第六十一話 送還士、弥勒
コロンコロン。
いつものように柔らかいドアベルの音を聞きながら店内に入ると、そこはいつもとは違った様子だった。明らかに客が多い。しかもその大半を占めるのは男性だった。そしてその原因だと思われる人物が声を上げる。
「あ、弥勒さん!いらっしゃいませ」
フミカだ。彼女はヒトミの所にただ厄介になっているのは申し訳ないと言って、針生たちの隠れ里でもあるこの喫茶店でウェイトレスとして働いているのだった。
「ああ。ところでその格好は一体どうしたのだ?もしかして針生の趣味か?」
働き始めた当初は私服にエプロンという装いだったはずだ。しかし今はどこぞのメイド喫茶のような、なんちゃってメイド服へと変わっていた。
「違いますよ」
弥勒の軽口をカウンターの奥にいた針生がすぐさま否定する。都会では冗談で済むようなことでも田舎だと通じないこともあるのだ。
「すまない。少々性質が悪かったな」
今のはそれに気付かなかった弥勒の落ち度といえる。素直に謝罪すべき所だろう。
「構いませんよ。さあ、どうぞお席に」
勧められるままにいつものカウンター席へと腰を落ち着かせる。ちなみにジョニーは役場駐輪場の信者たちに預けてきている。球体化が進むことになるが食費には変えられない。時間の許す限りダイエットをさせることにしよう。
「それで、その衣装は?」
お冷を運んできたフミカに改めて聞いてみる。
「先輩が新しい服が欲しいって言うので作ったんですけど、面白がって私の分も作らされちゃって……」
「どうせだからここでも着てみろ、と無茶を言いだしたのか」
「はい。……どうでしょうか?弥勒さんから見て変ではないですか?」
「よく似合っていると思うぞ」
「ありがとうございます……」
と、フミカがはにかんだ笑顔を浮かべた瞬間、店内の各所から殺気が送られてくる。ここでもまた新たなカミに仕える信者が生まれてしまったらしい。ただし下心満載だが。
それにしてもフミカ一人でこれなのだから、ヒトミが現れたらどうなってしまうのだろうか?控えめな態度の美女メイドの隣に偽装少女メイドが並んだ所を思い浮かべて戦慄を覚える。
確実に大騒ぎになりそうだ。ぜひとも世界の平穏のために部屋着としてだけで楽しんで頂きたい。
「それにしてもこれほどこの店が混んでいるなんて初めてではないのか?」
注文したブレンドコーヒーを受取りながら今度は針生に尋ねてみる。
「そうですね。定期的に客を入れるようにしている日よりも多いと思います」
「隠れ里としての結界が弱まっているのではないのか?」
「いえ、それはありません。今朝も結界の確認はしたばかりですから」
「そうなると、やはり彼女か……」
「はい。さすがは元管理者ですね。結界を突きぬけて客を呼び込んでいますよ」
カムカムキャットも真っ青な集客能力である。コーヒーを啜りながら店内を観察していると、客の目当てがフミカであることがはっきり分かってくる。
彼女に声をかけるために客一人当たりの注文数も増えているのが救いか。
反対に弥勒のようにのんびりと落ち着きたい者にはマイナス要因だともいえるが、それも数日の間のことになるだろう。
本格的に大勢の客が押し掛けるようであれば結界を強める等の対処をするはずで、そうした判断は針生たちに任せておくべきだと考えていた。
「修行の方は順調ですか?」
「ああ、特に問題はないな。しかし、あの頭の中でナビゲートされる感覚だけは未だに慣れないがな」
管理者の仕事が滞らないようにするためのシステムらしいが、知らないはずの事柄が勝手に頭の中に思い浮かんでくる様は気持ちの良いものとは言えなかった。
「俺のことよりも皆のことだ。どうするかは決めたのか?」
「それが恥ずかしながら、まだ決めかねていまして……」
と針生が悩んでいるのは、弥勒が管理者になったことにより可能になったとあることに由来する。それは針生たち異世界出身者をそれぞれ元の世界に戻す送還である。
弥勒自身の知識に管理者としての知識が加わったことで、世界を超えるための理論が――弥勒の中でだけ――飛躍的に進歩したのだ。
それでも針生たちの故郷であるそれぞれの世界については弥勒も良く分かっていないために、現段階では一方的な送還しか行えないという状況であった。
「一方的にということは、もし送還して貰うと二度とこの世界にはやって来られなくなる、ということなのですね」
数日前、そのことを説明した際に針生が発した言葉である。帰りたいと語っていたではないか、とは言うなかれ。その気持を揺らがせてしまうほど長い期間、彼らはこの世界で過ごしていたのだから。
そして彼らをより深刻にさせていたのが、
「漫画が読めなくなるのは辛いですねえ……」
ということだった。彼らの故郷は娯楽というものがほとんどない世界だ。というよりも、娯楽が溢れかえっているニポンの在り様こそが希少なのであり、一度その状況に馴染んでしまうと、離れ難くなってしまうのだった。
弥勒とて勇者たちとの一件等がなければこちらの世界に住み付きたいと半ば本気で考えているほどである。
かといって元の世界への郷愁の情がなくなっているということではない。
特に針生たちは帰る道標さえ見つからないまま、この地で没していった者たちの姿を何度も目にしている。
そうした者たちの想いに応えるためにも、帰らなければいけないという義務感すら持っているのである。
反対に先にも上げたようにこの世界への心残りもある。そしてそれ以上に生活するために尽力してくれたヒトミの恩に何も報いることができないままこの地を去ってもいいのか、という気持ちも強い。
つまり、誰も彼もすぐさま答えを出せるようなものではなくなっていたのだった。
「そうか……。ゆっくり決めればいいと言ってやりたい所だが、俺の方もいつ横槍が入ってくるのかも分からないからな」
「できるだけ早く答えを出すようにします」
「その方がいいだろう。さて、今日の所はこれで帰るとしよう。また落ち着いた頃に寄らせて貰う」
代金の小銭を置いて立ち上がる。
「ありがとうございました」
「ありがとうございました!また来て下さいね」
二人の声と無数の殺意を背中に受けながら弥勒は店から出ていくのだった。
結局、送還しなかった……。
次回更新は1月17日のお昼12時です。




