第八十六話 敵対者
次の部屋も手前の部屋と同じく天井の高い半円形をしていた。
『おらおら、さっさと色々話すがいいっす。ほれほれジャンプしてみるっすよ、ジャンプ!』
「や、やめろ!近寄って来るなあ!」
そしてその部屋の片隅で、ジョニーがいぢめっこになっていた。いや、後半はただのカツアゲ、というか財布を持っていない子ども以外でポッケにそのまま硬貨をじゃらじゃら入れている人がどれだけいるのだろうか?
「弥勒」
その光景を見て酷く疲れた様子でヒトミが呼ぶ。
『ジョニー、もういい。下がれ』
その一言に込められた何とかしろという命令を可及的速やかにこなす。弥勒の指示にジョニーは『ちっ!』と舌打ちすると、
『運が良かったっすね。今日の所はこの辺で勘弁しておいてやるっす』
捨て台詞を残して後方へと下がった。
近年稀にみる見事な三下悪役っぷりである。
さて、ジョニーにいぢめられていた人物、声音からすると男であろうか。ローブのような服に一体化しているフードを深めに被っていて、一見すると占い師のように見えなくもない。
「ああ、山登に俺のことをあることないこと話したのはお前だな」
弥勒の言葉に男はわずかに身動ぎをして明後日の方向に視線を向ける。その態度が肯定の意を示していた。
フードを覗き込むと、前髪でほとんど顔が見えない。場違いだとは思いながらも、よくそれで走り回ることができるなと感心してしまった。
「聞きたいことは色々あるが……。なぜ達治を切り捨てた?」
「き、切り捨ててなどいない。あいつが居残ると言いだしただけだ……」
「それではどうしてあんな大怪我をしていたのだ?誰がその怪我を負わせた?」
「…………」
『おうおう、にーちゃん。素直に答えた方が身のためだぜ……っす――』
小悪党感満載で混ぜっ返すジョニーをヒトミがそっとキュッと静かにさせる。
「脅すつもりはないが、俺は今虫の居所が悪い。だから強引な手段に出ることへの禁忌感が薄くなっている」
「十分脅しているじゃないか!?」
「そう思うならば、早く話すべきだな」
「……一緒に戦えと無理強いしてきたから……嫌だと言ったら揉み合いになって……気が付いたらあいつが倒れていた」
山登の話からもこの男が異様に弥勒のことを恐れていることは分かっている。
達治の要求を断り、そのことが原因で諍いになったという彼の言い分は一応筋が通っているように思える。
思えるのだがどこか釈然としない。
抱き上げた時の達治の様子を思い返してみる。そこに納得ができない理由が必ずあるはずだ。
「揉み合いになったという割に着衣に乱れがなかった。それに傷も急所に一撃だけだ。綺麗過ぎる」
不意を打たれた?
確かにそうなのだろう。しかしそれを行うには明確な害意が必要になるはずだ。
「気が動転していたんだ!そんなことまで覚えていない!」
フードの男が叫んでいるが、こうなると嘘を重ねているようにしか感じられなかった。
「信用できないな」
視線だけでなく声音までも冷ややかになっていることが自覚できる。
「ど、どうすればいいんだ!?」
一見すると半狂乱になっているようだが、冷静に観察してみるとこちらの様子を伺っているように感じられた。
深く被ったフードと長い前髪で、視線だけでなく表情や感情など様々なものを隠しているようだ。
「もう一度だけ聞く。何の為に達治にあんな大怪我をさせた?」
次はないという脅しを込めて語調を強めると、どう応えるべきか悩むような動きを見せる。
そのまま時間だけが過ぎていく。知らない間に力が入っていたのか、ヒトミにキュッと抱かれたジョニーが時折痙攣していた。
「……あ、あの方の指示だ」
時間切れを宣言しようかという頃になって、ついに男は口を開いた。
「その方がそんな指示を出した理由は何だ?」
男の呼び方に合わせながら、わざと嘲るようにして尋ねる。
今更挑発が効くとは思えないが、何らかの拍子に逆鱗に触れて思わぬ情報を引き出せる――その分危険度は跳ね上がるのだが――可能性は否定できない。
揺さ振りをかけ続けることはしておくべきだろう。
「私などにあの方の崇高な考えは理解できるものではない。……ほ、本当だ!信じてくれ!」
そして男の返答に若干の苛立ちが混じる。だが、すぐに失言だったと思ったのか、取り繕うようにしていた。
一方弥勒は縋り付こうとする男を無視して「はあ」と一つ溜め息を吐いて振り返ると、
「知っているか?この世界では魔王というと悪の権化なのだそうだ」
誰に言うでもなく喋り始める。
「え?……え?」
そしておもむろに困惑する男の腕を掴むと、部屋の真ん中へと向けて全力で放り投げた。
「つまり不意打ちといった卑怯な手段はお見通しということだ」
言い終わらない内に、投げられた男は空中でひらりと体勢を立て直すと、芝居がかった動きで華麗に着地する。その手にはどこからか、そしていつの間に取り出したのか大振りの刃物が握られていた。
「あははははは!驚いたな。一体いつから私だと気付いていた?」
「この部屋に入った時からだな」
「チッ!その女が吹きこんだのか」
弥勒がヒトミに目配せしたのを見ると、男は楽しそうに笑っていたのを一変させて、急に不機嫌な態度になった。
先ほどまでのおどおどしていた男と同一人物であるとはとても思えない。
さらに弥勒の全力、管理者としての力も動員した本当の全力で投げられたのに、どこも傷めることなくぴんぴんしている。
そう。
この男こそフミカを脅して無理矢理協力させていた、更には正を操って義則を悪霊化させようとした張本人である敵対管理者だったのだ。
この部屋に入った時にヒトミが弥勒の名を呼んだのは、そのことを伝えるためでもあった。
もしも普通に声をかけていれば勘付かれたかもしれないが、ジョニーがチンピラ化してカツアゲをしていたお陰?で上手く事を運ぶことができたといえる。
ただし、そのことを誉めるかどうかとなると、それはまた別問題ということになるのだが。
「や、やっぱりダメだったぁ……」
「黙っていろ!私はカミになるのだ。この程度のこと、何とでもできる」
「だけど、こちらの手は全てバレてしまっているんじゃ手の打ちようがない……」
「そんなものはったりに決まっているだろう!仮にそうだとしてもその時は正面から叩き潰せばいいだけのことだ!」
男の口から二人の声が交互に発せられる。その度に纏う雰囲気や魔力が変化していく。
「……複数人格?」
「ああ。恐らくは魔法で造りだした疑似的なものだろうな。だが魔力パターンまで異なるものを造れるとなると、禁呪どころの騒ぎではないぞ」
カミになると豪語するだけのことはある、ということか。
弥勒たちは精神操作や暗示で多くの手下を操っていたのかと疑っていた。しかし実際は、疑似人格を用いて本人が動き回っていたのだった。
それ自体は裏をかかれたといえるのだが、それゆえ手の回らない部分――菜豊荘住人の動向の確認や、実験の被験者募集に関してなど――も出ていたのだろう。
どおりでこちらへの対応に斑があった訳だ。
つまりはだれも信用していないということであり、達治も役に立たないと切り捨てられた可能性が高い。
「なんにせよここまできたのだから、決着をつけさせてもらおうか」
憎々しげにこちらを睨む敵対管理者に向き直る。
一触即発といった空気が張り詰めていく中で、一羽ジョニーだけはヒトミに抱かれて『お花畑が見えるっす……』とあぶない寝言を呟いていたのだった。
次回更新は3月1日のお昼12時です。