第二十六話 なんですかこれわ……
ジョニーは上空から容疑者の監視を続けていた。
『将が襲われた時に、いきなり現れたというのが気に掛る。いいか、相手は魔法が使えるか魔力を感知できると思って慎重に行動しろ』
アルバイトの時間となり、念話が繋がらなくなる直前に弥勒から届いた最後の指示である。
『そんなに憶病になる必要はないと思うっすけどねえ……』
それを思い出して呟く。空の上からは鍔の長い帽子を深めに被っている頭部しか見えないが、その下には相変わらずサングラスとマスクを付けているはずだ。そんないかにも怪しい恰好の人間を危険視する理由が分からなかった――別の意味では危険だとは思うが――し、魔法が使えるなどということはあり得ないと思っていた。
しかし、ジョニーは気付いていなかった。それほどに怪しい恰好をしているにもかかわらず、警察に呼び止められることもなければ、すれ違う人々から不審者だと叫ばれることもなかったことに。
「まあ、オレは言われた通りにするだけっすけどね」
珍しく欲をかかずに弥勒からの指示に忠実だったことで、ジョニーは余計な危険に首を突っ込むこともなく見事敵の本拠地を発見することとなった。しかしその報告の際に思いっきり図に乗ってしまい、ご褒美をもらい損ねることになってしまうのだが、この時の彼には知る由もなかった。
そして弥勒はアルバイトから帰ると、菜豊荘の面々に件の人物の居場所が分かったことを伝えた。
「ここから西に歩いて十分ほどの所にあるアパートで独り暮らしをしていて、今の所は別の人間がやって来る気配はないようだ。表札に書かれたとおりだとすると、そいつの名は神田正というらしい。誰か知っている者はいるか?」
弥勒の質問に居合わせた者は一様に首を横に振る。
「知らないアル。でも、その辺りには大学の建物があったはずアルよ。だから私たち学生組はどこかですれ違ったことくらいはあるかもしれないアル」
何でも特殊な研究関連の施設があるらしいのだが、学部違いのためそれ以上詳しいことは誰も知らなかった。
「そういうことなら私を知っている大学の職員という可能性もありそうですね」
イロハは孝の所属するゼミで助手を務めている。職員であれば一方的に知っているということもあり得る。その点は学生である将や孝、リィにも言えることではあるが。
「それで、どうする?俺としては向こうが油断している内に乗り込んで方を付けてしまうべきだと思うのだが」
「賛成です。相手の準備が整うのを律義に待つ必要はないでしょう。それに早く終わらせないと、どんな風評被害が出るか分かりませんよ」
昼の一件が相当頭にきているのか、弥勒が提案するとすぐに孝がのってきた。
「後藤、昼の話は私も聞いている。だからあえて言う、冷静になりなさい。そうしないと思わぬ怪我をすることになるぞ」
「うあー」
大の諌める言葉に合わせるかのように、その腕に抱かれていた智由が声を上げる。すると張り詰めていた空気が程良い加減で弛緩していき、居合わせる者たちの顔にも笑顔が浮かんでいった。
「ふむ……。そういうことならこの後のことは俺に任せてもらえないだろうか」
弥勒が口を開くと驚きの視線が一斉に突き刺さる。
「何か考えがあるんですか?」
「別に上手く事を収められる方法がある訳ではないが、俺ならば魔法で何とでもなるからな」
「弥勒さんが一人だけ泥を被るような案は却下です」
「しかしだ――」
「それ以上言うようなら本気で怒りますよ」
イロハだけでなく全員が憮然とした顔をしていた。
(異世界から来た魔族がどうなろうと気にする必要などないだろうに。全くお人好しにも程がある連中だな)
弥勒は胸中でそうこっそりと呟くのだった。
「だって弥勒さんに何かあったら、誰が私たちに魔法を教えてくれるんですか!」
「「「「そうだ!そうだ!」」」」
が、次の瞬間にそんな声が聞こえてきて思わずコケそうになってしまった。
「まあ、半分は冗談ですけど」
つまり半分は本気だったということか。イロハは一度言葉を切ると、正面から弥勒を見据えて
「弥勒さんはもう菜豊荘の一員です。簡単に逃げられると思わないで下さいね」
と素晴らしい笑顔で言ったのだった。
その後、弥勒が魔法で何とかするという提案はあっさり可決されたものの、お目付役として誰が同行するかということで揉めにもめた。結局ジョニーからの
『あのー、オレはどうすればいいっすか?できれば戻って晩飯を食いたいっす。腹減ったっす……』
という空気を読まない念話が聞こえてきた所で時間切れとなり。大じゃんけん大会へと移行したのだった。そして同行者の権利を勝ち取ったのが、
「被害者ですし。一応面識あるのは僕だけですし」
「ふっふっふ。私のじゃんけんパワーは並ではないアル!」
将とリィだった。
「もう少し緊張感を持つべきだと思うのだが……」
と呆れているのは義則である。もしもの時――特定の場面を想像している訳ではない――のために保険としてついて来てもらったのだ。ちなみにジョニーは弥勒たちと交代で菜豊荘に戻って、警戒任務に当たっているはず、である。
「それでは計画通りにいくぞ」
弥勒の掛け声に合わせて神田の部屋の前へと移動を開始する。彼の部屋はアパートの最上階である三階の一番奥にあった。全員所定の位置について、いざ作戦開始だ。
ピンポーン。リィが呼び鈴を鳴らす。男よりも、リィのような美少女の方が油断して顔を出すのではないかという予測による配置だが、効果はあるのだろうか。
………………。出てこない。
ピンポピンポーン。今度は二回鳴らしてみた。
………………。やっぱり出てこない。
ピピピンポピンピンピンポピンポピンポーン。連打してみると、
「うるさいな!誰だ!」
反応あり。リィがいい笑顔でサムズアップする。そして美少女は関係なかった。
「はい、どちらさまっ!?…………」
神田らしき男がドアを開けた瞬間、魔法を当てて気絶させる。
「すげえ」
「感心していないで中に入るぞ」
周囲の住人に騒ぎを勘付かれないようにこっそりと部屋の中へ入ると、防音に視認障害の魔法を重ね掛けしていく。そして用意しておいた透明フィルムで気絶している男の指紋を採取する。しばらくすると浮かび上がってきた指紋に、以前採取しておいたナイフ――ジョニーが見つけてきたアレ――についていた指紋を重ねる。
「……一致したアルな」
重ねられた二つの指紋は、同じものであることを証明する淡い光を放っている。弥勒が刑事ドラマの再放送を見て考案した、指紋照合の魔法が日の目を見た瞬間だった。
「こいつが……」
襲いかかってきた犯人を前に、将が複雑な表情を浮かべていると、心配した義則が声を掛けていた。
「平気か?」
「ああ?うん、大丈夫だよ」
とりあえず将のことは義則に任せておけば良さそうだ。
「二人とも、悪いがそいつを見張っていてくれ。リィ、俺たちは部屋の中を調べるぞ」
目が覚めそうになったらすぐに呼べ、とだけ告げるとリィを連れて奥の部屋に入る。
「ゲゲッ!」
その途端、リィが女の子らしくない声を上げてしまったのも無理からぬことだろう。なぜなら部屋の中は壁だけでなく、天井までも菜豊荘の住人の写真――おそらくは隠し撮りされたもの――が貼られていて、中でもリィの写真が群を抜いて多かったからである。
『こういった人種とリアルでは合いたくなかったわね……』
精神的ショックが大きかったのか、口を吐く言葉もチューカコク語に戻っていた。
『奴の目的は何だったんだろうか?』
『自意識過剰なのを承知で言わせてもらうと、私のストーカー、というのが一番ありそうな答えかしらね。でも、それにしては他の皆の写真が多過ぎると思う』
他に情報を得ることができないかとリィがノートパソコンや端末を、弥勒が部屋の中を漁り始める。完全無欠に犯罪行為なのだが、元魔王である弥勒は一切気にしない。本棚には〈尾行の基本〉とか〈新・探偵七つ道具〉といった本が並べられていた。机の上の財布からは学生証――予想していた通り将や孝・リィと同じ大学だった――や免許証などの身分証明が見つかった。
「どうやらこいつは探偵マニアだったようアルね」
パソコンのフォルダや検索履歴を流し見たリィの感想だ。ちなみにパソコンは使用していたのか、立ちあがった状態で置かれていた。
「他には……オカルト資料も集めていたようアルな。特に幽霊に関係した者が多いアル」
幽霊と言えばこちらには義則がいる。これはただの偶然なのか、それとも何らかのかかわりがあるのだろうか。
「ん。パソコンの方にも端末の方にも連絡を取り合った痕跡は見つけられないアル。単独犯とみて間違いないと思うアルよ」
「これ以上は埒があかないな。奴を叩き起こして洗いざらい話してもらうとしよう」
口には出していないが、今回の騒動では皆かなりのストレスをため込んでいた。部屋を出て行く二人の眼に剣呑な光が見え隠れしていても、それは仕方のないことだったのである。
迷惑になるので返事がなくてもピンポン連打はやめましょう。
防音魔法をかけるならこの前にやらないと意味がない?
……その辺はアレです、演出ってやつですよ。多分……。
次回更新は11月20日のお昼12時です。




