第四十四話 森の喫茶店
今日も今日とて通訳のアルバイトをこなす。どうやらリィが大学で宣伝したらしく、最近は相談に来た学生の通訳をすることが増えていた。
「お疲れ様です、弥勒さん。時間だから変わりますよ」
そう言って声を掛けてきたのは、同じ通訳のアルバイト仲間である若い女性だ。彼女は元々海外旅行に行くのが好きで、その趣味が高じて様々な言葉を話せるようになったのだという。
その旅行好きは今でも続いていて、ついこの間も二週間ほど何カ国か飛び回っていたらしい。その時のお土産としてもらった乾燥ドリアンはとてもではないが食べられたものではなく、口の悪い同僚などは「埃の塊のようだった」と文句を言っていたほどである。
「それでは後を頼む」
またおかしな土産を渡されてはたまらないので、一言だけ挨拶をして荷物を取りに向かおうとした所で呼び止められた。
「そうそう、前田さんが駐輪場で待っているって言っていましたよ」
「カツが?分かった。ではお先に」
地区の若者の顔役である克也は役場内にも知り合いが多く、彼女とも見知った仲であったらしい。それなのになぜか浮いた話の一つも出てこない残念青年――もうすぐ中年――である。そして控室には、「弥勒さんの分です」と書かれたメモと先日のお土産の残りが置かれていて、弥勒は何とも言えない顔をしたのだった。
駐輪場に行くと、克也はすぐに見つかった。そして青龍号の周りにはいつも通り沢山の人が集まっていた。嘘か本当か、ジョニーを瑞子町の公式マスコットにしようという動きまであるそうだ。
「よお、ロクちゃん。この前はバーベキューに誘ってくれてありがとな。……なんか臭くないか?」
「会って早々、失礼な奴だな。まあ、これが原因な訳だが」
「何それ?」
「ドリアンとかいう食べ物を乾燥させたものだそうだ。土産にもらった」
「うへえ、包装されてるのに匂ってくるのかよ……。」
ポケットから取り出した例のぶつを見せると、匂いがきつくなったのか克也は顔をしかめていた。
「話の種に食べてみ――」
「いらねえ!」
即答以前に最後まで言わせてもらえなかった。
「仕方がない。何とか食べられるように考えてみるか」
「陰ながら応援してるよ」
匂いさえなければ美味なので、後でこっそりと魔法で匂いだけ飛ばすことにしよう。
「ところで、こんな所で待っていないで、中に入ってくれば良かったのではないか?」
「中に入ると知り合いに見つかって、色々と手伝わされるんだよ……」
「そういえばカツと再会した時も役場の手伝いに駆り出されていたのだったな」
頼まれると断れない部分も確かにあるのだが、実はおだてられて進んでやっている場合も多い克也であった。一応その自覚はあるので、不用意に役場の中には入らないようにしているのだ。
「それで、何か急ぎの用でもあったのか?」
「いやいや。ただ時間が空いたから、ロクちゃんがよければコーヒーでも飲みに行こうかと思ってな」
「それは構わないが。この近くにいい店があるのか?」
大手チェーン店の進出によって、役場近くには喫茶店と呼ばれる店がすっかりなくなってしまっていた。
「おう。ほとんど趣味でやっているような店が一軒あるんだ。さっき店の前を通ったら明かりが付いていたから、今日はやっているはずだ。行ってみるかい?」
「面白そうだな。行くとしよう」
弥勒は人垣の外側にいた顔見知りに「もうしばらくの間ジョニーの世話を任せた」と伝えて克也と連れだってその店を目指した。その途中で違和感を覚えたが今は無視することにした。
役場から歩いて数分の所にその店はあった。道端にあるのだが、飾られた観葉植物の配置が絶妙なのだろう、不思議と深い森を連想させた。カランカラン。涼やかなドアベルの音が二人の来訪を奥へと伝える。
「いらっしゃい。……おや、前田君かな?久しぶりだね。好きな席にどうぞ」
カウンターの向こうから店主らしき人物が声を掛けてくる。その顔は老いているようにも若さに満ち溢れているようにも見えた。なぜか顔つきがはっきりしないのだ。まるで百面相でも見ているように次々と変化していたのだった。
「お久しぶりです、マスター。ロクちゃん、あっちの席に行こうか」
「ん?ああ」
しかし、克也にはそうは見えていないようで、慣れた挨拶を交わして奥まった席へと向かった。
席について周りを見回すと、緑が多いことに気付く。鉢植えの観葉植物が多いのはもちろんのこと、壁や天井も細い蔦状の植物に覆われていた。
「まるで森の中だな。手入れが大変だろう」
水とおしぼりを持ってきた店主の顔は初老を迎えた落ち着いたものに固定されていた。
「はい。今では店を開けている時間よりも、この子たちの世話をしている時間の方が長くなってしまいました」
「ええっ!開いている日がバラバラだったのはそんな理由だったんですか?」
趣味でやっていると言った割に、その辺りの事情は知らなかったらしい。不定期な開店ということは悠々自適であり、店自体が趣味だと考えていたようである。
「恥ずかしながらね。でもこうやって来てくれるお客さんがいる限りは店を閉めるつもりはないよ」
「経営がやばいっていうことじゃなくて一安心ですよ。マスターのコーヒーが無性に飲みたくなることがあるから」
「そう言ってもらえると嬉しい限りだね。それじゃあ前田君はいつものブレンドコーヒーかな。お連れさんはどうしますか?」
「カツと同じものでいい。それと持ち帰りでこの菓子を頼みたいのだが、できるか?」
「できますよ。お帰りになられる時にお渡しすればいいですか?」
「頼む」
菓子は言わずと知れたジョニーへのお土産である。そういえば店に入ってから、ポケットの中から漂ってくる干しドリアンの匂いがしなくなっていた。
「はあ、この店はやっぱり落ち着くなあ……」
克也はすっかり弛緩しきっていた。窓には磨りガラスがはめ込まれていて、はっきりと外の様子を知ることができなくなっている。そんな隠れ家的な雰囲気が緊張をほぐしているのだろう。二人は注文した品が出てくるまで、特に何かをする訳でもなく時間が過ぎるのに任せていた。
「お待たせしました。ブレンドコーヒーです」
好みの味が決まっているのか、克也は早速砂糖を何さじ分か投入していた。一方の弥勒は運ばれてきたコーヒーにブラックのままで口をつける。苦い。やはりこの苦さには慣れないなと苦笑しながら、砂糖をひと匙とミルクを多めに入れた。
「ふむ。やはり、か」
「どうかしたかい?」
「何でもない」
一言だけ答えてティースプーンでかき混ぜていく。まるでそこにあったものを消し去るかのように。
その後も時折祭りについての話をする程度で、二人はゆっくりと静かな時間を過ごした。帰り際に頼んでいた菓子を貰い代金を払う。
「ありがとうございました」
「ああ。また来る」
弥勒は見送る店主にそう返すと、先に外へ出た克也を追って店から出て行くのだった。
乾燥ドリアンは実在します。感想を聞きたいですか?という駄じゃれ並みに酷い臭いでした。匂いではありません、臭いです。
味?そんなもの全く分かりませんでしたよ……。
次回更新は12月20日のお昼12時です。