six feet underground parking lot
感じる気配に近づけば近づくほど仙一郎の全身は痛み頭痛と悪寒で倒れそうになるが、アルマの有無にかかわらず前に進まなければならないと彼は決心していた。なぜなら、このまま逃げ出すのは美しくないと思ったからだ。仙一郎は“美”に対して強くこだわりを持っていた。それはただ描くことだけにとどまらず生き方においても美しくあることを信念としていた。結局、彼も変わり者の美大生のひとりにすぎなかった。
どうにかたどり着いた先は駅の地下駐車場。感じる気配は駐車場全体に満ちていて正確な場所は分からない。そこは薄暗く静まりかえったコンクリートの空間に駐車された車が静かに眠る怪物のように不気味に並び、仙一郎はその怪物達を目覚めさせないかのように静かに歩く。注意深く慎重に目を凝らし耳を澄まして歩き続ける。すると微かに女性が苦しそうに喘ぐ声が聞こえ彼は歩みを速める。声は地下空間に反響して、どこから聞こえてくるのか分かりずらい。
右へ左へ早足で探し回り何度か角を曲がった末、正面奥の突き当りに人影を見つける。見覚えのあるゴシックロリータ風の服で立つ少女の後姿。足元にはミイラ化した女性のような物が転がっている。少女が横を向くと見知った顔がのぞく。やはりアルマであったことに仙一郎は全身の力が抜けるのを感じた。
自分勝手で、怠け者で、ポンコツではあっても約束はやぶらないと思っていたものを裏切られた気分だった。重い身体を引きずってアルマに迫る仙一郎は彼女が彼に気づかないほど何かを凝視しているので首を振ると、十五メートルほど離れてサラリーマン風の中年男性が青ざめた顔で立っていた。
「アルマ!」
仙一郎は叫び声を上げ駆けだした。
「画学生!」
突然の出来事に目をまるくして驚くアルマに仙一郎は飛びつき止める。
「放さんか!このうつけ者っ!」
「これ以上だめだ!人を襲っては!」
「何を…」
アルマはそう言いかけ息を呑み、仙一郎は二人の目前に中年サラリーマンが居ることに気づいた。高く振り上げた手には鋭い爪が光り口元には血がこびりつき薄笑いを浮かべる口角から鋭い犬歯がのぞく。
アルマはとっさに仙一郎を突き飛ばすが彼女は振り降ろされた爪で肩から胸にかけてざっくりと切り裂かれ、さらに声をあげる間もなく蹴り飛ばされ数メートル先の車のボンネットに大きな音をたててめり込む。
盗難防止アラームの音が響き渡るなか立ちつくす男の身体はみるみる変形しスーツが引き裂かれる。肌は緑色に変色し背中に鋭いトゲが生え獣のような顔に大きな赤い目が爛々と光る。
その怪物は四つん這いになると仙一郎のことなど目もくれず、ゆっくりアルマとの間合いをつめる。コンクリートの地面に倒れた仙一郎は自分が思い違いをしていたことをその時、悟った。一連の事件はこの怪物の仕業なのだと。
アルマはピクリとも動かずコンクリートに血だまりが広がる。
何とかしなければ…何とかしなければと仙一郎は頭の中で繰り返し、とっさに目に入った右手の指輪で左腕に傷をつけた。
「痛っ!」
鋭い痛みに続き傷口から鮮血がしたたり落ちる。彼は左腕を突き出し叫ぶ。
「おい!バケモノ!俺の血は旨いぞ!」
その声に反応した怪物は振り返りクンクンと鼻を動かす。
「ほら!こっちだ!こっち!」
腕を上下に動かして注意をひくと怪物は方向転換してゆっくり近づいてくる。仙一郎は怪物の気を逸らすことしか考えてなかった。踵を返して逃げても追いつかれるだろう。戦いを挑んでも勝ち目が無いのは火を見るより明らかだ。けれども出来うるかぎり足掻く覚悟だけは決めていた。
やがて怪物は速足になり駈足に変わり仙一郎に迫る。何も出来ず、あっという間に目の前に鋭い牙が迫った次の瞬間、彼のすぐ目と鼻の先で怪物の動きが止まる。
見上げる彼の目の前には怪物の頭を鷲づかみにするアルマがいた。仙一郎が怪物の気をそらしていたため動けるまでに回復したのだ。
「アルマ!」
叫ぶ仙一郎に、わずかに笑みを浮かべ彼女は怪物を片手で持ち上げると地面に叩きつけた。地響きをたてコンクリートにめり込む怪物。
「アルマ!アルマ!」
うまく言葉に出来ず彼女の名前を呼ぶしかできない。彼女の服はぼろぼろに破れ、はだけた胸から胴にかけ白い肌は血で真っ赤に染まっている。左腕もだらんと垂れ折れているようだった。アルマは彼の心配そうな声に応える。
「子細無い。時間稼ぎ大儀であった。」
そう言うと彼女は右手に忽然と現れた剣を、地面でうごめく怪物に向けた。
「下等な吸血獣ふぜいが増長しおって!」
そう吐き捨て、手がわずかに動いたと思うと怪物はみじん切りに切り刻まれ肉片と化していた。アルマはそれを見届けると、ふらふらと仙一郎のもとに歩み寄りパタリと彼の胸に倒れこんで、つぶやいた。
「さしあたって其方が何故ここにおるのかは問わんぞ…今夜は疲れた…」
仙一郎もホッとして気が抜けると突然として傷つけた左腕がずきずきと痛みだし血がだらだらと流れ落ちているのに気づき、うめき声を漏らした。
「まったく無理しおって!」
それに気づいたアルマは彼の腕をつかむと傷口を舐める。少し気恥ずかしい仙一郎であったが腕の痛みはみるみる和らぎ出血もほとんどなくなった。
「ありがとう…アルマ。」
「なに、予の傷にも効くゆえ一石二鳥じゃ!しかし其方の血は、ほんに滋味深い甘露であるな!」
アルマは言いつつ左手を握ったり開いたりを繰り返した。彼の血を舐めたことで、折れた左腕はすでに元通りに治り胸の傷もみるみる癒えていく。
「ところで画学生?」
すると彼女は突然、眉間にシワを寄せ仙一郎の右手の指輪を睨みつけた。
「この指輪、其方の趣味ではあるまい?しかも知らん女子の匂いがするぞ!誰ぞに貰うた?」
「こ…これは、その…あの…」
しどろもどろになりながらも説明する仙一郎であったが、アルマの不機嫌そうな顔を見て、呉睦の胸が大きいことだけは今後も伏せておこうと心に誓うのであった。