第七十五話 針生の世界 その五、勝利
ぶちん。
弥勒たちがカッコいいマンティコアの造形について熱く語り合っていると、何かが切れる音がした。何事かと見回すと、アコテの主人である病的色白エルフ男がわなわなと震えていた。
「ほほう。取り扱える魔力はそれなりに大きいようだな」
弥勒の言うように男の周囲には魔力が渦巻いていて、その剣呑さに怯えたアコテがすぐ隣で伏せっていた。マンティコアを創り上げたのは偶然ではなく実力であったようだ。
「お前たち……!俺をバカにするな!俺を除け者にするなあぁぁ!!」
怒鳴り声と共に集まっていた魔力が拡散していく。
叩きつけられる魔力の奔流にエルフたちが身構える。
放っておくと建物に被害が出そうだったので、弥勒は結界を張って魔力の流れを空へと逃がした。
一方ヒトミは吹き飛ばされそうになったり、倒れそうになったりしているエルフたちをこっそりと支えていたのだった。
時間にすれば十秒にも満たないわずかなものだったが、大半の魔力を使いきってしまったのか男は荒い息を吐いてへたり込んでいる。
その顔色は先ほどまでよりもさらに悪くなっているように見受けられた。
「ああ!誰かと思っていたのだけれど、ようやく思い出した!あなたは言葉遣いが悪くて癇癪持ちで短気なその割に誰かに構って欲しい寂しがり屋のピストだね!」
男の力に集落のエルフたちが戦慄する中、針生の声が間が抜けたように響いた。
それにしても酷い。これだけ短所を並びたてて言われては素直に「そうだ」とは答えられないのではないだろうか。
ただ、集落の誰からもフォローも異論も出てこないので、これが男、ピストに対する共通認識ということであったらしい。
針生の言葉に再び怒気を煽られたのか、はたまた思い当たる節があって恥ずかしかったのか、どちらなのかは不明であるがピストの顔に朱がさしていた。
それを見てヒトミは血が通ってきたとちょっとホッとしていた。
「もういい……。そうだ。お前たちがいるから、こんな集落があるのが悪いのだ……。全部消し飛ばしてやる」
どうもおかしなスイッチが入ってしまったらしく、不穏なことを呟きだした。
「ピスト、そうやってすぐ自棄になるのは君の悪い癖だ。少し落ち着きなさい」
そして針生は空気が読めていないかのように、いまいち説得になっていない言葉を投げかけている。
もちろんわざとである。あちらの世界の〈森の館〉で数十年間も喫茶店のマスターをやってきた男が場の空気を読めないはずがない。
これまでのやり取りを見て、集落の者たちとピストとの間には既に決定的な溝ができてしまっていると感じていた。
そのため、忠告を聞くようならば両者を取りなし、逆上するようであればきっちりお仕置きをしておこうと考えていた。
まあ、実際にそのお仕置きをする人物が針生自身ではなく、弥勒ないしヒトミを想定している辺りが、彼のちゃっかりで強かな所だといえる。
「そもそも君にはもうほとんど魔力が残っていないじゃないか。それ以上無理をすると命に関わるよ」
今更ながら説明しておくと、魔力のある世界に存在する生命は全て体内に魔力を持っている。これは呼吸等で常に世界に満ちている魔力と入れ替わっているのであるが、魔法を使うためには、この体内にある魔力を消費することとなる。
使い過ぎると意識を失うといったセーフティ機能が発動するのだが、それでもなお無理して魔法を使って体内の魔力を消費していくと、最終的にはどうなってしまうのか?
答えは死んでしまう、である。
現在ピストはいつ意識を失ってもおかしくないほど体内の魔力を消耗している。感情に任せて魔力を爆発させたのであるからそれ自体は当然のことなのだが、これ以上の魔力の消費は本格的に危険なレベルにまで達していた。
「くっくっく。たとえ俺が動けなくともお前たちを殺すことなど何の造作もない。さあ、アコテよ!こいつらを八つ裂きにしてしまえ!」
威勢がいいことを言っているが、その姿は両手両膝をついたままだったので、全くもってしまらない絵面である。
あと、時代劇好きのヒトミは――この辺りに本来の年齢が見え隠れしている――は、追い詰められた悪代官みたいな台詞よね、とか思っていた。
「……を、をでがばぶぼでずが?(以下カッコ内は弥勒による訳。お、俺がやるのですか?)」
そして指示された当人?は随分と驚いていた。
「当たり前だ。そうだな、まずはそこにいる余所者を見せしめにしてしまえ!」
「ぐげ!?ごぢづだがばでずが!?(うえ!?こいつらからですか!?)」
お星さまにされて苦手意識ができてしまったのか、こちらを見るアコテの顔はとても情けないものだった。どうするべきかとその場をうろうろしている。
アコテの言葉は分からなくても、ピストの台詞などから大体の会話内容は分かる。
よって最初は魔物をけしかけられると体を固くした集落の者たちも、しばらくすると様子がおかしいことに気が付き始めた。
「どうした!?昨日の復習をする絶好の機会だぞ!」
いつまでも襲おうとしない僕に主人が発破をかけるが、昨日の状況であれば汚名を注ぐといった方が適当だろう。少し気になったので尋ねてみることにした。
「昨日のこと、というとあの泉での話だな。そちらの僕殿は何と言っていたのだ?」
「ふん!薄汚い他所者め!聞いているぞ。お前が卑怯にも奇襲をかけてアコテの狩りの邪魔をしたのだとな!」
ピストの答えに思わずアコテの方を向くと、所在なさげに俯いていた。どうやら素直にやられたとは言えずに色々と脚色してしまっていたようだ。
自業自得であり、それ以前に魔物なのに奇襲されたとか言っている時点でダメ過ぎるという気もするが、せめてそのことには触れずに戦ってやるのが情けか。
「それは違うわ!その魔物の方が弥勒さんに襲いかかっていったのだけれど、撃退されたのよ!」
そんな風に考えていたのに、集落の奥からやってきたミークが、自分が泉で襲われそうになったことから弥勒に助けられたことまで事細かく説明してしまった。
説明を聞いた集落のエルフたちの「うわあ……」とか「やっちまったな……」とかいう感じの視線に耐え切れなくなったのか、アコテは突っ伏して両前足で顔を隠していた。そんな仕草に
「……な、何か猫っぽくて可愛いかも」
ヒトミを始めとした一部の者たちの中でアコテの人気がこっそり上昇していた。
反対に怒り心頭なのがピストだ。余計な恥をかかされたうえ、本来従順で柔順でなければならないはずの僕に欺かれたのだからそれも当然のことである。
同じく僕である真ん丸雀の言動に苛立たされることが多い弥勒もちょっと同情してしまっていた。
「アコテ、お前が取れる選択は二つだ。一つはここにいる連中を皆殺しにすること。もう一つは俺の手で殺されることだ」
「ぞ、ぞんば!?をぶぐじぐだざび!(そ、そんな!お許し下さい!)」
「ならば殺れ!殺し尽くせ!」
生殺与奪を握られてアコテは観念したかのように弥勒へと向き直った。そこには死地に赴く者特有の悲壮な表情が浮かんでいた。
「弥勒……」
「分かっている。上手く加減しよう」
その姿を哀れに思ったヒトミにそう返すと、一歩前へと出る。
「ぐぶだばだああぁぁぁぁ!!(ぐるらああああぁぁぁぁ!!)」
それを待っていたかのようにアコテが飛びかかるも、弥勒は体を低くしてその巨躯の下へと潜り込む。
「これは今までのツケだ。耐えて見せろ!」
左手で前足の片方を掴んで右手で獅子の下腹部を押し上げると、アコテは半回転して背中から地面へと叩きつけられたのだった。
「げぶっ!!(げぶっ!!)」
手加減したつもりだったのだが、衝撃を殺すことができなかったのか、目を廻して血を吐くマンティコア。
弥勒は近寄ってその傷を直してやることにした。ついでに声帯も造り直してまともに喋れるようにしておく。
「ちっ!余計なことを。だが、俺には無能いらない。アコテよ、死ぬがいい!!」
ピストから放たれた漆黒の光がアコテを貫く!……しかし何も起きない。
「なに!?どういうことだ!?」
訳が分からず何度も漆黒の光を放つピスト。やがて魔力が枯渇したのか倒れ込むようにして崩れ落ちた。
「無駄だ。心臓に付けてあった枷は消してある。ついでにお前とその魔物との主従関係も既に断ち切ってある。これで手は尽きたな。諦めて敗北を認めるがいい」
動くべき枷――今回は心臓を止めるようになっていた――がなければ、いくら起動魔法を使った所で意味などない。怪我を直すと見せかけて――実際に直してはいるのだが――、弥勒の本命はこちらの魔法の書き換えにあった。
「そ、そんな……。そんなんことができる者がいるなんて……」
「いるのだよ。狭い世界に囚われて上を目指すことを忘れてしまった。お前の敗因はそこにある」
ちなみにどちらも管理者の力を使ったものではない。敵対勢力に使役される魔物やゴーレムなどの支配権を奪うために、魔王時代に配下の者たちと編み出した技術である。
「とりあえずしばらく眠っていろ」
弥勒との格の違いを見せつけられて茫然自失とするピストの首に手刀を落として昏倒させると、
「終わったぞ」
見守るヒトミと集落のエルフたちに告げたのだった。
あっさりと勝利です。まあ、ピスト様はほとんど自爆のようなものですけどね……。
次回更新は2月11日のお昼12時です。