六月に降る雨
昔書いたやつ
最近は雨が降り止まない。
昔は雨が好きだった。雨の匂いや音、それが空気だけじゃなく僕の事も洗い流してくれる気がしていて、そんな自分も一緒に好きになれていた。
しかし年月はそんな気持ちを杜撰にしていき、今では鬱陶しいだけのものでしかなくなっていた。
お年寄りがよく言っている「歳を取りたくない」というのは、外見よりもこういった中身の事を思っての事ではないだろうかと思い始めた自分がきらいだ。
そんな事を考えされる雨のは嫌いだ。特に六月の雨は大嫌いだ。
この退屈な日常を更に退屈にする。
そして僕は退屈が一番嫌いだ。退屈だけじゃない。僕を退屈にする。この世界と、この世界だけではもの足りない僕自身が嫌いだ。
だから毎日面白い事を探しては何も見つけられず虚無感に襲われる。何か切欠があれば、例えば映画やドラマの様な非日常的な何かが。そうすれば僕は迷わず巻き込まれて、命だって差し出してもいいと思う。
最近はよく思う。「何か」いつもとは違う何かがあればいいと。そんな変化を期待して馬鹿馬鹿しいと思う。その繰り返しだ。
でも実際本当に何か、いつもと違うそんな変化を期待していた。それが僕だ。
その変化は何の前触れもなく訪れてくれた。
今日も僕はいつも通り目が覚めて、いつも通り家族とのコミュニケーションを図り、いつも通り学校へ向かう。
僕の通う高校は家から歩いて十五分程。
勿論受験の動機はそこにあって、大して思い入れのある学校では無い。
その十五分の通学をいつも通りこなしていた。そこまでがいつも通りだった。
連日止まない雨が打ち付ける中に、あと少しで校舎に入る。そんなどうでもいい何でもない所で突然目の前に甘い香りが降ってきた。
刹那、「ぐしゃ」とも「べちゃ」ともなんとも言えない不快な音が耳を抜ける。
暫く唖然としていると、いつも教室で聞く以上の女子生徒の甲高い声で意識が戻る。
目の前に死体がある。
それよりもどうして女子の悲鳴は聞こえるのに男子の悲鳴はないのだろう…そんなどうでもいい事を考えて、それよりも面白いものが目の前にある事に気付いてはっとなる。
この死体に関して思った事。第一にこれは誰かという事。次に自殺か他殺かという事。
やっと何かが起きた。それも一番の特等席で。
この死体、よく見たら見覚えがあった。同じクラスの女子生徒で、僕が密かに想いを寄せていつも遠くで眺めていた柳澤さんだ。
想い人が死んだのは残念ではあるが、それ以上にこんな偶然とこの状況が僕の好奇心を掻き立てていた。
そうこうしている内に状況を理解した周りの人間が対処に当たりに来た。
もう少し柳澤さんを見ていたかったけれど、時間は有限らしい。
すぐに先生方々が駆けつけて来て、上着等で柳澤さんを隠してしまった。そして「大丈夫か?」なんていう検討違いの台詞を吐いて僕を柳澤さんから遠ざける。
大好きでしたよ、柳澤さん。
その後は臨時の職員会議があって、僕達はは各自教室待機となり、適当に自習していると午前中で下校という事になったようだ。
僕はあの場に居合わせた数名や、その他の方々共々カウンセリングを受けさせられる事になった。カウンセリングでは普通の会話をしていたらすぐに帰してくれた。
そんな訳でやっと家に帰してもらえた僕は、母の心配する声を無視してベッドに潜る。
そして布団の中で今日の事を思い返す。するとあの時の興奮がまた湧き上がってくる。僕の目の前で人が死んだ。それも大好きな人が。
今日柳澤さんが死んだ。そして僕の白いワイシャツを赤い斑で染め上げる。そのワイシャツを今も着ているという事実が今日の事を物語っていて僕を愉しませている。
そして死んだ理由を思う。何故、どのような理由であの場所に落ちてきたのか。少しでも多くその理由を知りたい。明日学校で聞き回ってみようと思う。
僕はそんな事を考えている内に眠りに落ちた。
朝は思ったよりも早く訪れるものだ。寝起きで気怠い中、今日しなければならない事を考えると昨日の興奮がまた押し寄せてくる。
僕は急いで服を着替え、学校へと向かった。
いつも通り学校に着き、教室を隔てる扉を開けると、騒めいでいた四角い部屋いが一瞬で静かになった。そしてクラスの哀れみや遠慮がちな視線という視線を一手に受ける。
偶には悪くないかと思い、何事も無く席に座る。すると世話好きなクラス委員長の前田さんが心配して話しかけてきた。
それを切欠に他のクラスメイト達も話しかけてくる。
僕はこれを機に柳澤さんが死んだ理由について何か知らないか聞いてみると事にした。
しかし柳澤さんはクラスでも浮いた存在で、親しい友人も無く誰も訳を知らないようだ。だからただの自殺という事で盛り上がっていた。
クラスメイトは悲しんだ素振りをしていても所詮他人事。僕と同じく、何もない日常に起きた、盛り上がり楽しむ為の材料でしかないようだ。
それが人間だ。
学校が終わると僕は職員室に呼び出された。そこから応接室へと連れていかれて中に入ると何故か刑事さんが居て、話を聞きたいと言っていた。
刑事さんは単刀直入に、柳澤さんが落ちたとき上に誰か居なかったか、誰かに恨まれていたか、柳澤さんの交友関係を知らないか、等といった事を聞いてきた。
僕は、上なんて見ていないし、柳澤さんは友人が少なく、誰かに恨まれるような人では無かったという事を簡単に答え、何故刑事さんが来てそんな事を聞くのだろうかと不思議に思っていると、口の軽い刑事さんは勝手に話してくれた。
刑事さんの話では、柳澤さんは屋上から落ちたようで、遺書等がなく、目立って争った形跡は見当たらないが、打撲痕等があるとの事で、一応だが調べていると教えてくれた。
刑事さんとの話を終えて家に帰ると、母の呼び止める声を無視して布団に潜り込んだ。そして今日聞いた内容を踏まえて勝手に想像を膨らます。
これを殺人だと仮定すると、犯人はどのような理由で柳澤さんを殺したのだろうか。
すぐに浮かんだのはいじめの延長。柳澤さんは変わった人だったからいじめの標的にぴったりだと思う。それに人間は集団になると何をするか分からないから怖い。一番シンプルだし、有力ではあるが、それでは僕がつまらない。
次に浮かんだのは、病的に柳澤さんを好いていたにん人間が、殺して永遠に自分のものにしようとか、自分のものにならないならいっそ殺してしまおう。なんていう状況だ。普通に考えてまず無いだろうが、個人的にはこっちの方が好きである。
そんな妄想繰り広げていた。そして僕はその妄想の中で眠りに落ちた。
翌朝になって、相変わらず柳澤さんの話題で持ちきりではあったが、柳澤さんが死んでまだ二日と経たないのに普通通り授業を始める学校に不快感を覚えつつ、柳澤さんの事を考えていた。
もし柳澤さんが殺されたのであるのなら、一体犯人は誰であるのだろうか。僕はノートに犯人候補を書き始めた。
まず前提として、死んだのは校内であるのだから、犯人は学校関係者である。そこから、友人が少なく部活動にも参加していない柳澤さんを考えると、同じ学年が有力だろう。そして更に絞ると同じクラスだ。何故なら柳澤さんは登下校移動教室以外は殆どクラスに居たからだ。
そんな試行錯誤から可能性のある人物を三人にまで絞ってみた。
一人目は、同じクラスの川口陽子。彼女は、表面的には名前の通り明るい人柄ではあるが、裏ではいじめを楽しんでいる集団のリーダーみたいな存在だ。家がお金持ちのようで、我が儘放題の絵に書いたような悪女だ。前に柳澤さんを無理やりトイレに連れ込み、柳澤さんが出て来たときにはずぶ濡れで、痣が増えていたのが記憶に新しい。見えるところに痣を作る神経が凄いと思った。
二人目も同じクラスで、佐藤竜。彼は名前のような覇気は一切持ち合わせて無く、陰気な上に成績も悪く友人も居ないといった最悪な三拍子を兼ね備えた人物だ。彼は僕と同じく柳澤さんに恋心を寄せていたようだが、それがすぐ態度に出るので回りからすればいい遊び道具である。そういえば柳澤さんが死んでからは学校に来ていないようだ。僕はこの佐藤竜の事を毛嫌いしている。生理的に無理だ。多分それは僕だけでは無いと思うが、とりあえず考えたくも無い位に嫌いだ。
三人目は、現代文の講師である内海真也だ。彼は見た目はいいのだが淫行教師と噂されていて、知り合いの知り合いが泣かされたという噂をよく聞く。本当なのかは分からないが、事実であれば今頃は鉄格子の向こうだろうと思う。最近は柳澤さんを気に入っていたらしく、授業中に当てては答えられないと居残りをさせて二人きりになろうとしていた。今思うと柳澤さんは変な人間に好かれやすい理不尽な体質だったのかと思う。
ある程度目星が付いた所で下校時間になってしまったので、続きは明日に回す事にした。明日からこの三人を注意深く観察してみようと思う。
家に帰宅し、母の止める声を再三無視して部屋に入る。すると机の上に水色の手紙が置いてあるのに気が付いた。
母に聞いてみると、昨日届いていて渡そうと思ったようだが、僕が無視をするから渡せなかったようだ。だから今日忘れない内に机の上に上げておいたとの事。
手紙は、封をしているウサギのシール以外は至ってシンプル。切手も貼ってあるし、宛名にもちゃんと僕の名前がある。しかし差出人が書かれいない。
それでも届くものなのかと、郵便システムは杜撰だと思いながら封を開ける。するとそこには今まで考えてきた事への回答が綴られていた。
柳澤さんの遺書だ。
手紙の内容を読むとそこには犯人の名前が何度も何度も書かれていた。
柳澤さんを殺したのは僕だ。
柳澤さんが死んだ日、それが始まりじゃなかった。始まりはその前日にあった。
その日も僕はいつも通り学校へ行き、いつも通り授業を受けていた。
事が起こったのは内海の授業だった。その日も内海はいつも通り柳澤さんを指名し、いつも通り理不尽な難題を出した。そして答えられないでいる柳澤さんに、何で答えられないのかと気持ち悪い顔を近付けた際、急に怒鳴り出したのだ。
授業中に関係の無いものを書いてどういうつもりだ、なんていうどうでもいい内容だ。誰だって内海の授業を受ければ、落書きでもしたくなるくらい退屈になるだろう。居眠りしている人だって居る。今の怒鳴り声で起きたけど。
怒鳴るだけで済ませればいいものを、内海は厭らしい笑みを浮かべ、急に僕を指名し質問を投げてきた。
「柳澤は俺の授業を無視してノートにお前の名前を書いているんだがどう思う?」
面倒な質問だ。大好きな人が僕の名前を書いて居るのだ、嬉しいに決まっている。しかし、僕は自分の為と内海への皮肉を込めて気持ち悪いと言った。勿論心の中では「内海が」という主語が入っている。
それを聞いた内海は、皮肉にも気付かず満足げに授業に戻った。
授業が終わると川口達が柳澤さんの周りで騒ぎ始めた。可哀想に。
それと同じくして普段は大人しい佐藤が僕の席まで来て、さっきの気持ち悪いという回答に不服を申し立ててきた。柳澤さんが可哀想だろとかなんとか。
僕は佐藤とはどうしても話したくないし、本当に生理的に無理なのだ。面倒な上に鬱陶しいので蹴り飛ばしてやった。すると大袈裟に痛がる姿が更に僕の神経を逆撫でするから腹が立つ。
相変わらず柳澤さんがとか、痛いとか佐藤が騒ぎ立てているものだから、そのやり取りを見ていた川口達が面倒な事に絡んできた。今日は厄日なのかと、今日という日を呪った。
川口達は佐藤に、そこまで言うなら柳澤と付き合えとかお似合いだとか言って、更にはキスしろといい初めて無理やり柳澤さんを引っ張り出してきて、キスコールをし初めた。こんな幼稚で面倒な事には正直関わりたくなかったが、満更でもない佐藤の顔を見ていたら虫の居所が悪くなってきて、初めて柳澤さんを庇った。
すると当然のように次の標的は僕だ。
「こいつ、名前書くくらいあんたの事好きみたいだし結婚してあげれば?」
川口がいい始めると周りも便乗する。川口の発想は頭が沸いてるとしか思えない。
こういう降りは正論で相手にすると面倒だという事を知っている。そしてこういう時は川口の調子に合わせて適当な冗談で返すのが一番安全だという事も知っている。
僕は壁際にいる柳澤さんの前に行って壁に片手を当て、もう片手で柳澤さんの顎をクイッとあげて囁く。
「生まれ変わったら結婚してやるよ」
それを聞いた周りは黄色い声を上げて喜んでいる。これはうまくいった。しかし、それを聞いた柳澤さんは教室を逃げるように出ていって、次の日の朝に僕の目の前で死んだ。
柳澤さんは本当に僕の事を好きだったようだ。遺書も遺書というよりは恋文のようだった。
遺書の内容は、最初は僕への告白から始まり、教室で言った「生まれ変わったら結婚してやる」という言葉を信じているという事。そして僕が死ぬまでずっと一緒に居るという内容だった。
つまり柳澤さんは生まれ変わって僕と結婚する為に自殺したという訳だ。そして僕の目の前で死んだのは偶然ではなかったようだ。記憶には無いはずなのに、柳澤さんが落ちてきた瞬間僕を見て笑っている映像が脳裏を走った。
結局柳澤さんは僕が殺した訳だけど、他殺でも事件性のあるものでも無かった。そんな事の終わりが少し残念で、それが僕を虚無感に落とす。またつまらない日常に押し戻されたのだ。
その日、僕は柳澤さんの遺書を抱いて眠りに落ちた。
翌朝、いつもより早く目が覚めた。ここ毎日降り続いた雨は止んで、久々に太陽が空を照らしている。今日は清々しい空だ。そんな空を見ていると、何もない日常でもそれはそれでいいかなと思い始めた。そしていつも通り学校へと通う。
晴れた日には騒がしいと思っていた周りの音も賑やかだと感じる。そしてまた、後少しで校舎というあの場所で、どこか懐かしい覚えのある甘い匂いが一瞬僕の前を通りすぎた気がして足を止める。本当に柳澤さんが一緒にいるのだと思った。
刹那、僕は上から落ちてきた何かに潰されて死んだ。
落ちてきたのは佐藤竜だ。本当に佐藤だけは最初から最後まで腹が立つ。どうせ潰されるのなら柳澤さんの方が良かった。そう思って、ふと遺書の事を思い出す。そういえば、遺書には冒頭で「生きてこの手紙を読んでいるなら…」と書いていて、その時は意味が分からなかった、でも今なら分かる。初めからこうなるべきだったのだと。
翌日には、また自殺があったという事と、それに偶然巻き込まれて僕が死んだという事が騒がれていた。もう僕には関係無いけど。
それに偶然僕が巻き込まれたというのは引っ掛かるが、真実なんて誰にも分からない。そんな話題で世間はまた盛り上がり、熱が覚めたらまた何でもない日常に戻っていく。