第八十三話 接触、そして交渉
青龍号を走らせて目的の場所へと向かう。自然に、そう、自然にしていればいい。何も難しいことはないのだ。
前方よりクーガがやって来るのが見えた。青龍号を停めて声をかける。
「おや?こんな所で会うとは偶然だな」
『だめっす!全然全く自然じゃないっす!不審者大爆発っす!』
念話を通じてジョニーが叫んでいるのが聞こえる。しかしその言い方だと自爆テロのように不審者が爆発したことになってしまう。
それはともかく視界の端に映るムゲツも明後日の方を向いていた。彼的にも今の弥勒の台詞はいただけないものだったらしい。
案の定、呼び掛けられたクーガは訝しげな顔をしている。
『驚かせてしまって申し訳ない。役場で通訳をした弥勒という者なのだが、覚えているだろうか?』
改めて魔力を介して全言語対応となった言葉で話しかける。さっきはそれすらもしていなかったのだ。ジョニーたちにダメ出しされる訳である。
幸い記憶の片隅には残っていたのか『ああ!あの時の!』とクーガはすぐに相好を崩した。
『お久しぶりですね。その節はお世話になりました』
『なに、それが仕事だからな。気にする必要はない』
『それでも弥勒さんのお陰で簡単に手続きが済んだのは事実ですから。ところで、今日はどうしてこちらへ?』
『実は俺もこちらに来てまだ日が浅くてな。時間のある時にはこうしてあちこちを冒険して回っているのだよ』
『へえ。いいですね、それ』
冒険という言葉が気に入ったのか、クーガは笑って返した。
『私なんて最近は研究所と家との往復だけですよ』
『そうなのか?それならこの前近くに美味いパン屋を発見したのだ。時間があるなら案内するがどうかな?』
『ぜひお願いします』
〈ベーカリー・トオマル〉ですっかりこちらの世界にパンにはまってしまったこともあり、弥勒は遠出する時にはその町のパン屋さんを探すのが癖になってしまっていた。
それと、どういう基準なのかは不明だが、本人的には定食屋等の食べ物屋さんは敷居が高いと感じているので、未だに入ったことがなかったりする。おかしなところでシャイな元魔王なのであった。
『やっぱり私も近所を探検して回ってみるべきですかね?』
『そうだな。ニポン語でも基本的な受け答えはできるようだし、うろうろしてみるのも楽しいと思うぞ』
パン屋でのやり取りを見て、取り入るためのおべんちゃらではなく本気でそう思う。
それに例の研究所があるせいか、この近辺は大学の他の学部のある地域や工業地域付近に並んで外国人が多いようで、店員の応対も慣れたものだった。よってクーガが散策するには都合がいい場所だといえる。
『ぜひとも俺の知らない美味い食べ物を扱っている店や、面白い商品が置いてある店を発見して報告してくれたまえ』
『あはは。了解です。……と言いたい所なんですけれど、年明けに控えている大きなプロジェクトが終わるまでは、そんな暇はなさそうですね』
『大きなプロジェクトというと、学生を何百人も集めてやる予定の実験のことか?』
『どこでその話を!?』
学生の間には広まっている話だが、一般人にはそれほど知られていないと思っていたクーガは思わず大声を出していた。
『こんな仕事をしていると留学生と話すことも多くてな。ついつい雑談に耽ってしまうこともあるのだ。まあ、大抵は後で怒られる訳だが……』
『ああ。私の時と同じですね』
『概ねそんな感じだ。それで今の話も留学生と雑談している時に聞いたのだよ』
弥勒の説明にクーガは一応の納得はしたものの、その顔には不快感をにじませていた。それというのも、彼ら〈頭脳科学研究所〉内で働く者たちは、極秘とまではいかなくても、それなりに高いレベルの情報秘匿がなされていると考えていたためである。
被験者も口の堅い人物が選ばれてやって来るものと思っていたのに、どこをどう間違ったのか大学側はアルバイト形式で人員を募集してしまったのだった。
『これは研究所としては抗議しておく必要がありますね』
呟く隣で弥勒もまた考え込んでいた。
一見するとただのヒューマンエラーというか、研究所側と大学側の意思疎通が不足していただけのようにも思えるのだが、敵対管理者の仕掛けた罠のようにも見える。
また、ミス自体は偶然起きたものだが、それに便乗してこちらが疑心暗鬼に掛かるように仕向けたとも考えられる。
(これは考えるだけ無駄だな)
どうにも選択肢が多過ぎて、しかもそのどれに対してもそれなりにしっくりくる理由が付けられるという厄介ぶりだ。
結局弥勒はそう結論付けると、敵側の策の可能性があるものとして行動すること――つまりはその場その場で何とかしようということ――にしたのだった。
『話は変わるが、その実験のアルバイトに俺も参加することはできないだろうか?』
『弥勒さんがですか?一体どうして?』
『実は今の役場での通訳のアルバイトなのだが、来年の三月末で終わってしまうのだ。四月以降も続けて働きたいという要望は出しているのだが、どうなるかはまだ未定なのだ。だから今の内に役場以外の働き口も探しておくべきかと思ってな』
これもまたクーガに取り入るための方便ではなく、本当のことだったりする。
弥勒の有用性を知る上司や弥勒の通訳の協力を受けたことのある職員たちもまた継続雇用するように働きかけているようだが、そうなると昇給等の問題も出てくるため、役場側としては難色を示しているという話だった。
折衷案として数ヶ月間程度の期間を置いて、再度同条件で雇用するという提案がされたとかされていないとか。
瑞子町役場の全業務がお役所仕事から脱却できる日はまだまだ遠そうである。
『うーん……個人的には協力したいところではあるんですけど、私一人ではなんとも言えませんね。……弥勒さん、この後時間はありますか?』
『隣の市に入った辺りまでを探検するつもりだったから問題ないぞ』
『それなら研究所に一緒に行きませんか。他の研究者たちにも掛け合ってみますので』
予想を遥かに越えた好条件に目が丸くなる。人が良さそうだとは思っていたが、ここまでとなると、悪い人間に騙されやしないかと心配になってしまう。
実際に敵対管理者やその手の者たちに騙されている可能性もありそうだ。
『それはありがたいが、迷惑にはならないか?なにより今日は休みだったのだろう?』
諸手を挙げて賛成したい気分を抑えて控えめに答える。更に気遣いも見せるが、半分以上は素である。
『休みといっても特に行く場所もありませんから。
それに弥勒さんのような部外者にまで実験のことが知れているとなると、被験者としてやってくる学生たちもアルバイトということに釣られて、実験の意義などには無関心だということも考えられます。
私たち研究所の職員だけでそんな学生たちの手綱を取るのは難しいでしょう』
もの寂しい台詞が聞こえてきた気がするが、そこには触れずにその言葉の裏を探る。
『つまり、俺に学生たちを引っ張るリーダー役になって欲しい、と?』
『有体に言ってしまえばそういうことです。研究所の者には、あらかじめそういう人間を仕込んでおくことで学生たちを誘導する煩わしい手間が省けます、とでも言って説得してみるつもりです』
要するに、それだけの苦労を引き受ける気はあるのかと問われているのだった。もちろん敵の牙城に堂々と入ることができる機会を逃すつもりはない。
『その役目、引き受けよう。だが、俺に抑えることができるのはせいぜい数十人までだ。そのあたりは考慮してくれよ』
軽口――さりげなく数十人なら御せるという有能であるアピールか?――を交えながらクーガと研究所へと向かい始める。
ここからが正念場だと心の内で気を引き締めながら。
次回更新は2月25日のお昼12時です。




