第八十七話 未来視の限界
「ああぁ……。ダメだぁ。何をやっても勝てっこないんだぁ……」
向かい合う敵対管理者の口から情けない声が漏れ出てくる。
「黙っていろ!」
こちらの油断を誘うための策か何かかと思ったが、直後叱責している所から疑似人格が泣き言を言っていただけのようだ。
それにしてもなぜあの疑似人格はこれほどまでに弥勒のことを恐れるのだろうか?
その無力感に苛まれる様は、まるでこれから起こることを知っているようではないか。
「チッ!これ以上は邪魔になるだけだな」
「や、やめ!消さないで――」
「消去!」
弥勒が考えに耽っている間――相手の出方を探っていたのであって、無防備だった訳ではない――に自体は思わぬ展開を迎えていた。
敵対管理者はなんと占い師風のローブの男であった人格を消し去ってしまったのである。
そしてそれを見たヒトミが口を開いた。
「なるほど。運命だの何だのにやたらとこだわると思っていたら、あなたはそうやって生み出した人格に未来を探らせて、都合が悪い場合は消す、ということを繰り返していたのね」
観測された未来は確定する。しかし観測者そのものが存在しなくなれば多少はその結果に引きずられはするものの、再び流動性を取り戻すのである。
「ふはははは!その通り!望む未来すら引き寄せることができるこの私こそが、カミとなるに相応しいのだ」
秘密を看破されたことよりも、こちらの先を行っていたことに優越感に浸っているようだ。
それだけ自分の力に絶対的な自信を持っているようだが、
「それほど便利で優れたものか?」
というのが弥勒の正直な感想だった。
「いいえ、欠点だらけよ。だからこそ切り札として使えるのでしょうけれど、簡単に幾度も切っていい手札ではないわ」
つまり何回も繰り返して未来を観測していると、実際の未来が消し去った都合の悪い未来の方に引き寄せられてしまうのである。
「確かに俺たちにここまで追い詰められているし、な。未来に関心を向け過ぎて今をおろそかにするようでは本末転倒ということか」
結局、未来とは今の積み重ねでしかないということなのだろう。そう思うと途端に目の前の男が矮小に見えてくる。
「何とでも言うがいい。だが最後に勝つのはこの私だ!」
しかし、それでも相手は悪霊が汚染した魔力を処理することができる能力を持っている。
穢れた魔力がどれほど危険なものかは分からないが、その処理はヒトミですら面倒だと言い切るほどのものである。
それをこなせるのだから、楽観視できる余裕もなければ油断するなど以ての外だと考えた方がいい。
躍りかかって来る敵対管理者に対して、弥勒は両の拳に魔力を込めると迎撃態勢に入る。
「喰らえ!我がいちげきゃ!?」
男の懐に潜り込んで魔力を解放。
口上を述べることに夢中になっていたのか、男は生み出された衝撃波を正面から受けて吹き飛んで行く。床に落下して転がり、最後は顔を擦りつけるように数メートル滑って止まった。
「弱っ!?」
『弱っ!?』
弥勒の後方で見守っていたヒトミとジョニー――いつの間にか復活していた――の声が綺麗にハモる。
そして当の弥勒は完全に想定外の状況に思わず動きが止まっていた。
無防備の弥勒に物陰から攻撃が!?
等ということもなく、ぶっとばされた敵対管理者がよろよろと起き上がった。
しかしダメージが足にきているのか、生まれたての小鹿並みにプルプル震えている。
こちらの油断を誘うための演技だとするならば大した役者ぶりだ。だが、それなら先ほどの隙を突けばいいだけのことなので、その線はなさそうである。
つまり、
「弱過ぎるだろ!?」
ということなのだった。
奇襲されたという点を差し引いたとしても達治の方がよほど強く苦戦してしまった。
この男相手ならジョニーですら勝てるかもしれない。少なくとも何もできずに攻撃されて昏倒するということにはならないはずである。
「さっき消された彼が絶望感に苛まれるはずだわ……」
魔法で疑似的に造られた人格だったとはいえ、管理者であることには変わりなかった。
いや、造られた人格であるがゆえに本人よりも客観的に自身の能力を、そして戦っても弥勒には絶対に勝つことはできないということを認識していたのだろう。
「哀れだな」
弥勒の言葉は果たしてヒトミの台詞に同調したものだったのか、それとも目の前の敵対管理者に向けられたものだったのか。
いずれにせよ既に賽は投げられている。どちらかが負けを認めるまで戦いは終わることはない。
弥勒は最悪、この世界に来てから初めて命を奪うことになるかもしれないと思っていた。
目の前の敵対管理者は己の欲望のために達治や正など数多くの人々を利用してきている。ヒトミにフミカといった直接、間接を問わずに危害にあわされた者たちは相当な数にのぼるだろう。
だからといって、弥勒はそのことを免罪符に敵対管理者を殺すということを正当化するつもりはない。
殺す覚悟を持ちながらも同時にできうる限り生かして捕らえるつもりでもいた。
ゆえに以下の言葉を口にしたのは当然の流れでもあった。
「お前に勝ち目はない。諦めて負けを認めるのだな」
「ふ、ふざけるな……。こんな所で終わってなるものか……」
しかし敵対管理者には現実が見えていないようだ。憤怒の形相でこちらを睨みつけている。
『小鹿状態で凄まれても怖くもなんともないっす』
ジョニーが指摘する通り、男の足は相変わらずプルプルと小刻みに震えていた。
「なんだろう、つい「バ○ビちゃん、いい子だからお家に帰りなさい」とか言いたくなってくるわ。いや、本当に帰られたら困るんだけどね」
真ん丸雀の緊張感のなさがうつってしまったのか、ヒトミまでそんなことを言い出している。
「私をバカにするな!私はカミになる男だぞ!」
「カミになどなってお前は何がしたいのだ?」
ヒステリックに叫ぶ男に弥勒は以前から抱いていた疑問をぶつけた。
「は?……え?」
しかし男は何を言っているのか分からないという顔をしている。そこで重ねて問いかけてみることにした。
「前々から疑問だったのだ。なぜカミになりたい?カミになってどうしたいのだ?」
以前ヒトミたちに聞いたところによると、カミになること自体を目的としていて、その先の展望は特に持っていないようだったが、どうなのだろうか。
「か、カミだぞ。何でも思い通りにできるのだ!なりたくて当然だろう!」
純粋と言えなくもないが、それより先に稚拙さを感じてしまう。
思わず溜め息をつきたくなるのを懸命にこらえて、視線で先を促す。
「カミになったら……そ、そうだ!私の思い描く楽園を造るのだ!」
「はあ……」
堪えていた溜め息が漏れてしまった。
どう見ても今この場で思いついたことをそれらしく言っただけなのが丸分かりである。
恐らくは、思い描く楽園とはどんなものか?と突っ込んで尋ねても明確な答えを返すことはできないだろう。
だからこそ二度と分不相応な野心を持たせないようにするためにも、己の浅はかさを突きつけてやるべきだ。
「俺も世界を恨んだことは何度もあるから、動機については共感できないこともない。
だがお前にはその先がない。
思い描く楽園だと?今の段階で確固たるものがないのにそんなものが造れるはずがない。欲求を満たすためだけの下品な要求を繰り返すのが精々だな。
俺にはお前のような未来を見る力はないが、その後どうなるのかはっきりと分かる。
どれほども経たない間にお前はその生活に飽きてしまうだろう。そしてその先にあるのは……」
弥勒はそこで一旦区切ると敵対管理者を見据える。
ごくりと喉を鳴らす音は一体誰が発したものだったのか。
「破滅だ」
「うわあああああああ!!!!」
弥勒の誘導に乗ってその様をありありと思い浮かべてしまったのだろう、敵対管理者が悲鳴を上げて蹲る。
弥勒は男に静かに近づくとその背に手を添えて、男の持つ管理者としての力の全てを奪い取ったのだった。
次回更新は3月3日のお昼12時です。




