北東寮(5)
私たちが着いたとき、食堂にはもうたくさん人が集まっていた。長テーブルが並べられ、それを挟んで向かい合うように生徒たちが着席し、談笑している。それらを越えて向こう側、奥の方では即席のステージのようなものが作られていて、その上には演台がありマイクが置かれている。またステージの右側にも、司会進行用のマイクスタンドがあった。
私はどういう順番で着席しているのか分からず、何も言わずにどんどん先へ行ってしまうしおりちゃんの背中をただ追いかけた。しおりちゃんはまっすぐ一番右奥のテーブルへと向かう。
「あら、神崎さん。ごきげんよう」
すでにテーブルについて隣席の人と楽しげに話していた生徒が一人、しおりちゃんに気がつき、立ち上がって挨拶をした。
「どうも。ここの席二つ、空いてる?」
「はい、空いてますわ。どうぞお座りになってください」
「ありがとう」
しおりちゃんは振り返って「座りましょう」と言って、声をかけてきた生徒の右隣の席についた。私もしおりちゃんに勧められるまま、そのさらに一つ右隣に座る。声をかけてきた人は元の席に腰を降ろしてから、私の方を見てしおりちゃんに尋ねる。
「神崎さん、そちらの方は?」
「私の新しいルームメイト。高校からの新入生なの」
「なるほど」
と彼女はうなずいて、顔が見えるよう少し前かがみになりながら、
「四年生の三笠英子と申します。これからよろしくお願いしますわ」
と名乗って小さく微笑む。彼女の長いつやつやした髪が、肩からするりと垂れてテーブルにかかった。日本人形みたいな、という褒め言葉は、きっとこの人のような人に使うのだろう。綺麗な人だ。思わず、少し見惚れる。
そういえば、この寮に来て以来、顔を合わせた人はみんな綺麗だったな。お嬢様というのはそういうものなのだろうか。
「えっと、ごきげんよう。敷島、小百合です」
そう挨拶を返す私を見て、三笠さんは「ふふっ」と笑った。
「別に合わせなくてもよろしいのですよ。ごきげんよう、なんて普通使いませんもの。他の寮ではそうもいかないかもしれませんが、ここでは「こんにちは」でも「ハーイ」でも「んちゃ」でも、かまいませんわ。私がこのような言葉を使うのも、ちょっとした戯れですもの」
「あ、えっと。はい」
んちゃ、って……この人もそういうの知ってるんだ。というか、戯れってなんだろう。三笠さんって、実は結構変わってる? でも、悪い人ではなさそうだ。
「ところで、そっちの人は?」
と、しおりちゃんが三笠さんを挟んで反対側に座っている人を見た。私たちが来るまで、三笠さんと話していた人だ。
「あぁ。こちらは私のルームメイトの篠原静さんですわ。今年度からこちらに来られましたの」
「どうも」
篠原さんは消え入りそうな声で言って、お辞儀をする。そしてすぐ三笠さんの陰に隠れてしまった。人と話すのが得意じゃないのか、人見知りなのか。あまり活発な人ではなさそうだ。間に二人いて距離が遠かったのと、メガネをかけていたせいで、顔もよく見えなかった。
と、入り口の方が急に騒がしくなった。振り返ると、私とは違う制服を着た生徒たちが固まって入ってくる。
「中等部の新入生」
私の疑問を察してくれたのか、しおりちゃんが小声で教えてくれる。
「二階の西側が中等部の寮になってるの。北東寮は他の寮に比べて中等部は少ないけど」
私はうなずいて、視線を戻し座りなおす。
中等部の子達が席についたところで、「静かにしてください」とスピーカーから声が響く。同時に、食堂中のさざめきが、波の引くように静まっていった。
「これより、入寮式ををはじめます」
そう宣言した人の方を見て「あっ」と思ったのは、その人が受付で応対してくれた人だったからだ。確か、山本晴先輩。
「それではまず、君島副寮長の挨拶です」
そう呼ばれてステージに上がってきたのは、また見覚えのある顔。玄関で一番最初に声をかけてくれた、髪の長い人だ。
君島と呼ばれたその人は一礼して、マイクの前に立った。
「新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。副寮長を勤めております、五年の君島葵です。今年もこの北東寮に新しい友人を迎えることができ、大変嬉しく思います。北東寮では私のほか、今回は司会進行役をやってくれている、同じく五年生副寮長の山本晴、それからこれからご挨拶していただきます梶原寮長の三人が執行部となり、寮での生活がより良くなるよう努めています。寮のことで何かご要望があれば、まず私たちに相談してくださればと思います。また、北東寮は伝統的に自由と自主独立を尊ぶ寮ではありますが、それらは同時に責任が伴うものでもあります。北東寮生であるということ、吉花女子学園の生徒であるということを常に意識し、気を引き締めて、誇りに思える行動を心がけていただきたいと思います。そうして、みなさん楽しい寮生活、学校生活を過ごしましょう。以上で私からの挨拶を終わります。ありがとうございました」
君島先輩はメモも見ずにすらすらと、しかし聞きやすいよう一言ひとこと丁寧に前を見て話しきり、一礼をしてステージから降りていった。その姿にはかっこいいくらいの余裕がある。
ひとしきり拍手が鳴り響き、それが止んだところで山本先輩が
「続きまして、梶原寮長お願いします」
と言って、また一人壇に上がってきた。長髪でキリリとした顔立ちの、かっこいい雰囲気の人。君島先輩と同じように一礼をして、マイクの前に立つ。睨むような目を向けて、一人ひとり視線を合わせるように左から右へ視線を動かした。それだけで、食堂全体の空気が一気にピンと張り詰めたような気がする。
カリスマ性というか、凄いオーラを持っている人だ。
梶原先輩はちょっとわざとらしいくらい鷹揚な動作でマイクの位置を調整してから、口を開いた。
「六年寮長の梶原華です。えー、私からはその、何と言いますか……何言うのか忘れちゃった」
ふにゃっと表情を崩して、梶原先輩は右手で自分の首を押さえる。食堂からは弾けたように「えー」と声が響き、「なんだよー」とか「寮長しっかりー」といった笑い混じりの言葉が飛ぶ。
「だって、言うこと葵ちゃんに全部言われちゃったんだよぉ。私、言うことないじゃんさぁ」
梶原寮長は本当に困ったような顔をして、寮生たちがまた笑う。張り詰めていた空気はどこへやら、みんなニコニコしていて、中等部の方でも何人か笑いを堪えているのか、震える背中が見えた。良く分からないまま、何だか私も楽しくなってくる。
そのうち、君島先輩が司会者席の方から、
「寮長、新入生のみなさんに一言お願いします」
と助け舟を出した。梶原先輩が「あぁそっか」と頷いて、
「う、うん。では、新入生のみなさん、寮長である私からは一言、あの偉人の言葉を送ろうと思います」
また全体がシンとする。梶原先輩は中等部の生徒たちが座っている方を見ながら、右手を大きく上げ、左手を腰に当てて、少し間を置き、言った。
「ボーイズビーアンビシャス!」
沈黙。
君島先輩が司会席の方でさっと立ち上がって、マイクスタンドの前に立ち一言。
「寮長、ガールズです」
「え? あ、そっか。ごめん」
梶原先輩はしゅんとして、また困ったような顔をする。それがおかしくて、食堂のあちこちからクスクスと笑い声が漏れはじめる。司会席の方では山本先輩が「あーあ」というような調子で右手で口を覆って肩を震わせている。君島先輩は目を瞑って、静かに笑っていた。二人とも慣れっこという感じだ。
「えっと、まぁあれです。みんな仲良くね。楽しめ、が北東寮創設以来のモットーです。本当に楽しむためには、自分だけじゃなくて周りの人も一緒に楽しませることが大切だからね。えーっと、じゃあそんな感じで。寮長からは以上。ご清聴どうもありがとー」
梶原先輩は一礼をして、投げキッスをしながらステージから降りていった。そこにもまた「いいぞー」「かわいいよー」と言った声が飛ぶ。
山本先輩がまた司会者マイクの前に立つ。
「それでは最後に寮歌斉唱です。みなさん、ご起立ください」
寮生が一斉に起立する。私もちょっと遅れて起立。
「えー、北東寮の寮歌は非常に簡単なので、新入生のみなさんはこれを機会に覚えていただきたいと思います。それでは、お願いします」
と、スピーカーからなぜかラジオ体操のとき流れるあの音楽が聞こえてきた。間違ったのかな? でも誰も止める気配がない。どうしたんだろう、と思っていると、これから体操が始まるというところまできたところで急に転調し、今度は幼稚園生が挨拶をするときに鳴らす、あの和音が三回鳴った。
じゃーん、じゃーん、じゃーん。
「「「うほっ」」」
「ご着席ください」
一斉に着席。
座り遅れた。いや、私だけじゃない。二つ前に座る篠原さん。その他、高等部から入ってきた新入生、あるいは他の寮から今年来たと思われる人たちが数人。中等部の新入生たちも、もちろん座れなかった。
びっくりした。まさかこれが寮歌なの? っていうかこれは歌なの? これを歌と呼んでいいの?
そんな強烈過ぎる疑問を浮かべながら、私は、私たち新入生は遅ればせながら着席する。
「以上で、入寮式を終わります」
山本先輩の実にあっさりとした言葉を聞きながら、凄いところに来てしまったと、私は改めて感じた。
体調不良のため更新が遅くなります。
なるべく早く更新するつもりです。