第八十二話 艮の世界と下準備
それから数日間は穏やかな日々が表面上は続いていた。しかしその裏ではどこから聞きつけたのか、ノリノリのヒトミによってジョニーが扱かれていた。
『これ以上やったら死んでしまうっす!』
「減らず口を叩ける余裕のある内は大丈夫よ」
『鬼がいるっすーー!!』
お陰で真ん丸雀の動きのキレは目に見えて良くなっていった――体型は真ん丸のままなのに――のだが、その反面役場の駐輪場に集まるジョニー信者の皆さんが寂しい思いをしていたので、これからはダミー人形でも作っておこうかと思う弥勒だった。
「雀ちゃんにあげて」と渡されたお菓子の数々はダイエット中だと少しだけもらって後は返すようにしていた。
それでも押し付けてきた物に関しては、スタッフ――菜豊荘の面々やヒトミにフミカ、更には菜豊塾の子どもたち――が美味しく頂くこととなったのだった。
一方ムゲツは弥勒からの依頼を受けて、研究所に勤めているクーガ――例の彼の名前――のことを見張っていた。その見立てによれば、魔法や薬といった物を使われた形跡はないということで、今は実験に際して倫理観や道徳観がぶっ飛んでいないかを確認している最中であるとのこと。
つまりは接触を図り、ある程度こちらに引き込んでも問題のない人物かどうかを見極めるつもりのようだ。規格外とはいえ、鳥とは思えないほどの有能ぶりである。真ん丸雀にも見習ってもらいたいと、心底思う弥勒だった。
その弥勒であるが、彼も一応下地作りに動いていた。クーガに会った時に怪しまれないように、彼の家や研究所のある近辺を青龍号でうろうろしていたのだ。
ついでにフミカから受け継いだ自身の管轄地にも行ってみたが、そちらは長居せずに軽く流すくらいにしておいた。
そして金曜日になると、残る艮の世界にヒトミと三人で旅立った。
艮はこちらの騒動が落ち着いてからでいいと言っていたのだが、不吉なフラグが――「俺、この騒ぎが収まったら異世界に行くんだ」的ななにか――立ちそうなので予定通りに行くことにしたのだ。
そしてゲートを抜けて着いた先は精霊や妖精たちが住む、隠れ里のような場所だった。ただしその規模が半端ではなく、並みの小国以上の広さを持っていた。
そこに大勢の精霊や妖精たちがそれぞれの種族ごとに集まって暮らしているということだった。
艮があちらの世界にやってきたのは今から七年前のことで、隠れ里の結界を張り直す作業に参加していた時で事故に遭ったという。
どうやら使用されていたのが時空系の魔法に連なるものだったらしく、大勢が一度に使っていた結果、干渉しあってゲートが発生してしまった、と考えられる。
そして肝心の艮の里帰りであるが、針生や玄人の時と違って全く何の問題なくすんなり終わった。
家族や一族の者たちも健在で、互いの無事を喜び合っていた。更に話を聞きつけた近隣に住むゴブリン以外の妖精族の人々も続々とお祝いに訪れて、ゴブリン村の広場はあっという間に宴会場になってしまった。
大騒ぎになる中で、艮に近しい者たちに彼が定期的に世界を行き来しなければならないことを伝えることができたのは奇跡に近いことだったといえる。
「それでは、後は頼んだぞ」
「ええ。改めて明日にでも艮が世界を行き来することと、ゲートについての話をしておくわ」
非常に残念なことに、弥勒は今日の内にあちらの世界に帰らなくてはいけないのだった。
普段はちゃらんぽらんだったり抜けている所があったりするヒトミだが、いざという時には頼りになるということはフミカが懐いていたり、針生たちから信頼されていることからも容易に見て取れている。任せておいても問題ないだろう。
背中に様々な羽を付けた妖精たちが飛び回り、精霊たちが色彩鮮やかな光を放つという幻想的な光景が繰り広げられている宴会場から後ろ髪を引かれる思いで立ち去る。
完全に八つ当たりだとは分かっていても、未だ見ぬ敵対管理者への怒りが募る。
同時にこの世界には絶対にまた来ようと心に誓う弥勒だった。
怪しいフラグ――「俺、今度の戦いに勝ったら妖精を見に行くんだ……」――が立ちかけていることには気が付かないままに……。
明けて翌日、こちらの世界に帰ってきていた弥勒は青龍号で出掛ける準備をしていた。
前籠には真ん丸雀が乗って、いや転がっている。ヒトミの扱きからくるダメージは一日では回復しきれなかった――ただし食欲だけは回復していた――ようだ。
それでももうしばらくしたら強制的にでも復活させるつもりである。何せこれからクーガと接触を図る予定なのだ。その時にはムゲツと共に周囲の警戒に当たってもらう必要があるのだ。
「弥勒さんの言葉を疑う訳ではありませんけれど、本当にその人は信用できるんでしょうか?」
イロハの呟きに、思いっきり疑っているではないか!と突っ込みたくなったが、心配されているということがよく分かったので我慢する。
それにわざわざ異世界に逗留する機会をなげうってまでして帰ってきたのだ、今更止めることなどできはしない。
「まあ、あの梟のムゲツさんでしたっけ?彼も大丈夫だと思っているみたいだから平気ですよ。すごく賢そうだったし、案外動物の方が僕ら人間よりも人を見る目はある様な気もするし」
代わりに将がそう言ってイロハを宥めていたが、その言葉は的を射ていた。
動物の人の本質を見抜く力は侮れないものがある。特にムゲツが出張った今回などは十分に信がおけるものだといえる。
しかしそれも弥勒とムゲツとの付き合いがそれなりの期間になるので言えることであって、つい先日その存在を知ったイロハからすれば不安になるということなのだろう。
「そのムゲツにジョニーも警戒に当たらせるし、十二分に用心はするつもりだ。安心しろ、と言われても簡単にできるものではないだろうが、ここは引いてくれると助かる」
「はぁ……。そうですね。早めに手を打たなきゃいけないっていうのは決定事項ですからね。ごめんなさい。少し気弱になり過ぎていたかも」
「最終的な相手は管理者なのだから、そのくらい慎重に構えておくので丁度いいさ。そういうことだからこちらの警戒も密にしておくようにな」
後半は将に向かって告げる。
「はい。弥勒さんが帰って来るまでは一〇二号室に集まっておくことにします」
既に全員呪文の詠唱というか名前を口にするだけで〈気弾〉を使えるようになっている。
いざという時の戦力とすればかなりのものとなっているはずだが、先日の弥勒への襲撃のようなこともあり得るので油断は禁物である。それこそ憶病なくらいでいい。
この後のクーガへの接触が反攻の第一歩となるかどうかは分からないが、せめて足がかりにはしたいと思う弥勒であった。
フラグ以前に台詞だけ聞くとアブナイ人みたいですよね。
次回更新は2月23日のお昼12時です。