北東寮(2)
どうしても一人でこの扉の先に行きたくなくて、他の新入生が来ないだろうかと助けを求める気持ちで、歩いてきた道のほうをしばらく見つめていた。けれど、いくら待っても他の誰かが来る気配は無かった。
私が来るのが遅すぎたのか、早すぎたのか。もしかすると、北東寮に入寮する新入生は私以外にいないのかもしえない……。
一抹どころではない不安を抱きつつ、でも私はここから離れようとは思わなかった。もはや私の帰るべき場所はここ以外にはないんだ。すでに入学手続きは済ませてしまったし、入寮も決定事項。今から家に逃げ帰ったって、一体どうしよう。お母さんに何と言えばいい?
そもそも私に選択肢などない。例え火の中水の中、サバトの中だろうとも、入っていくほかないんだ。
覚悟なのか諦めなのか、どちらともつかない気持ちを胸に抱いて、私は再び扉に向き合った。お父さんの言葉を思い出し、胸の奥でそっと呟く。
「不安はワクワクの裏返し。一歩踏み出さないのはもったいない」
そうですよね? お父さん。
――本当にそうでしょうか、お父さん。世の中には不安的中ということはありませんか。踏み出さない方が良い一歩はないのでしょうか。
ごめんなさい。私は今はじめて、お父さんの言葉を信じきれなくなっています。
ふぅーと深く息を吐いて、ドアノブを握る。
どうかさっきの光景が夢か幻でありますように。
そう強く願いながら、私はもう一度茶色の扉をそっと開いた。
「お邪魔します。ごめんください……あれ?」
思い切って中に入ると、そこは広く立派な玄関ホールだった。床には綺麗な赤い絨毯がしかれ、奥にはホテルのロビーに置いてありそうな木製の、背の低いテーブルとソファ並べてあった。テーブルの上には、紙を折り三角柱のようにして立てたものに『新入生受付』と書いて置かれている。ソファには係の人だろうか、しわ一つ無い制服をきちんと着こなした生徒たちが姿勢正しく座り、新入生が来るのを静かに待っていた。
それ以外に目を引くものはなかった。あの異様な光景に通じるようなものは、その影すら見受けられない。
落差というか、拍子抜けというか、私はちょっとしたショックを受けて扉の前に立ったまま呆然としてしまった。そのうち受付に座っていたうちの、髪の長い綺麗な人がすっと立ち上がって、こちらに向かって歩いてきた。
「あなた、新入生かしら?」
「え? あ、はい。そうです」
いきなり声をかけられて、声が上ずってしまった。恥ずかしくなって、私はちょっと俯く。
「なら、まず受付で名前を記入してね。確認が済んだら、係りの人が部屋を教えるから」
「はい。あの、ありがとうございます」
私が急いで礼をすると、受付係の上級生は上品に微笑んで、受付の方へ戻っていく。私はそのあとに続いて、受付の前まで歩いた。
「じゃあ、ここに名前を書いて――えっと、敷島さんね」
受付に行くと、さっきの人とは別の人が応対してくれた。ショートヘアの上品というより爽やかなといった空気をまとった人で、ニコニコ笑いハキハキと話して、新入生の情報がまとめられたファイルの中から手際よく私の書類を探し出してくれた。
「さ行。し。敷島さん、敷島さん、と。あった。これだよね?」
「はい。それです」
彼女は私と書類に貼られた写真を見比べる。
「よしっ、これで確認終わり。部屋にはもうルームメイトが来てるはずだから。場所はそこの階段から三階に上がって三つ目。この地図でいうとここね」
テーブルの上に寮内の地図を出し、指でさして教えてくれる。
「大丈夫? 一人で行ける?」
「はい。たぶん、大丈夫だと思います」
「そっ。分からなかったら、また戻ってきてね。――それじゃ、これからよろしく」
と受付係の人は手を差し出した。私は慌ててその手を握り返して、握手をする。
「よろしくお願いします」
「うん。私、五年の山本晴っていうから。この先、顔見ることも多いだろうし、まぁ困ったことがあったら聞いてよ」
受付の人――山本先輩はニコッと笑ってそう言った。
私は先輩にお礼を言って、玄関ホールをあとにした。