第二十話 知識の確保、要するに漫画に嵌るということ
その日の通訳のアルバイトは午前中で終わり、弥勒は青龍号で家路についていた。説明し忘れていたが、フレーム部分が全て青色に塗られているから青龍号、そのまんまである。
『ふいー、風が気持ちいいっすねー』
前籠の中ではジョニーが満腹の腹をさすりながらゴロゴロしていた。時折振動でゴムボールのように撥ね回っていたのだが、本人は気にしていないようだ。
ジョニーは役場の駐輪場においてのアイドルの地位を確立しており、役場職員から町民――主におばちゃん――に至るまで、様々な人から餌をもらうようになっていた。
『いい加減に節制しないと飛べなくなるぞ』
『大丈夫っすよー』
弥勒の苦言もどこ吹く風だ。これは一度本当に飛べなくなるまで太らなければ反省しないかもしれない。一方、弥勒の方はアルバイトのある日はほとんど役場内の食堂で昼食を取るようになったので、栄養面は多少改善されている。
そうこうしている内に菜豊荘に到着する。所要時間は十分足らず徒歩の約半分の時間しかかかっていない。自転車を購入開いたのは大正解だ。そんな過去の自分の選択に満足しつつ、一〇五号室側の外階段の下にある駐輪場に青龍号を停めて鍵を掛ける。更に前輪にチェーンロックを通して手近に支柱に繋げて――防犯対策は自己責任です――おく。
「弥勒のおっちゃーん!」
そして自室の鍵を開けようとしたところで呼び声が響いた。振り返ると菜豊塾に通っている子どもたちが手を振っていた。
「おう」
と手を振り返すと走り寄って来る。
「おっちゃん、こんちわ。遊びに来たぜ」
「こんにちは」
「雀さんもこんにちは」
挨拶をされて弥勒の肩に乗っているジョニーも一言「チュン」と返す。八月で夏休みど真ん中である子どもたちは、塾の始まるまでの時間を弥勒の部屋で過ごすのが定番になっていた。
「皆昼飯は食べたのか?」
「さっきパン買って食べた」
「僕の家は焼そばだった」
「かけ大そのまま!」
弥勒の質問に元気な声で答える子どもたち。どうやら昼食の心配はしなくてもいいようだ。しかし、その分お菓子を要求される可能性が高いのではあるが。
ちなみにおっさん呼びに激怒した弥勒を見てイロハが言った「お兄さんと言いなさい」というフォローに何故か余計にグッサリと深手を負ってしまい、おっちゃんという呼び方で落ち着くことになった。
「そうだ!おっちゃん、あのマンガの続き持ってきたぜ!」
「僕も持ってきた」
「僕も!」
子どもたちの台詞に弥勒が喜色を浮かべる。
「おお!ありがたい。実は先週渡された分はもう読み切ってしまっていて、気になっていたのだ。……だが、まずは宿題からだな」
しかし、釘をさすことも忘れない。以前子どもたちと一緒になって読み耽ってしまい、イロハのみならず祥子からもお説教を食らうことになってしまったのである。あの恐ろしさは、弥勒の長い人生――魔族生?――の中でも上位に食い込んでくるほどのものだった。
「そうだな。祥子先生を怒らすと怖いもんな……」
一緒にお説教された子どもたちも、その時の恐怖が抜けきっていないのか、震えながら頷いていた。
「ふむ、この調子でいけば、後数日で終わりそうな」
それから三十分、子どもたちは黙々と夏休みの宿題を片付けていた。その問題集も終盤に差し掛かっており、弥勒の言う通り、一日一時間のペースでこなしても数日で終わりそうだ。
考え方はいろいろあるだろうが、菜豊塾では継続的に学習する習慣を付けさせることを重要視しているので、この宿題も一度に終わらせるのではなく、毎日少しずつこなしているのであった。
「ふわー、もう無理。飽きたー」
集中力が切れたのか、一人の子どもがギブアップする。時計を見てみると初めてから四十分少々、前回より少し短い。
「今日は早いな。それでは後十分だけ頑張れ」
弥勒に言われて渋々問題集に向き直る。注意力が散漫になっているので明らかにそれまでよりもペースが落ちているが、そのことについては触れない。むしろ散漫になった意識でどうやって問題に取り組むか、という訓練なのである。
これについては菜豊荘の方針ではなく、弥勒の魔王時代の、主に兵士の教育方法である。
戦場に置いて集中が切れるということは、命を失う危険性の増大に直結する。しかし、そうした状況であればこそ見えてくるものもある。それは臨機応変な行動を取るということに繋がり、鍛えることができれば視野の広い、結果として死に難い兵士を育てることができるのだ。
ただしジョニーのように、いかにして楽してサボる方法を見つけるか、という一点にのみ頭を巡らせる者も中にはいたりする。
さて、子どもたちが宿題をしている間、弥勒が何をしているのかというと、気になる問題を一緒に解いていたりする。当初は子どもたちの持ってきた漫画を読んでいたのだが、「集中できない」と口々に言われてしまい、仕方なく一緒に勉強しているという訳だ。
つまり先程の十分という追加の時間は子どもが耐えられる時間であると共に、弥勒が我慢できる時間でもあった。それほどまで漫画にド嵌りしていたのである。
それはもう古本屋に続きを買いに行くか本気で悩む程だった。
しかも内容を一通り知っている充や孝、克也がこぞって先の展開を話そうとするものだから始末が悪い。将は一応止めに入る体を取っていたが、その目が笑っていたことから本気で止めるつもりはなかったのだろうと思っている。
そんなこともあり、今部屋の中にいる者の中で、一番漫画に飢えていたのは間違いなく弥勒であった。
「十分経った!終わり!」
結局一人が終わりを告げるとなし崩し的に今日の宿題会は終了となった。
「よし、それじゃあ片付けをして読書にするか!」
子どもたち以上にウキウキとしながら、弥勒は隣室に置いた漫画を取りに行く。
「んな!?」
そしてそこで見たのは器用にも全身を使って漫画を読んでいたジョニーの姿だった。
「お…おま……」
『ん?あ、旦那。終わったっすか?あ、今いい所なんで別のを読んで欲しいっす』
みるみる怒りのゲージが溜まっていくが、漫画を読むことに夢中になっているジョニーは気が付かない。
「あーーー!鳥さんずるい!」
と、子どもたちもやってきて大声を上げる。
「貴様俺より先に読むとは許さん!」
『うええ!?ちょっ、なんすか!?何で皆怒っているっすか!?』
ジョニーと弥勒、子どもたちの追いかけっこは騒動を聞きつけたイロハがやって来るまで続いたのだった。
宿題や勉強をしている横でマンガを読んでいるやつとか、話の先を言おうとしてくるやつ。子どもの頃のイラッとした思い出でした。
弥勒の教育論については適当に流して下さい。