第三十八話 遠く聞こえる鐘の音は
第六章スタートです。
「弥勒さん、お茶どうぞ」
「ああ、ありがとう」
イロハの入れてくれたお茶をずずっと飲む。緑茶の程良い甘みと苦みが口に広がり、思わずほう、と息を吐いてしまう。食後の一服はまさに至福の時間である。例外はあるが基本的に飢えることなく暮らしていけるこのニポンという国は理想的な世界だ。王という立場にありながら、その理想の国を作ることのできなかった過去が、弥勒をちくちくと傷つけ続けている。
自分がいなくなってからあの国は、ひいてはあの世界はどうなっているのだろうか?一人だけぬるま湯のようなこの世界に身を置いていることに罪悪感すら湧き上がってくる。再び元の世界へと戻るのか、それともこの世界に残るのか、いずれは選択しなくてはいけないだろう。そしてそう遠くはない内にその日は訪れると、弥勒は確信していた。
「難しい顔をしているみたいですけれど、何かありましたか?」
突然智由をあやしていた大から声が掛る。教師として日頃から子どもたちと触れ合っているためか、周囲の人間の感情の変化には敏感である。これで鼻の穴に智由の指を突っ込まれていなければ完璧だったのだが。
「なに、少し昔のことを思い出していただけだ」
その顔を見て吹き出したお陰で、暗くなりかけた場が明るさを取り戻す。視線を動かすと、智由が感謝しなさいと言わんばかりのいい笑顔を向けているのが見えた。礼の気持ちを込めて笑いかけると、楽しそうに大の鼻をバシバシ叩くのだった。
なお、本来であれば僕となっている者が一番に心配するべきところなのだが、当のジョニーは満腹になるまで夕食を平らげ、テーブルの上で腹を出して眠っていた。完全に野性の心というものをどこかに置き忘れてきてしまっている、困った雀であった。
最近は色々と忙しいのか、魔力感知訓練に全員が集まることは少なくなっていた。そのため夕食後に人数が揃うと二〇二号室へ移動して、そうでなければ四谷一家の部屋で訓練を行うことにしていた。そしてどうやら今日はこの部屋での訓練ということになりそうだ。
ふと、何かが聞こえてきたような気がして耳を澄ます。
「金属を叩いている?鍛冶場はなかったはずだし、まさか剣戟!?……はないな」
ニポンにも当然剣術はあるが、ほとんどが竹刀と呼ばれる特殊なものを使用していると聞いいている。それに剣戟の音というには綺麗過ぎるように思われた。どちらかと言えば楽器の音に近いだろう。
『あれは鐘の音っすよ』
いつの間に起きていたのか、テーブルの上のジョニーが答えを出してきた。
「鐘?」
「ジョニー君の言う通り鐘の音ですよ。……ああ、今年もそんな季節になったんですね」
そう言ってイロハは遠くから聞こえてくる甲高い音色に耳を澄ましていく。見ると四谷夫妻も納得したような顔――相変わらず大の方は智由に鼻を叩かれていた――をしているので、風物詩のようなものらしい。
「詳しく説明してくれないか?」
何となく興味がわいてきた弥勒は、追加の説明を求めた。
「あ!ごめんなさい。突然言われても何のことか分かりませんよね。えーと、何から説明しようかな……」
『祭りのことから話した方が分かり易いんじゃないっすか?』
どう説明したらいいものか悩むイロハにジョニーが助け船を出していた。
「確かにそこからの方がいいかな。えっとですね、瑞子町にある神社では毎年、十月の最初の土・日曜日にお祭りが開かれているんです。形式としては収穫祭に当たるのかな。
まあ、この辺りの地区はちょっと特殊で……ってその話は後回しにして、あの鐘の音はですね、そのお祭りの時に奉納する獅子舞を練習している音なんですよ。地区ごとに獅子舞がありまして早いところだと今くらいの時期から練習を始めるんです。お祭りの一週間前になると、どの地区も練習しますから、賑やかになりますよ」
「ほほう、祭りの日を統一しているのか?しかしそうなると見物人が分散してしまうのではないか?」
「その通りです。昔はそれぞれ日にちがズレていたので、その頃と比べるとお祭りに来る人は少なくなっているそうです。さらに言うと出店も分散してしまったので、それを楽しみにしていた人が来なくなる、人が来ないから出店が減る、という悪循環を起こしているそうです」
「最近だと、神輿に奴、獅子舞などで祭りに参加している人の方が、見物する人よりも多い神社もあるようですね。もっとも祭りに参加する人の方も年々減ってきているみたいですけれど」
と、四谷夫妻が生徒の家族から聞いた話を教えてくれた。
「生活が豊かになってお祭り意外にも楽しめるものが増えた結果、地域に根差していた文化が衰退していくっていうのはちょっと悲しいですよね」
「水も空気すらも閉じ込められ停滞していればやがて澱んでいく。それは人の営みにおいても同じことが言える。断定することはできないが、祭りもいつの頃からか停滞してしまっていた、ということだろう」
「新しい何かが必要、ということですか?」
「革新することだけが道ではない。もっと古い原初の形を取り戻すという方法もあるだろう。要は変化さえあればいいのだ」
そんなことを話している間も、鐘の音はずっと聞こえ続けていた。時折調子外れというか、リズムがズレたりしたが、練習なのでそんなものだろうと思っていた。
「ところで、この辺りの地区が特殊というのはどういう意味なのだ?」
と、先ほどの説明の時に後回しにされたことについて尋ねてみる。
「あれですか。実はこの辺りの地区にはお祭りを担当している神社が二つあるんです。一つは前田さんの家の近くで、もう一つは城山の麓にあるんですけど知りませんか?」
「歩いてすぐの所にあるあの神社だな。城山の方には行ったことはないが、駅から山を少し登った所に見えていたあれのことだな?」
弥勒は青龍号で探検と称した散歩をして回っていた時のことを思い出して言うと、イロハがコクリと首を縦に振る。
「だからこの辺だけ二週続けてお祭りがあるんですよ」
一つ目の神社が瑞子町内の他の神社と同じ日に祭りを行い、もう一つの神社がその翌週の土・日曜日に祭りをする、ということになっているらしい。
「菜豊荘のメンバーでは誰か祭りに参加するのか?」
「将君たち三人は実家のある地区の方で参加するかもしれないですね。私たちは……他所者なので出ません」
「それと、祭りの参加は男性だけという昔ながらの慣習もあるんですよ。少子化とかでそうも言っていられない地区も増えてきていますけれどね」
「そうした部分こそ変えていけば、祭りに活気を取り戻すこともできるだろうに」
どことなく寂しそうな顔で言うイロハと祥子の女性二人を見て、弥勒は心底そう思っていた。
「そういえば弥勒さんのいた世界のお祭りってどんなものだったんですか?」
辛気臭い雰囲気を変えようとしたのか、突如大がそんな疑問を投げかけてきた。そしてその鼻は智由に叩かれ続けて真っ赤になっていた。
「俺の国で祭りというとだな……」
結局その日は魔法の訓練をすることなく、異世界の祭りの話をして夜が更けていったのだった。
お祭りに向けての前振り、のはずだったんですけどね……。
どうなったかは次回以降で。
お祭りについてのことは僕の地元を参考にしています。どことは言いませんが、あくまで参考であって事実と異なる部分もあります。
次回更新は12月10日のお昼12時です。