健全なる身体に宿るのじゃ
アルマが仙一郎の家に転がり込んでから一か月、7月とはいえ山沿いの都市では肌寒さを感じさせる明け方。アパートのベッドで眠る仙一郎は身体に触れる温もりに寝ぼけまなこをこすって見回すと案の定、今朝もアルマが自分を抱き枕がわりにして寝息を立てていた。何故そんなことになっているのかといえばアルマがポンコツだからであった。吸血鬼は棺桶で眠ることが伝統とされていたが彼女は狭くて暗い棺桶は嫌だと散々だだをこねて仙一郎のベッドで寝るようになったのだ。夜に活動し昼に眠る吸血鬼アルマがベッドに入るのが日の出前。仙一郎がベッドで眠る時間と微妙に重なる明け方の数時間は、ひとつしかないベッドの取り合いとなるわけだ。結局その争奪戦はアルマの申し渡し
「ここには予が寝るとき抱くお気に入りのぬいぐるみが無いからのぉ。其方にはぬいぐるみ替わりになってもらうぞ!其方も予と添い寝できて嬉しかろう?」
の一言で、あっさり終戦したのは仙一郎も満更ではなかったからであることは言うまでもないだろう。
小さな寝息を立てて眠るその少女の姿は、もし四日に一度、血を吸われる事がなければとても吸血鬼には見えず、むしろ本当に妹のように思えるくらいだった。
やがて部屋に朝日が差し込む頃、仙一郎はしがみつくアルマを引きはがし、台所で食パンに昨日の残りのもらい物カレーをのせコーヒーとともに朝食にする。
「やっぱりマトモな食事は有難いなぁ…」
ぼそりと仙一郎が独り言をもらしたのもやはりアルマがポンコツだからであった。
仙一郎のアパートに押しかけてきたアルマがまず最初に取り掛かったのは彼の生活改善だった。彼女は美味しい血の状態を保つために、やれ、運動しろ。やれ、十分睡眠をとれ。やれ、栄養のバランスのとれた食事をしろ。と、ほとんど口うるさい母親状態であった。そんなある日、彼女は自分で彼に最適な料理をつくったことがあったのだが、その味は空前絶後、阿鼻叫喚の出来であったため反って血を不味くしてしまう結果となり、それ以来、料理をすることはなくなったのだ。
彼女のポンコツっぷりはそれだけにとどまらず、いつになっても血を上手く吸えない不器用ぶりに、近くのコンビニを往復するだけで数時間かかる方向音痴ぶりにと遺憾なく発揮されていた。しかし、ポンコツなだけならまだ許せるとしても働かないアルマの衣食住で二人分の生活費がかかることが大きな悩みの種であった。
仙一郎は大学へ登校するため支度を整えると玄関先で部屋のベッドで、すやすや眠るアルマを見て大きくひとつため息をついて静かにドアを閉めた。
「予はひもじいぞ!さっさとゆうげの支度をせんかい!」
帰宅した仙一郎がドアを開けたとたん聞こえてきたのは玄関で仁王立ちしたアルマの怒鳴り声だった。
「はいはい!すぐ用意するから!」
「今日の献立はなんなのじゃ!」
帰ってきた仙一郎にアルマは両手の拳を握りしめ目を輝かせて訊ねる。
「も…もやし…」
仙一郎はアルマに聞こえないよう顔を背け、ぼそりとつぶやくが彼女は聞き逃さない。
「ええっ!またもやしか…もやしはもうたくさんじゃ!」
「しょうがないだろう!色々お金がかかって今月は厳しいんだから!」
あきらかに落胆の色を見せるアルマに皮肉たっぷりに返したのは、もちろん居候のせいで苦学生の経済状況が悪化したからに他ならないのだが、あまりに彼女がかわいそうだったのでつい甘くなる。
「バイト代が入ったらプリン買ってやるから我慢してくれよ。」
そのひとことに再びアルマの目に輝きが戻る。
「まことか!器の底にプチっとするヤツが付いててプルルンってするヤツじゃぞ!そのヤツじゃぞ!約束じゃぞ!」
最近お気に入りになったプリンの話に小躍りしながらまくしたてる。
「ああ!約束するよ。」
仙一郎がそう答えるとアルマはニンマリしてテーブルにちょこんと座った。
「先輩!手助けに来ましたよー!」
その時いきなり玄関のドアが開き弾けるように川相が入ってきたので仙一郎は苦言を呈す。
「いい加減ノックしてから入ることを覚えてよ。」
「了解!了解!それより先輩、今月厳しいんでしょ?また食料もってきたから料理作りますよ!」
「何っ?」
仙一郎とアルマはざわつく。
「もやし以外か?もやし以外なのか?」
アルマはテーブルから身を乗り出して爛々と目を輝かせる。
「ゴホゴホ…いつもすまないねぇ…」
仙一郎は、ばつの悪さをに時代劇のセリフでふざける。
「それは言わない約束でしょ!まあ先輩は座ってて下さいよ!」
川相はそれに応えるとショートカットの頭に三角巾を被り、ジャージの上に持ってきたエプロンをつけてキッチンでいそいそと料理を始めた。
「おねーちやん!いつもありがとう!」
「どういたしまして!」
ローテーブルで仙一郎の対面に座るアルマはキッチンの川相に一声かけると急に真顔になって仙一郎に小声で尋ねる。
「ところで画学生!昨日の其方の血。だいぶ渋みが増して味が濁っておったぞ!想像するに…ここのところ吐精しとらんじゃろう?」
仙一郎が言葉の意味が分からずキョトンとしているとアルマは少し考え込んで言い直した。
「溜まっとるじゃろうって意味じゃ!」
「んなっ!」
仙一郎はすっとんきょうな声を上げ、台所の川相も何事かと彼をのぞき込む。いぶかしがる彼女に愛想笑いを見せ彼は小声で答える。
「関係ないだろ!そんなこと!ほっといてくれよ!」
たしかに、不自由していることは確かであった。しかし、その原因の一端がアルマが居候しているせいで、ひとりきりになれないことにもあったので仙一郎はムッとした。
「関係ないわけあるまい!血の味が落ちるのは死活問題じゃからな…何なら…」
そういうとアルマは彼に顔を近づけ耳打ちした。
「予が相手してやってもいいんじゃぞ…」
「はうぁ?」
奇声を上げてしまう仙一郎は再び川相に愛想笑いを見せごまかす。アルマは蠱惑的な表情をうかべ話を続ける。
「別に恥ずかしがることなかろう?血を吸いあった仲じゃ。それに比べれば…それとも何か?予に魅力がないと?」
「み!魅力がないとかそんな話じゃ!」
「こんな美しい女がひとつ屋根の下に暮らしているというのに其方は襲い掛かりもせんしな!」
そ…それは…」
必死に弁明する仙一郎は言葉に詰まる。
うまく説明できなかった。
彼にとってアルマは例えるなら一流の芸術家が描いた名画のようなものであり、それは傷をつけることはもちろん触ることすら恐れ多い愛で仰ぎ見るような存在だったから当然、一線を越えるなど以ての外だった。
黙り込む仙一郎に呆れてアルマはさらに続ける。
「それなら、あの下女が相手するよう操ってやろうか?」
あきらかに嫌そうな顔をしながら台所を指さすアルマの言葉にどもる仙一郎。
「そ!それこそ関係ないだろ!」
「あやつ、其方に好意をもっておるのじゃろ?予が力を使うまでもなく、押し倒してしまえば簡単に帯を解くのではないのか?」
「そんなに簡単な話じゃないんだよ!」
仙一郎は高校時代から川相衣子が彼に好意を持っているのは分かっていた。彼女が同じ大学に入学したのも、もしかすると自分を追ってきたのではとも感じていたが、彼自身の優柔不断のために二人の関係は昔から実に曖昧なものだった。
「その問題は自分で処理するから!」
「わかった!わかった!」
なんとか、この話を早く終わらせたい仙一郎にあきれ顔のアルマは急に思い出したかのように険しい顔で言った。
「そういえば其方がベッドの下に隠しておった胸の豊満な女性のいかがわしい雑誌は捨てておいたからな!おかず?は無いからな!」
「ちょっ!勝手に何てことを!」
「どうせ其方は雑誌のような豊満な女性が好みなのであろう?どうせ予はまな板じゃよ!」
ふくれっ面のアルマに、これ以上この話題に触れるのは危険と思った仙一郎は口をつぐんだ。
「ねえ?楽しそうに何の話してるの?」
ちょうどその時、料理をかかえて入ってきた川相にアルマが笑顔で応える。
「今日のおかずの話をしていただけだよ~!」
「ん?今日は生姜焼きだよ!」
その言葉と部屋に漂う美味しそうな匂いに仙一郎とアルマはほとんど同時におなかを鳴らした。