第四十話 ひとみのひとみにうつるもの
いっちにー、イッチニー、12(笑)!
「あら?バレちゃっていた?」
「まあな」
軽く会話しているように見えて弥勒は内心で焦っていた。いや、畏れていたといってもいいかもしれない。目前の少女からは明らかに自分よりも格上の魔力や、その他の様々な訳の分からない力が混ざり合って発せられていた。
勇者に敗れたとはいえ、魔王であった弥勒にとって格上の存在に出会うことなど本当に稀なことであったので、その際どのような態度を取ればいいのか分からなかった。それはある意味、彼の数少ない欠点といえるものかもしれない。少しでも対応を間違えてしまうと存在ごと消されてしまうかもしれないという恐怖と戦いながら、少女の姿をした何かを見極めようとしていた。
「ホイップメロンパンのお礼に教えてあげるけれど、その態度自体が不敬に当たるわ。場合によっては問答無用で攻撃されても文句が言えない行為だから気を付けることね」
「それは失礼した。忠告感謝する」
あくまでも敬語を使わないのは魔王であったという矜持のためなのか。かつてないほどの存在の危機に曝されてなお、自身のあり方を変えようとはしなかった。運良く少女はそんな弥勒の様子に好感を持ったようで、その口角を上げて見る者を魅了するような可愛らしい笑顔を浮かべていた。ただ、同時に救いようのない愚か者だと呆れてもいたのだが。
「まあ、あなたの態度については一旦置いておくとして……、この子、一体何なの!?どうしてこの状況で平然と寝ていられるの!?」
と、少女が指差したのは二人の間でのんきに寝ているジョニーだった。眠ったふりではなく、本当に寝たままなのである。既にその体勢は横向きを越えて仰向けになっていた。
「猫や犬じゃあるまいし、雀がお腹を出して寝るってどういうことよ!?可愛いけれど」
「こいつに関しては気にしないことが一番だ」
最後の呟きは聞かなかったことにしておく。可愛いからといって甘やかすと際限なく図に乗るのがジョニーという生き物だからである。
「あなた飼い主なのにその扱いはどうなの……ってうわあ!こ、この子、今どき漫画でも言わないようなことを言ってる!?」
少女が驚くのも無理はない。なにせジョニーが口走っていたのは古式ゆかしく伝統にのっとった『うーん、むにゃむにゃ。もう食べられないっすー』という寝言だったのである。
「気にしたら負けだぞ!無視しろ。むしろ視界に入れるな!」
「でもでもこの子見た目だけは可愛いのよ!」
「それがこいつの手だ!策にはまるんじゃない!」
「でもでもでも!……ってもういいか……。うわー、これだけ騒いでいるのにまだ起きないし……。どんな神経しているのかしら?」
「こいつは野性というか危機感というものをどこかに置き忘れてきている生き物なのだ」
「それって生物として大丈夫なの?」
一通り大騒ぎする小芝居をしたにもかかわらず起きる様子のないジョニーに飽きたのか、二人の台詞は悪口へと移行していた。だが、傍目からは気易いやり取りを行っているように見えても、弥勒は常に強烈なプレッシャーを浴び続けていた。
「さて、そろそろ本題に入ってはもらえないか?」
「そうね。いつまでもこうしている訳にもいかないし。さ、自己紹介してちょうだい」
「ふむ。確かに新参者である俺から先にするべきだな」
「そういうこと。あ、拍手とかいる?」
「いらん。……それでは自己紹介させてもらう。俺はある世界からゲートを開いてこの世界にやって来た。今は鈴木弥勒で通している。元の世界では魔王スキムミルクと名乗ってい――」
「ぶーー!!あはははははは!何そのおかしな名前!」
魔王時代の名を口にした途端、少女が大笑いを始めた。
「ある程度予想をしていたとはいえ、目の前でここまで大笑いされると、やはり腹が立つものだな」
憮然とする弥勒の脳裏には数週間前の映像が浮かび上がっていた。菜豊荘の面々にこの名を教えた時にも同じように大笑いされていたのである。大や祥子でさえ笑いをかみ殺すのに必死の表情を浮かべているのを見て、こちらの世界、特にニポンではありえない変わった名前だということは理解できていた。
しかし、それに感情が付いて行くかはまた別の問題である。格上であることは分かっていても、笑い転げる少女へふつふつと怒りが込み上げてくる。
「ご、ごめんね。でもそんな名前が出てくるとは思ってもみなかったから。ぷぷ。わ、悪いけれど少し落ち着くまで時間をちょうだい」
弥勒の不機嫌を察したのか、少女は素直に謝るのだが、湧き上がってくる笑いには耐えることができなかったようだ。そう言い残して姿をかき消してしまった。
「姿や気配だけでなく存在そのものを消す、か。とんでもない相手に目を付けられてしまったものだな……」
しかも魔力の動きは一切感じなかった。つまり少女は魔法も使わずにその存在をこの世界から消してしまったのであった。もはや格上どころの騒ぎではなく、同じ生物としての枠に収まっているのかどうかということすら怪しい。
少女が再び現れたのは、弥勒が残りのパンを平らげ――一応保険として、あんパンの半分は残しておいた――ゆっくりと食休みを取っている時だった。
「あの……、さっきはごめんね」
戻ってきた彼女は本気で申し訳なく思っているようで、再度謝罪の言葉を口にした。もしも戦うことになれば彼女が圧勝できることは目に見えているので、弥勒を挑発する意図も理由もない。そのためさっさと受け入れることにする。
なにより少女という外見をしているため、傍から見た場合明らかに弥勒の方が悪者である。これ以上の騒ぎになる前に手打ちにしておくべきだろう。
「ああ。謝罪は受け取ったから、この話はここまでにしよう」
気にしてはいないと言えば嘘になるが、この名がこちらでは人に付けるようなものではないことは理解している。この辺りが落とし所だ。
「それで、続きを話せばいいのか?」
「いいえ。礼を失したのは私の方だから先に名乗るわ。……といっても私、名前ないのよね。申し訳ないけれど、あなたが付けてくれないかしら?」
「俺が?」
「これも一つの縁だから。それに魔王なんてしていたのだから、名付けをするのは得意でしょう」
確かに配下の魔物たちに名前を付けることは度々あったことだ。断って機嫌を損ねられても困るので「分かった」と答えて考え込む。
「それではヒトミというのはどうだ?」
「あら、思っていた以上に綺麗な名前ね。由来を聞いてもいいかしら?」
「俺がこの世界で会った一人目のカミを略してヒトミだ。自分でも安易だと思うから気に入らないようなら、別の物を考えるがどうだ?」
由来を話し始めた途端、何とも微妙な顔をし始めた少女にそう告げる。
「さっきも言ったように名前自体は綺麗だから気に入ったわ。ただ……、私カミじゃなくて管理者なんだけど」
「俺からすればどちらも大して変わらんよ」
「そうなの?それじゃあヒトミでいいかな」
ということで、少女の名はヒトミということになったのだった。
ジョニー無双、いやこの場合は夢想か?
上手い!と思った人は次回も読んでください。
思わなかった人は……読んでくださいお願いします。
次回更新は12月13日のお昼12時です。