第十五話 二〇五号室住人、七瀬充
弥勒が四谷家と一緒に夕食を取ることになってから一週間、オーナーである将と出会ってからも数日経ったある日、菜豊荘の前では飛んだり跳ねたり走ったり!?するジョニーの姿があった。
『ひっひっふー、ひっひっふー。疲れたっす。しんどいっすよー……』
この場にイロハがいたのなら「なんでラマーズ法!?」と突っ込みを入れたのかもしれないが、残念ながら彼女は仕事らしく出かけている。というよりも彼女のいない隙を狙ってジョニーのトレーニングが行われていた。
『口を動かしている暇があるなら体を動かせ。……やはり以前より体のキレがなくなっているな。夕食は抜きにするべきか』
『それは嫌っす!』
『ならばしっかり動け』
「だうー」
弥勒の言葉に同調するように彼に抱かれた智由が声を上げる。父親である大は元より、母親である祥子も急用のため家を空けることになり、弥勒がお守りを申し出たのである。また、他の面子もそれぞれ大学に行ったり、実家の家業を手伝いに行ったりと弥勒と智由――それと一応ジョニー――以外の全員が菜豊荘から離れていた。
『飯抜きは嫌っすけど、運動するのも嫌っすー』
急上昇急降下を繰り返しながら愚痴る真ん丸雀を見ながら、弥勒はあることについて思案していた。いつものように『焼き鳥にするぞ』と脅してもいいのだが、毎回同じ応対をしていては何千何万の配下を従えていた元魔王としては芸がなさすぎる。
それに半月近くになる付き合いの中で、彼の者は鞭で叩かれるよりもご褒美をぶら下げてやる方がよく走るということは分かっていた。問題は何をニンジンにするか、ということなのだが、これには一つの案があった。
『もう少し体力が付いたら魔法を教えてやるから頑張れ』
『ホントっすか!?そういうことならこの翼折れようともやり遂げて見せるっすよ!』
『そこまではしなくていい……』
「あうー」
テンションと共に物理的にも急上昇していくジョニーを見て若干失敗したかと感じる弥勒であった。そして智由はそんなジョニーをどことなく羨ましそうに見つめていた。
「どわああ!何だなんだ!?高速移動している鳥がいる!?」
突如響いた驚愕の言葉に視線を巡らせると、少し離れたところに見慣れない男が立っていた。
「なっ!?ホバリングだと!?ハチドリ?それとも新種か?新種なのか!?」
そして男の眼は、複雑な立体運動のみならず調子に乗って空中で停止するという普通の鳥類ではありえない動きをしているジョニーに固定されていた。
「あんのアホ鳥が……」
「あうあー」
男の声を歓声と勘違いして得意げな顔をしているジョニーに、弥勒は頭を抱えたくなってくる。腕の中の智由も呆れ顔――のように見えた――である。ちなみに二人とも他の人間に見られるかもしれない屋外でジョニーにトレーニングをさせていたことについては忘却の彼方である。
自分に都合の悪いことは忘れる、魔王に必要な素質の一つだ。
『ふっふっふ。さすがはオレっす!初対面の人間すら虜にしてしまったっす!』
『……焼き鳥になりたくなければ黙れ』
『ちょっ!?どうして旦那が怒っているっすか!?』
ゴゴゴゴゴゴと効果音が聞こえてきそうな弥勒の表情に今頃気付き、ジョニーは慌てて尋ねた。
『後で説明してやるから今は神社にでも飛んで行っていろ』
『それじゃあ魔法を教えてくれるっていう約束はどうなるっすか?』
『そんなもの延期に決まっているだろうが!』
『そ、そんな……』
まるで空気が抜けていくビーチボールのようにへなへなと地面へと落ちて行く。
『せっかく頑張ったのに……あんまりっす……』
そしてポトリと着地すると、そのまま羽を地面につけてがっくりと項垂れて、人間でいう所のorzなポーズを取っていた。
「お、おい大丈夫か?って雀!?」
弥勒との会話が聞こえていない男が急に落ちたジョニーを心配して近づいて来て、先程まで自分が驚いていた物体が真ん丸雀だと知って再度驚いていた。
「調子に乗ってはしゃぎ過ぎて疲れただけだから気にしないでくれ」
あまりジョニーについて探られても困るので、男の意識を逸らすために話しかける。
「そ、そうなのか?ってあれ?四谷先生の所の智由ちゃんじゃないか。……ということは、あんたが将から連絡があった鈴木弥勒さんか?」
「そうだが、俺のことを知っているということは、そちらもこの菜豊荘に住んでいるのか?」
男の質問に答えてから、こちらからも質問する。すると、男は姿勢を正してから
「名乗りもせずに初対面の方に失礼しました。俺、いや私は七瀬充といいます。菜豊荘のオーナーである将とは子どもの頃からの友人で、その縁もあってここの二〇五号室に住まわせてもらっています」
と言って深く一礼をした。
「これは丁寧なあいさつ痛み入る。既に聞き及んでいるようだが、自己紹介をしておこう。俺は鈴木弥勒、先日入居したばかりの新参者だ。世間知らずだから色々迷惑をかけることになると思うが、よろしく頼む。それとあまり畏まった口調は止めてくれ。充と呼ばせてもらうから、俺のことは弥勒と呼んでくれ」
「分かりました。弥勒さん、これからよろしく」
そこまで言って充は何やら考え込み始めた。
「どうしたのだ?」
「ああ、すみません。いや、将が言うほど、怖い人でも危ない人でも怪しい人でもないなと思って」
「おいおい、いくら他の人間による評価であっても、それは本人を前にしていうことではないぞ」
充の口から出た人物評に思わず苦笑いを浮かべる。充もすぐに失言だったと気づいたようで、自己紹介の時よりもさらに深く頭を下げた。
「あっと、失礼しました」
「構わんよ。それで、充としては俺にどういう評価を下すのかな?」
弥勒は、我ながらタイミング的にも内容的にも意地の悪い問い掛けだと思いつつも、そう問い返した。
「うーん……。智由ちゃんも懐いているし、悪い人ではないと思いますけど……。すみませんが、決定はしばらく保留させて下さい」
「理由を聞いても?」
「はい。将が警戒している理由と、そうなった経緯については本人とタカ、孝から詳しく聞いています。そして一〇四号室の幽霊は俺にとっても大切な人なんです。だから弥勒さんが信用できる人なのかどうかは、じっくり見極めさせて欲しいんです」
「そういうことか。了解した」
あっさりと了承する弥勒に対して、「ありがとうございます」と礼を言う充の顔にはホッとした表情が浮かんでいた。恐らく自分でも不躾な言葉だということは理解していたのだろう。
「はあ、本当はこういう中立的な立場っていうのはタカの役目なんですけどね。弥勒さんとはもう仲良くなっちゃっているみたいですけど……」
「確かに先に出会った孝にはいろいろと教えてもらっていたが、言われてみれば彼の方がそうした一歩引いた物の見方というのは得意そうだな」
「そうですね。まあ、俺や将は考えるより先に行動してしまう性質なので、必然的にそのポジションに就く必要があったっていうことはあると思います」
「そうなると、今回の充の責任は重大だな」
意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「うわ、前言撤回!弥勒さんは悪い人だ!」
「はっはっは。このくらいで悪い人だと言っていては世の中の殆どの人間が悪人になるぞ」
さわやかな笑顔を浮かべる弥勒と対照的に、充は渋い顔をしていたのだった。
そして智由はいつの間にか弥勒の腕の中ですやすやと眠りについており、ジョニーは地面の上で打ちひしがれたままだった。
それではまた次回これで二章は終わり、次回からは三章に移ります。
でも、あまり内容的には変わらなかったりしてますが……(汗)
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