自分もだと口にした。金輪際彼女に会うことは決してないだろう。それならばせめて、最後に名前だけでも知りたかった。数回断られていたが、最後ならば、という一抹の願いを込めて聞いてみた。
「本当に知りたいのですか?」
「ええ、勿論です。」
「私の名前を聞いても後悔しませんか?」
「後悔なんてしません。」
「そうですか…。貴方がそう願うのであれば。これで本当にお別れですね。」
俯いていた顔を上げた彼女は涙を流しながら、僕がこれまで見た誰よりも美しい笑顔を浮かべていた。
「私の名前は…。」
その先、彼女がなんと名乗ったのかは分からない。その瞬間だけ世界から音が消えたように、何も聞こえなかったのだ。
“町外れの葬儀屋が死んだ”
そんな噂が流れる中を彼女は歩いていた。噂はそれだけではない。ここ最近の葬儀屋は、どうも様子がおかしかったのだ。店のドアの前には誰もいないのに、彼は笑顔でドアを開ける。そして、まるで誰かが立っているかのように、笑顔で誰かを店の中へ招き入れる様子が見られていた。さらに不可解なのは、彼は自らの死を予知していたかのように、彼にぴったりの大きさの棺が完成させていた。さらに、彼は苦しんだ様子も見受けられず、幸せそうな顔で死んでいた。これらの事が彼の突然死をますます奇異なものとしていた。
そんな中を、泣きながら歩く彼女に誰も気づかない。彼女は一人ぼっちになってしまった。いつものように、何ら珍しいことではないのに。彼女は葬儀屋のせいで、寂しさを知ってしまったのだ。
「ごめんなさい、さようなら。」
小さく呟くと、彼女は跡形もなく消えてしまった。その時、町人の誰かが真実を言ったのだか、彼女の耳には届かなかった。
“葬儀屋はきっと死神に微笑まれたのだ”
彼女は今日も誰かにその美しい微笑みを見せる。いつかきっと、いつまでも自分と笑ってくれる人が現れると信じて。
閲覧ありがとうございました。
初めての一部創作の為、拙い文章であったと存じますが、楽しんで頂けていれば幸いです。
ありがとうございました。