第十八話 人脈の確保、要するにご近所さんと仲良くなるということ
瑞子町の西部には国立大学のいくつかの学部が飛び地で建っている。また、北西部は工業用地として整地され、多くの企業を誘致している。そのため、町役場のある中心部から西の地域――菜豊荘も含まれる――には、少なくない数のリィのような海外からの留学生や研修生、労働者が暮らしているのである。
通訳のアルバイトを始めて四日目の朝、弥勒が青龍号でやって来たのは菜豊荘のある地区からそう遠くない地区の自治会館だった。
付近に住む外国出身者を集めてゴミの分別と回収日の説明をするとのことで、これまでの役場内でのものと多少毛色が違うが、やることは通訳であり、魔法を使うので問題はないだろうと特に気負うことはなかった。
「お?もしかしてロクちゃんか!?」
責任者を探して歩いていると、突然そんな声が聞こえてきた。「誰だ?」と振り返った先にいたには、こちらの世界で初めて会った人間であり弥勒を瑞子町役場まで送ってくれた、カツこと前田克也だった。
「おおー、やっぱりロクちゃんか!」
「カツではないか。久しぶりだな、元気にしていたか?」
「それはこっちの台詞だって!あれから一月経っても連絡がないから、どうなったのかと心配していたんだぜ?」
「それは悪いことをしたな。カツが送ってくれたお陰で、あの日の内に住む場所も決まってな……」
と、克也と別れてからのことを話した。
「はあ、まさか菜豊荘に新しく入って来たのがロクちゃんだったとはね……。世間は狭いっていうか何というか……」
何と克也の家は菜豊荘からすぐ近く、弥勒と孝がパンを食べた児童公園の隣だった。
「結構出歩いていたはずなのだが……。よく今まで顔を合せなかったな」
「それは時間帯が違ったんだよ。俺はこの一カ月、朝一で出掛けて家に帰るのも夜になってからだったからな。昼間にうろついていたロクちゃんとは会えなくて当然さ」
と、克也の方も近況を話してくれた。
「しかし、菜豊荘か……」
「?何か問題でもあるのか?」
「問題というか……これ言ってもいいのかな?」
「もしかして幽霊のことか?」
歯切れの悪い克也に心当たりを告げてみると、
「ロクちゃん知ってたのか!?」
正解だったらしく、驚いた声を上げていた。
「ああ。会ったことはないが、いるという話はオーナーからも管理人代理からも聞いている」
「……えっと、平気なのか?」
「悪さをするわけでもないし、何を怖がる必要がある?」
「いや、まあ、そうなんだけどさ。普通は不気味に思うものだぜ?」
「そうなのか?」
「そうなんだよ!……ってその話はもういいや。それよりも今日はここで何しているんだ?」
言っても弥勒が気にする様子がなかったので、これ以上は無駄だと克也は話題を変える。
「おっと、その説明もしていなかったな。実は数日前から役場で通訳のアルバイトを初めてな。今日はこちらで仕事だというので自転車を飛ばしてやって来たという訳だ」
「へえー、ロクちゃん外国語が話せるのか。どこの言葉だ?」
「話すだけなら大抵の言葉はいけるぞ」
本当はどんな言葉でも可能であるが、多少は控えめにしておいた方が良いだろう。
「まぢか!?すげえな」
「そういうカツはどうしてここへ?」
「俺の方はボランティアだな。ゴミの仕分けの実演をするんだよ」
克也によると本来来るはずだった学生ボランティアが急用――試験があったのを忘れていたのだとか――で来られなくなり、職員の知り合いだったために代役として徴収された、ということだった。
「田舎だからどこにでも知り合いがいてさ……。こっちも役場には無理を言うことがあるから断りづらくて……」
つまりはお人好しの克也は困っている知り合いを放ってはおけなかったということであった。
「まあ、お互い頑張ろう」
どことなく哀愁を漂わせる克也にそう告げると、弥勒は挨拶をするため責任者を探しに行くのだった。
「…………と、まあこんなことがあってな」
その翌日、週末で休みだったので久しぶりにパンでも買いに行こうと外に出たところ、同じくパンを買いに行くところだった孝と鉢合わせ、一緒に歩いていた。話題はもちろん昨日の克也のことである。
「うわ、前田さん体を壊さないといいけれど……。それにしてもお二人が知り合いだったなんて、本当に世間は狭いですよね」
「全くだ。という訳で、これからちょくちょく遊びに来るそうだから何かあったら頼む」
「あまり夜中に騒ぐのは勘弁して下さいね」
そう言いながら〈ベーカリー・トオマル〉の扉を開けると、チリンチリンと涼やかなベルの音が店内に響く。
「タカ君に弥勒さん、いらっしゃい。もうすぐお昼用の調理パンが焼き上がるよ」
二人を見つけて声を掛けてきたのは、店の一人娘で看板娘でもある円和橙香である。週に数回は訪れているので、店主だけでなく彼女ともすっかり顔なじみになっていた。いつものように数種類の調理パンと菓子パンを選び、会計を済ませる。
「はい、おまけ」
袋に入れる際に一つおまけしてくれるのにもすっかり慣れてしまった。実はこのおまけ、新メニューの開発と技術の向上のために橙香が焼いたもので、なかなかに斬新な組み合わせの物もある。
わさび唐辛子パン――どうして組み合わせようと思ったのか!?――を食べた――何故食べてしまったのか!?――時にはジョニーと床の上を転げ回る羽目になってしまった。
「今回は自信があるから感想よろしく」
と言う橙香の後ろで、店主が両手を合わせて謝るジェスチャーをしているのが見えて、弥勒は孝と二人で引きつった笑みを浮かべていた。
「あ、そういえばタカ君、みっちが帰って来ているって本当?」
「本当だよ。……ってあいつ会いに来てないの!?」
「うん……」
「ちょっと待ってて。すぐに連絡を入れるから!」
孝は急いで店から出ると、端末を操作してみっちなる人物に連絡を取っているようだった。そしてそんな急展開についていけていない者が一人。そう、我らが弥勒である。
「あー、つかぬことを聞くが、みっちというのは一体誰だ?」
込み入った事情がありそうだったので聞かないという選択肢もあったのだが、連絡を取っている孝を置いて帰る訳にはいかないし、橙香と二人で微妙な空気の漂う中にいるのも息苦しい。よって、どうせなら事情を聞いてしまえと思ったのである。
「ごめんなさい、弥勒さんは知らないですよね。みっちというのは私やタカ君と同い年の七瀬充ってやつのことです」
興味本位な問い掛けだったので答えてもらえないかとも思っていたが、知っている名前が出て、内心ホッとする弥勒。
「充なら知っている。今朝も会ったばかりだぞ」
「そうなんですか!?そういえば弥勒さんも菜豊荘に住んでいるって言っていましたね……。もう、どうして私には会いに来てくれないのよ……」
充へと向けられた後半の台詞は半ば掠れていた。それを見て弥勒は橙香と充の関係を何となく察する。そしてこの場において自分にできることはないということも理解していた。
「大丈夫だ。今孝が連絡を取っているから、すぐにやって来る」
それなのに気が付くとそんなことを口走っていた。
「本当ですか?」
「勿論だとも」
両の瞳に涙を湛えて尋ねる橙香にしっかりと頷いてやる。そして、
「自信作ということだったが、俺の評価は厳しいからな。覚悟しておけよ」
と言って笑いかけてやる。すると彼女の方も「はい。よろしくお願いしますね」と笑顔を浮かべたのだった。
外に出ると道の向こうから誰かが走って来ていた。しばらくするとはっきり顔が見えるようになると、それはやはり充であった。
「端末を切ってから五分。まあまあかな」
その様子に孝は満足そうに頷いている。走ってきた充はその足を止めることなく、弥勒たちとすれ違いざまに
「悪い」
と一言だけ呟くと、店の中へと入っていった。
「さて、帰りましょうか」
「ああ。そうしよう」
二人が菜豊荘へと足を向ける中、軒先に止まっていたジョニーは
『リア中は爆発するがいいっす……』
と呪詛の言葉を吐いていたのだった。
ついにあのキャラの再登場となりました。
そして相変わらずの人の良さっぷリです。単に上手く使われているだけという説もありますが……。
そして今回はもう一人新キャラが!
彼女たちの恋愛話はきっと書くことは無いでしょう。カップルは勝手にイチャイチャしてろ(笑)!
ご意見・ご感想もお待ちしております。