その4 麻呂、胸キュンとなる!
前回までの麻呂
麻呂は、突如訪ねてきた翼殿とサッカーで勝負することになったでおじゃる。翼殿に勝てば、麻呂は晴れて、咲殿の理不尽な暴力から解放されるでおじゃるよ。麻呂、超頑張ったでおじゃるね。そこで翼殿にサッカー部に入るよう言われたが、麻呂は断ったでおじゃる。そのせいでなんか、微妙な空気になってしまったでおじゃるが、麻呂、悪くないでおじゃるよ。それと安易に、「「は小説で使うべきじゃないと思うでおじゃる。
公園でのサッカー勝負を終えたあと、頼輔はファミレスにやってきていた。翼の奢りで、咲も同行している。
「おおう、美味でおじゃる、美味でおじゃる。このチョコパフェとやらは絶品でおじゃるな」
頼輔は上機嫌でチョコパフェを平らげていた。そんな彼とは違い、翼の表情は暗い。
「なぁ、麻呂くん。ちょっとでいいから、サッカー部に入ってみないかい?」
「だから、嫌でおじゃるよ」
翼の誘いを、頼輔はあっさりと断った。
「ちょっと、なんであんた断るのよッ!」
咲に胸ぐらを掴まれ、頼輔は一気に青ざめた。
「さ、咲殿。約束、約束!」
「咲くん、理不尽な暴力はやめるんだ」
頼輔の助けを求める視線を受けて、翼がすぐさま窘める。
「翼先輩、これ理不尽な暴力なんかじゃないですよ。単なる躾です」
「そうか、躾なら問題ないな」
「――え? つ、翼殿?」
うんうんと頷く翼を見て、頼輔はすべてを悟った。
(意味なし! でおじゃる)
「さあ、サッカー部に入ると言いなさい。でないと、頭蓋骨にヒビが入るわよ」
咲が頼輔の頭をぐりぐりしながら、やんわりと脅す。
「ぎゃあああああっ! 痛いでおじゃる! やめるでおじゃる。っていうか、なんで麻呂が必要でおじゃるか?」
刹那、咲がシュンとなって俯いた。翼も無言で瞼を閉じる。
「おろ?」
「……うちのサッカー部ね。翼先輩以外は下手な人ばかりなの。まあ、あと一人、渚くんって子はそれなりに上手いんだけど、翼先輩と比べると、ちょっとね。翼先輩一人じゃ試合には勝てないし」
「どうしてでおじゃるか? ボールは一つでおじゃろ? ならば上手い者がずっとボールを持っておれば、一人でも勝てるでおじゃるよ。それは実力が足りないだけでおじゃる」
「あんたねっ!」
「やめないか、咲くん。彼の言うとおりだ。僕がもっと上手ければ、いくつかの試合は勝てたはずだ。だけど、麻呂くん。君は一つだけ誤解をしている。ボールは確かに一つだ。だけどサッカーは十一人でやるモノだ。逆に言えば、個人の技量で勝てないからこそ、サッカーは奥深い」
翼のこの科白は、ライトノベルでいえば、3巻あたりで「チームの連携が大事」という流れの持っていくための、巻またぎの伏線でもある。みんな気づいたよね?
「悔しいけど、あんたがいれば、うちのサッカー部はもっと上に行けると思う。おそらく県でベストエイトまでは食い込めるはず。そうなれば、サッカーが上手い人がうちに部に入ってくれるかもしれない。そしたらもっと強くなれるの」
「お主らの話を聞いていて思ったでおじゃるが、……麻呂にとってなんのメリットもないでおじゃるよね? ――ぐぼっ!」
頼輔は咲から腹パンを喰らって悶絶した。
「あんたの身の安全が保証されるわ」
「それ、単なる脅しでおじゃるからっ! っていうか、翼殿! 今の見た? 見たでおじゃるか? 理不尽な暴力でおじゃるよ!」
腹パンを喰らった頼輔は、梅干しを食べたような表情で翼に助けを求めた。
「咲くん、理不尽な――」
「今のは躾です、先輩」
「そうか、躾なら問題ない」
「つーか、翼殿。本気で言ってるでおじゃるか? 麻呂、お主の行く末がマジで心配でおじゃるよ!」
「なんで、そんなにサッカーするのが嫌なのよ?」
咲がふて腐れたように言う。
「まるで麻呂がおかしいみたいに言うでおじゃるが、普通はするほうに理由はあっても、しないほうに理由はないでおじゃるよ。それ以前に、サッカー部に入るには学校とやらに入る必要があるのでおじゃろう? 麻呂はえっへん、無職でおじゃるぞ」
「ああ、その点は大丈夫だ」翼がドリンクに口をつけながら言った。「蓮峰学園の理事長は僕の叔父なんだ。そういった細かい点はどうとでもなるよ」
「……せ、先輩。どうとでもなるって……。結構大きい問題なんじゃ?」
「そういや、咲くん。漫画やラノベなどの感想で、本筋に関わりのない、どうでもいい部分にやけに絡んでくる人がいるけど、あれって何かな? なんかの病気かな?」
「先輩。キャラの科白を借りて読者ディスるのマジでやめてください。本当、洒落にならないんで」
「病気で思い出したでおじゃるが、ネットの質問箱で『○○の経験者に聞きたいんですけど』と書いたのにも関わらず、『経験者ではないですが、回答します』と返事してくる者らって、いったいなんなん? でおじゃる。翼殿に通じる何かを感じるでおじゃるが」
「っていうか、あんた絶対、平安貴族とか嘘でしょ? なんで普通にネットに馴染んでんのよッ!」
咲が頼輔の胸ぐらを掴み、ガクガクと揺する。
「いや、麻呂は『適応力高え』と貴族の間でも有名でおじゃったから。ネットぐらい嗜むでおじゃるよ」
「こっちに来て何日目の設定だ。おらっ!」
「咲くん、やめたまえ。それに僕は、そんなふうに質問箱に返した経験がある」
翼が滔々と語る。
「わぁ、この『ロナウジーニョ風ぜんざい』って美味しそう」
「咲殿、露骨な現実逃避はやめるでおじゃる。っていうか、やっぱりお主は経験者でおじゃったか」
後者は翼に言ったものだ。
「だって経験がなくとも意見は言えるし、それが役に立つ可能性はゼロじゃないだろ?」
「お主、本気でそう思ってるなら、マジで病院行くの勧めるでおじゃるよ」
それから数分経ったが、頼輔が翼の勧誘に頷くことはなかった。
「なんであんた、そんなに頑固なの?」
咲が唇を尖らせる。
「麻呂、こうみえても仕事見つけないと、母殿に酷い目に遭わされるでおじゃるし、サッカー部に入るとキツい上に一銭にもならぬのでおじゃろう?」
頼輔は現実感あふれる言葉で反論する。
「そうだね。……それにサッカーは嫌々するもんじゃない。今日のところは諦めよう。その代わり、僕がサッカーの魅力をしっかりとレクチャーするよ。そして麻呂くんがサッカーに興味を持ってくれたら、そのときは改めて僕と一緒にサッカーをしてほしい」
翼がキランと歯を輝かせた。なんというか面倒臭い奴でおじゃるなぁ、と頼輔は嘆息した。
「それって、今後もうちに来るってことですか?」
咲が目を輝かせて訊いてくる。彼女の脳内では「麻呂の奴、バイトで今いないんですよ。戻ってくるまで、私の部屋で待ってますぅ?」的な妄想で盛り上がっていた。
「む、そうだな。それはそれで咲くんに迷惑だな」
翼が悩んだ顔をする。
「そんなことないですよ〜」
咲が上機嫌に答える。
「……その気遣い、麻呂にもしろでおじゃるよ」
頼輔はふて腐れた。
「そうだ、麻呂くん。うちに来ないか? 咲くんも嫌々世話しているとのことだし、うちに来れば何かと都合がいい」
翼がぱぁと顔を輝かせて言った。ナイスアイデアだ、と自分で自分を褒めている。
「だ・か・ら、ぜんぜん迷惑じゃないですよ〜」
咲が言葉を強めた。ちょっとキレかかっている。
頼輔は腕組みをして考える。この翼とかいう男と暮らすのも、何かと面倒臭そうでおじゃるが、理不尽な暴力を振るわれることはなくなるでおじゃろう。むしろ、なんで難波家にいるのでおじゃろうか? 知らぬ間に、ストックホルム症候群になっていたでおじゃるか?
考えるまでもない問題だった。
「分かったでおじゃ――」
「あーーっ! セーラー服を着て反省文を書いてるスアレスだ!」
「なんだってっ!」
翼がきょろきょろと周囲を見回す。その隙に咲はフックの効いた拳で、頼輔の顎を打ち抜いた。彼の意識は一瞬で奪われ、カクンと頭が垂れ下がる。
相手を気絶させる方法として後頭部に当て身を喰らわせる演出があるが、あれはフィクションで、あんなんで気絶する人はいない。確実なのは顎だ。咲はそれを本能で熟知していた。
「どこにもいないじゃないか。あれ? 咲くんがいないな。それに麻呂くん、どうしたんだい? 眠りの小五郎みたいなポーズをして」
『翼殿。麻呂はお主の元へは行けぬでおじゃる』
「麻呂くん」
翼はショックを受けた。
『麻呂は難波家が気に入ってるでおじゃる。特に咲殿は料理も上手し、一緒にいて楽しいし、とても可愛いし、彼女にすれば絶対に人生楽しいと思うよ。本当、お勧めだから。麻呂があと三十若ければ、絶対に口説いていたね』
「あと三十って、君は数え年で十六歳なんだろ? それに言葉遣いがいつも違うような」
『み、見た目の話でおじゃるよ、翼先輩。ほら、麻呂はどっから見てもキモイおっさんでおじゃるから。人は見た目が九割』
咲は慌てて弁明した。そう、もはや説明の必要すらないであろう。先ほどからしゃべっていたのは頼輔ではない。彼のふりをした咲だった。彼女は眠りの小五郎ポーズをとる頼輔の後ろに隠れて、しゃべっているのだ。
しかも文章では分からないだろうが、声もぜんぜん似ていなかった。翼でなければ速攻でバレただろう。っていうか、翼相手なら大抵なんとかなる。
『サッカーのことは前向きに考えるでおじゃるから、翼先輩の家に誘うようなことはしないでほしいでおじゃる。麻呂、ショックで殺されるでおじゃるよ』
「そうか、ならば諦めよう」
翼は沈痛な面持ちで答えた。
『っていうか、咲殿をデートに誘ってほしいでおじゃる』
「いや、それはない」
『ですよね〜。あはははは、でおじゃる』
次の日から、毎日のように翼が難波家を訪れてくるが、ここからしばらくはBGMダイジェストでお送りしよう。
音楽が流れ出して、科白が一切なくなり、映像だけで進むアレである。なんか音楽が終わったあと、仲が良くなっていたり、数日に及ぶ練習が終わっていたり、冒険が端折られたりして、何かと便利な無声演出だ。
最近では、音楽が終わると同時に出会ったばかりの王子と結婚の約束をして、姉を激怒させた映画が有名だろう。
・難波家を訪れる翼。頼輔、迷惑そう。
・街を歩く翼と頼輔。その後ろに咲。頼輔はソフトクリームを舐めている。
・動物園に行く翼と頼輔。頼輔、猿にウンコを投げつけられる。
・頼輔、初めての遊園地。ジェットコスーターで涙目。頼輔の隣には爽やかに笑う翼。よく見ると、後ろに座る咲が頼輔の首を絞めている。
・お化け屋敷。スタッフのお化けが、暗闇に浮かび上がる頼輔の白塗りの顔を見て怯える。
・サッカー食堂で、サッカーを観戦しながら焼き肉。頼輔は肉に夢中。
・翼が部員たちに頼輔を紹介。男の娘である狂武士渚と大喧嘩。
・夕暮れの砂浜を走る頼輔と、それを追いかける翼。いったい何があった?
・海で咲に拷問を受ける頼輔。
・喫茶店でチョコパを食べる頼輔。彼の頬についたチョコを、翼が指ですくって舐める。頼輔、白塗りの顔を赤らめる。というか薄ピンク。
・清々しい笑みを浮かべる咲。拷問を受けて悶絶する頼輔。
・頼輔、家でサッカーのゲーム。翼と対戦する。
・頼輔がサッカー部に来る(二回目)。頼輔、隣のコートのテニスに夢中。いとエロし。
・頼輔と翼、夏祭りに参加。咲の浴衣は見向きもされない。
・翼が頼輔にユニフォームを渡す。頼輔、拒否する。なおもユニフォームを押しつける翼。そして足が躓いて、二人は折り重なるように倒れ込む。熱く視線を交差させる頼輔と翼。それを冷めた目で見つめる暗黒面に目覚めた咲。
・頼輔、二度目の臨死体験(一回目は翔香のコブラツイスト)。
――BGM終了。
「つーか、麻呂な。サッカーする気はないと言ってるでおじゃるに」
「じゃあ、見るだけならいいでしょ? 麻呂さんを連れてくるって、咲ちゃんには約束したし〜」
不満げな表情をする頼輔の横で、咲の母親である翔香が楽しげに言った。
今日は、サッカー地区予選の日。当然、蓮峰高校サッカー部も出場する。翼としては、この日までに頼輔を部員にしたかったみたいだが、結局頼輔の心は動かなかった。
だけど翼のほうで強引に行動を起こしており、頼輔は書類の上では蓮峰高校のサッカー部に所属していることになっていた。なんというか、伏線はばっちりである。
「あーっ! この変態白塗り! なんで来るんだよ! 帰れっ!」
頼輔の姿を見つけた蓮峰高校サッカー部の部員が、大声をあげながら詰め寄ってきた。
亜麻色の髪をお下げにしている小柄な体躯は、知らない人が見たら女の子と思うだろう。だけど彼はれっきとした男。いわゆる男の娘というやつである。狂武士渚だ。
「黙れでおじゃる。このなんちゃって女児。麻呂だって、お主の顔は見たくないでおじゃるよ。ぺぺっ!」
頼輔も唾を飛ばして威嚇する。渚と頼輔は犬猿の仲であった。
理由は単純である。渚もまた翼に憧れていた。翼のためにと毎日遅くまで練習をし、必死に上達を目指していた。
それなのにどこの馬の骨とも分からぬ白塗りのおっさんを連れてきたのだ。それどころか、彼を勧誘するために、翼は毎日のように彼の元に通い詰めていると聞く。これほどおもしろくない話はない。
そこで翼が頼輔を連れてきた際に、サッカー勝負を挑んだのだ。だが、さすがは翼が見込んだ人物。渚では敵うはずもなかった。
なので、袴を掴んで倒したり、どさくさに紛れて膝蹴りや肘打ちを喰らわせてやったら、喧嘩になった。それ以来、渚と頼輔は犬猿の仲なのである。
「いいか、試合に出ようなんて思うなよ。お前みたいなキモイ白塗りなんかいなくても、翼先輩率いるオレらが負けることはない!」
びしっと指先を突きつけて、渚が宣言してくる。
「麻呂もお前みたいに倒錯した変態がいるような者らと、サッカーなんてしたくないでおじゃる。あっちに行けでおじゃる!」
「やあ、麻呂くん。来てくれたんだね」
翼が爽やかな笑顔と共にやってきた。
「あ、翼先輩」
渚が頬を赤らめた。
「あ、翼殿」
頼輔も頬を赤らめた。
「って、おかしいだろ! なんでお前が顔を赤らめるんだよっ!」
渚がムキーと両目をつり上げる。
「それはこっちの科白でおじゃる! あと麻呂は白塗りだから、凄く目立つだけでおじゃるっ!」
「はははは。二人ともすっかり打ち解けたみたいだな」
翼が目を細めて言った。
「「どこがッ?」でおじゃる!」
頼輔と渚が同時に叫ぶ。
「とりあえず、生で僕たちの試合を見ていれば、きっと麻呂くんもサッカーに興味を持ってくれるだろう」
そんなこんなで試合がはじまった。
「くっ、あいつら、なんて卑怯なの」
ぐっと唇を噛んで咲が呟く。頼輔は一応、蓮峰サッカー部のベンチに座っており、その隣に咲が座っていた。翔香は後方の一般席だ。
咲の呟きの意図は明らかだ。敵が徹底的に翼をマークしていた。常に4人の選手が張りついている。
「あれは反則でおじゃるか?」
頼輔の質問に、咲は言葉を詰まらせた。
「反則じゃないよ」
答えたのは髭面の監督だ。あだ名はロベルト・近藤。
「立派な戦術さ。うちのチームをよく分析している」
蓮峰のサッカーは、元強豪高校出身という翼を中心として成り立っている。彼にパスを出せば、試合に勝てるという感じだ。だが、徹底的にマークされてしまえば、その戦い方は成り立たない。
「でも、4人も張りついているということは、ほかが手薄ということでおじゃろう。逆にチャンスではおじゃらんか?」
「普通はね。でも、うちは……」
咲が言葉を途切れさせる。けれども説明は不要だった。見ていれば、すぐに気づく。
蓮峰のほかの選手は、攻め込むどころか、ボールを持つことさえ嫌そうだった。仮にボールを奪われてしまったら、全部の責任を負うことになる。なのでさっさとボールをパスして、責任を逃れようとするのだ。
翼にボールをパスすれば大丈夫。そんな力関係が、歪なチームワークを作り上げていた。当然、そんなパス回しでは敵チームの守備を揺さぶることなどできない。それどころか、強引なパスを受けるたびに、翼が傷ついていく。
「あれ、ファールじゃないのっ!」
咲が叫ぶ。ボールを空中で奪い合った際、翼は二人の選手に押し潰され、背中から地面に落ちた。
けれどもホイッスルは鳴らず、ゲームは敵がボールを持った状態で続行となる。ポジションを大きく動いた渚のカットによって、なんとか失点は免れた。
渚も頑張っているが、如何せん、小柄な体躯ではボールの取り合いに競り負け、ドリブルでもすぐに追いつかれてしまう。彼に守備を突破するだけの実力はなかった。
「渚は翼のアシスト役だからなぁ。翼がマークされた時点で、彼も思うようにサッカーができない」
淡々とロベルトが状況を語る。
「やけに冷静でおじゃるな。それが分かっているのなら、事前に策を練れたはずでおじゃろう?」
「あんたに言われたくはないわよ!」
咲が声を荒げた。いつもとはわずかに感じが違う怒声に、頼輔はたじろいだ。
「ほかに方法はなかったの! 翼先輩がマークされたら終わりだって分かってた。でも、どうしようもなかった。だから翼先輩は、あんなに必死になって、あんたを勧誘してたんじゃない!」
頼輔はずきんと胸が痛くなる。だが理性的な部分では、理不尽な気持ちにもなった。それは翼たちの都合であって、頼輔にはなんの落ち度もない。
「ほかの部員が頑張ればいいでおじゃろう。麻呂は悪くないでおじゃる」
ふて腐れたように言う。
「麻呂くんの言うとおりだな」ロベルトが口を挟んだ。「だが監督として言わせてもらえれば、ほかの部員もちゃんと努力はしているよ。特に渚なんかは僕が申し訳なく思うほどの努力をしている。あと半年もすれば、翼に見劣りしない選手になるだろう」
頼輔は黙って、彼の言葉を聞いていた。その間にも試合は動き、単純な動きとなった責任逃れのパスをカットされて、敵にゴールを決められてしまう。
「考え方の違いかな。翼がいるから県大会を目標に掲げることができるけど、彼がいなければうちのチームは一回戦敗退の弱小校だ。スポーツは非情だよ。奇跡なんて起こらない。より実力のある者が勝っていくんだ」
「だから悔しいけど、あんたの力が必要なの。翼先輩レベルの選手が後一人いたら、県大会でベストエイトには入れるかもしれない。それは翼先輩の願いでもあるの」
ロベルトのあとに、咲が言葉を続ける。じくりと頼輔は罪悪感を覚えた。
ピィー。
甲高いホイッスルが鳴り響き、審判がファールを宣言する。
「先輩っ!」
咲の息を呑む声。見ると、翼が足を押さえて蹲っていた。立ち上がる様子はない。審判が試合を止めて、その間に翼がベンチに運ばれてくる。心配なのだろう、ほかの部員たちも戻ってきた。
「靴を脱いで足を見せろ」
「大丈夫です、監督。少し冷やせば問題なくいけます」
翼が拒絶する。コールドスプレーを吹きつけて、怪我したほうの足で地面を叩いてみせた。明らかにやせ我慢だが、自分一人で立つことはできるみたいだ。
「……わかった」
ロベルトは嘆息すると、それ以上何も言わなかった。
「お前ら、もう少しボール持てよ。すぐにパスしやがって! 翼先輩がマークされているのはわかってるだろ!」
渚が声を荒げる。誰もがしゅんとなって俯くばかりだ。その事実は理解している。だが同時に、敵の守備を抜ける実力がないことも理解しているのだ。
「渚くん、いい。僕があの程度のマークを外せないのが悪い」
「……先輩」
渚が沈痛な声を漏らす。
「そのとおりでおじゃるよ。まこと、翼殿は不甲斐ないでおじゃる」
頼輔はパタパタと扇子を仰ぎながら、そっぽを向いて言い放つ。
「お前っ!」
掴みかかろうとする渚を、翼が押しとどめる。
「麻呂くんの言うとおりだ。僕の実力不足だよ。だって麻呂くんの実力ならば、あの程度のマーク、振り切るのは造作もないことだろ?」
「当然でおじゃるよ。三位の位を舐めるなでおじゃる」
「で、どうだい? サッカーする気にはなったかな?」
「ふざけるなでおじゃる。こんな弱っちいチームに入るなんて、麻呂にとっての恥でおじゃる」
「あんた、なに調子に乗ってんの?」
切れた咲が、頼輔の胸ぐらを掴み上げる。顔が超怖かった。軽くチビるレベル。
「ちょっ、待つでおじゃる。すまんでおじゃる。暴力反対でおじゃる!」
頼輔は速攻で謝った。
「だったら――」翼の声がよく響いた。「あいつらから1点でも奪ったら、試合に出てくれるかい?」
頼輔はしばらく沈黙する。そして床を掃くように視線を動かすと、
「……いいでおじゃるよ」
「よし。男と男の約束だ」
翼が拳を突き出してくる。頼輔は戸惑ったような不機嫌そうな表情のまま、翼の拳に自分の拳を突き合わせた。
しかし、奇跡は起こらない。足を怪我した翼の動きは明らかに悪くなっており、得点を得るどころか、2点も失点してしまった。0対3。
頼輔は内心で歯噛みしながら、その試合運びを見守っていた。
(くぅっ! せっかく麻呂が試合に出てやる気になったでおじゃるに、その体たらくはなんでおじゃるか! まこと情けないでおじゃる!)
翼が傷つき失敗するたびに、頼輔は飛び出したい衝動に駆られていた。だが約束をしてしまった手前、それはできない。自分の中に芽生えた複雑な想いに、頼輔は混乱する。
そうして4点目が奪われて、前半戦が終了した。
「先輩、凄く腫れてるじゃないですか!」
咲が悲鳴に似た声をあげる。右の足首が咲の拳ほどの大きさに腫れ上がっていた。この状態で試合をしていたかと思うと、それだけで意識が遠のきそうになる。
頼輔もちらちらと顔を背けたまま視線を送り、その痛々しい姿に目を見開いた。
「お前は交代だ、翼」
ロベルトが静かに言い放つ。
「嫌です」
「この怪我じゃ、試合は無理だ。下手なことをすれば、一生サッカーができないかもしれないんだぞ」
ロベルトの科白に、翼は一瞬言葉を詰まらせた。だが、
「この試合で得る一点は、僕の生涯を懸ける価値のあるモノです」
その言葉を受けて、皆の視線が頼輔に集まる。
「な、なんでおじゃるか?」
頼輔はとぼけてみせた。
「『なんでおじゃるか』じゃないでしょ! あんたが一言、『試合に出る』と言えば済む問題じゃない!」
咲の科白に、頼輔は胸が痛くなった。だがその痛みが強ければ強いほど、意固地になっていく自分を感じる。
「麻呂は悪くないでおじゃる。そっちが勝手に約束して、約束を果たせていないだけでおじゃろう」
咲あたりから文句が飛ぶかと思ったが、頼輔の予想に反し、誰も口を開かなかった。頼輔は内心で激しく後悔する。何かきっかけがほしいと思った。
「みんな、聞いてのとおりだ。一点でいい。僕に力を貸してくれ」
「駄目だ。お前は試合に出さない」
ロベルトの言葉に、翼は目を見開く。
「それに麻呂はこの試合に出るとは約束したが、うちのチームに入るとは言っていない。お前のサッカー人生とは到底釣り合うとは思えん」
「それでもっ! 監督!」
「駄目だ」
鋭く言い返され、翼はロベルトの意志が固いことを理解する。
この瞬間、誰もが理解した。もはや負けは確定したのだ。
「おい、白塗りのおっさん」口を開いたのは渚だ。「……頼む、試合に出てくれ。オレたちだけじゃ、勝つことができない。お前じゃなきゃ、駄目なんだ」
渚は悔しそうに涙を浮かべていた。なまじ少女の姿をしているだけ、本物の女の子を泣かしてしまったような、男としての本能的な罪悪感を覚えてしまう。
(な、慰めては駄目でおじゃる。なんかそれやったら、麻呂は危ない領域の人間になってしまうでおじゃる!)
頼輔は必死に我慢した。渚にドキドキしてしまったなんて、口が裂けても言えない。
「お願い、だ。そのためなら、オレ、なんでもするから……」
うるうると弱気な表情で、あの生意気だった渚が訴えかけてくる。
キュン。
キュンキュンキュン! 君に胸キュン!
それを見た瞬間、麻呂のハートがパチンコ○物語の大当たりみたいな音を発した。
いつの時代においても、頑固な男の心を動かすのは少女の涙だ。
「わかったでおじゃる。その代わり約束でおじゃるよ。今度の土曜、麻呂とで、デートをするでおじゃる」
気づいたら、そう宣言していた。まさに、渚ホリック状態である。
「――え?」
咲が露骨にどん引いた。性犯罪者を見るような目で頼輔を見る。軽く傷つくレベルだ。
「わかった。約束する……から」
渚が親指の先を噛むようにして、いじらしげに応じる。その瞬間、多くの男子がイケない性癖に目覚めてしまった。
「ったく、はじめから試合に出るって言えばいいのに。だいたい、なんであそこまで意固地になってたんだか」
ゼッケンをつけてグラウンドに出る頼輔の背中を見ながら、咲が呟く。ただでさえ頼輔の姿は目立っていたが、試合に出るのは予想外だったらしく、周囲がざわついていた。
「まぁ、彼も思春期の男子だからね。一度断った手前、言い出すタイミングが掴めなかったんだろう」
ロベルトが懐かしむように言った。
「そんなもんですかね」
「そういうもんだよ。何かきっかけがあれば、意外とあっさりいくもんさ。まぁ、彼の場合、もっとも駄目な動機で動いちゃったみたいだけど」
ロベルトの言葉に、咲は乾いた笑いを漏らした。なんだろう? 翼をはじめ、彼らは将来どこへ向かおうとしているのか。
「ちょっと、君。なんだね、その格好は?」
グラウンドでは、頼輔が審判に怒られていた。彼は例の如く、直衣に鳥帽子姿だ。
「宗教的な理由で〜す」
ロベルトがすかさずフォローを入れる。
「なに? 宗教的な理由だって? なら、仕方ない」
審判はあっさり引き下がった。
「ちょっと待ってください。あの長い帽子は卑怯でしょう!」
「それにあの顔、どう見てもおっさんです!」
敵チームは当然ながら、抗議のシュプレヒコールを発した。
「馬鹿野郎! 見た目で判断するんじゃない。私の高校時代のあだ名は、ラル大尉だぞ!」
どうやら審判のトラウマを刺激したみたいだ。結局は宗教上の理由という面が考慮され、そのままの格好で許可が下りた。
「おい。あいつできると思うか?」
「向こうのエースの代わりに出てきたってことは、それなりに上手いんじゃないか?」
「はぁ? だったら最初から出すだろ。どうせ二軍なんだ。大したことないはずだ」
敵チームはいろいろと話し合ったが、安全策をとって翼と同じように4人をマークにつけることにした。どのみちその作戦でも勝ててはいるのだ。
後半戦開始のホイッスルが鳴り、ボールが頼輔に渡る。刹那、
「きょぇえええええっ!」
白塗りのおっさんが奇っ怪な声をあげて、猛然な勢いで迫ってきた。
「うわっ! キモッ!」
思わず敵チームは竦み上がってしまう。その隙に頼輔は、単身で守備に切り込んだ。
「何やってんだ、馬鹿っ!」
怒号が飛び、一人の選手が頼輔を止めにかかる。だが頼輔は、あっさりとそれを抜き去った。
「くそっ!」
今度のは二人の選手が襲いかかった。頼輔はターンで抜くふりをし、反転ヒールで股抜きをする。それも二人同時に。
「馬鹿なっ! 二人同時だと!」
敵チームが驚愕の声をあげる。一発のビームライフルで、ザク二機を落としたガン○ムのような規格外の技術だった。
「今のうちにカットしろッ!」
だが、二人の股を通り抜けたボールは、頼輔から大きく離れることとなる。ボールをカットする絶好のチャンスだ。しかし――。
「おじゃるおじゃるおじゃる!」
頼輔が新幹線のような速度でやってきた。こんな外見の新幹線があったら、軽くホラーだろう。
「うわっ! なんだこの白塗り。あんな格好しているのに、馬鹿みたいに速いぞ!」
「戻れ、戻れ! あの白いのを止めるんだッ!」
ボールに追いついた頼輔は、スライディングしてくる敵をかわし、一気にゴールに押し迫る。そんな彼の前に三人のディフェンダーが立ちはだかった。
頼輔はシザースと切り返しを織り交ぜ、敵のディフェンスを揺さぶる。ただでさえ素早いのに加え、袴がボールを覆い隠し、ディフェンダーは大いに混乱した。
「くそっ! まるでボールが消えたみたいだ!」
「っていうか、ボールなくない?」
二人の声に答えるように、敵チームのほかのメンバーが叫ぶ。
「馬鹿、どこ見てる。右だ右!」
そこで初めて、ディフェンダーはすでにボールがパスされていたことに気づく。まるで魔法のようだった。
ボールの先には、少女のような姿をした選手、渚がいた。彼女(?)はボールを受け取ると、すぐさまセンターに蹴り返す。
「まろまろまろっ!」
頼輔はまるで体操選手のような勢いで地面を蹴り上げると、強烈なオーバーヘッドキックを繰り出した。Vの字の軌跡を描いたボールが、ゴールのネットを真上に押し上げる。蓮峰高校の初ゴールであった。
「どうでおじゃるか? 咲殿、翼殿。麻呂の実力をもってすれば、ざっとこんな感じでおじゃる。むふふふ〜ん」
頼輔が上機嫌でベンチにやってきた。咲はその態度にイラッときたが、周囲の熱気はそれを消し去るほどに盛り上がっていた。
青くなったのは敵チームだ。
「なんだよ、あれ」
「高校のレベルじゃねえよ。本物のおっさんじゃねえのか?」
「おっさんだろうがなんだろうが、あの上手さは本物だ。マークを増やすぞ。多少反則したって構わねえ。エースさえ潰れれば、あのチームは終わりなんだよ」
「ああ、また!」
咲は悲痛な声をあげた。またもや頼輔がコケてしまったのだ。
「あいつら絶対に服を引っ張ってるわ。なんで審判はファールとらないのよ!」
頼輔の実力に気づいた敵は、マークを強化していた。6人のマーク。それでも頼輔は止まらない。さすがにこれ以上、人員を割くことはできなかった。そこで彼らがとった作戦。それが審判に気づかれないように、どさくさに紛れて服を引っ張ることだった。さすがの頼輔も服を引っ張られてはサッカーができない。
「審判。こいつが今、麻呂の服を引っ張ったでおじゃる。反則でおじゃるよ!」
頼輔はガルルルと牙を剥き出しにして、審判に抗議する。
「え? 違いますよ。俺は何もしてません。向こうが勝手に転んだだけです」
「嘘をつくなでおじゃる!」
「う〜ん、しかしなぁ。その服は明らかに走り難そうだし、私のほうからは引っ張ったようには見えなかったからなぁ」
審判は首を傾げている。そればかりか服装の問題だと思っているようだ。
「お主の目は節穴でおじゃるか! すでに老化がはじまってるでおじゃるか!」
「誰が加齢臭の激しいオッサン顔だ!」
「いや、誰もそんなことは言ってないでおじゃるよ」
頼輔は慌てて否定したが、トラウマを刺激された審判は、イエローカードを突きつけてきた。
「まずいな」
頭をぽりぽりと掻いたロベルトは、頼輔に言い聞かせるという名目で、例外的にテクニカルタイムを申請した。
「ねえ、変なプライドにこだわってないで、その服脱ぎなさいよ」
ベンチに戻ってきた頼輔に、咲が呆れたように言う。
「変なプライドじゃないでおじゃる。これは麻呂の正装でおじゃるよ。そんな奴隷のような格好はできぬでおじゃる」
頼輔はぷいっと明後日を向いて答えた。
「それが変なプライドってことだろ? このまま試合に負けてもいいのかよ? もうあんまり時間はないんだぞ」
突っかかってきたのは渚だ。その表情は、焦りと口惜しさで歪んでいた。
「審判には、頼輔の服を着替えさせると言ってしまったからなぁ。このままでは君を試合に出すことはできない」
ロベルトに科白に、頼輔はぴくりと眉を動かす。それはこのチームの負けを意味していた。
「う〜ん、そうだなぁ。渚、ちょっとこっちへ」
ロベルトは渚を呼んで、何事か伝えた。初めは声を荒げて文句を言っていた渚だが、最終的には説得されたようだ。やけに恥ずかしげな表情で、じと目で睨みつけながら頼輔の前に立った。
「な、なんでおじゃるかな?」
言いようのない不穏な気配を感じて、頼輔は激しく動揺した。
「あ、あのな。……もしもその服脱いでくれたら、そのオレも、お前の前だけで、その……、この服を脱いでやってもいいかな……なんて」
耳まで真っ赤にして、うっすらと涙目になりながら、渚がユニフォームの襟に人差し指をかけて、襟を引っ張ってみせる。その隙間から健康的な肌の色と、盛り上がった鎖骨が覗いて見えた。
キュンキュンキュン!
頼輔のトキメキがマックスになった。これキタでおじゃるぅうううっ! と心がロマンスで激しく揺れ動く。
「い、嫌でおじゃる。今は、服が脱げないでおじゃるよ」
「な、なんでだよ! オレにこんな恥ずかしい科白言わせておいて!」
顔を真っ赤にした渚が、上目遣いで抗議の声をあげる。
「だって、なぁ? でおじゃる」
頼輔は前屈みになって股間を押さえながら、同じく前屈みになるほかの選手たちに同意を求めた。彼らも苦笑いを浮かべながら「今脱ぐのはちょっと」と応じる。
「うっわー、ないわ〜。マジでないわ〜」
咲は引き攣った表情で、心底呆れたような声を漏らす。
「ん? どうしてみんなも服が脱げないんだ?」
翼は状況が理解できず、きょろきょろとしていた。
「早くしてください!」
審判が遠くから注意してくる。もはや時間の猶予はない。
「お困りのようですね〜」
唐突に声が掛けられてきた。優しげな口調なのに、どこか威圧感のある声。
「お、お母さん」
翔香だった。頼輔はなんとな〜く、嫌な予感がした。
「麻呂さん。麻呂さんが服を着替えたくないのは、下賤の者の格好をしたくないという、貴族としてのプライドからですよね?」
「そ、そうでおじゃるけど……それが何か?」
後半は、ほとんど消え入りそうな声となった。なんかもう、次に来る言葉が容易に予想できた。
「服装が下賤の格好になるのと、身も心も下賤に堕ちるのとでは、どちらがいいですか?」
「ちょっと、ここで着替えないで――」
ベンチでいそいそと直衣を脱ぎはじめる頼輔を見て、文句を言おうとした咲は、途中で言葉を止めてしまう。そこには予想だにしていない、頼輔の姿があった。
引き締まった体に、無駄のない筋肉。
咲の本能が告げる。あれは武士の体付きだ。なんか弱っちいイメージが先行していたが、この肉体を見たあとならば、あの素早い動きも納得できる。
「おい、あれ。高校生の体かよ」
「すげぇな」
後ろからも感嘆の声が漏れてくる。
「ほれ、大事に預かるでおじゃるよ」
頼輔が近くにいたマネージャーに直衣を手渡して、代わりにユニフォームを受け取った。
「うわっ! くっさ。なにこの服、くっさ。しかも重っ」
直衣を受け取ったマネージャーが顔を背けて悲鳴をあげる。両手が直衣で塞がっているため鼻を摘まむことができず、軽い拷問状態だった。
「あ、そういえば、一度も洗濯した記憶がない」
咲が衝撃の事実を伝える。
「そういえばお風呂にも入ってなかったわね〜。あの時代にはそんな習慣なかったみたいだし〜」
翔香が更なる衝撃を伝える。
「ううっ。みんなの汗臭いのは我慢できるけど、この臭いだけは嫌ぁ〜」
マネージャーが、くすんくすんと泣きはじめた。
「それでは行ってくるでおじゃる」
ユニフォームに着替えた頼輔が、チームメイトの待つグラウンドへと戻っていく。ズボンからちょっと黄ばんだフンドシを、風にはためかせながら――。
「つーか、フンドシ隠さんかいっ!」
咲が思わず突っ込んだ。
「リアルな黄ばみが陽の光を反射して、まるでおしっこを漏らしているみたいね〜」
翔香も他人事のような感想を漏らす。
「ううっ、咲。早く助けて。重いし、臭いし、重いし。なんかぬちょってしてる〜」
マネージャがもはや限界そうだったので、咲は慌てて直衣を受け取った。
「え? 何よこれ? 臭いし、重いし、なんかぬちょってしているッ!」
「だから、私……はぁ、はぁ、そう言った……でしょ?」
直衣を咲に渡したマネージャーは燃え尽きたボクサーのように、へたり込んでしまった。
「って、いうか、凄く重いんだけど! なにあいつ、こんなの着てサッカーやっていたの!」
「そういえば、麻呂さんは修行中の身なので、あえて重い直衣を着てるって言ってたわね〜。咲ちゃん、麻呂さんを吹っ飛ばしたりしてたのに気づかなかったの? 20キロ程度あるらしいけど」
その科白を聞いて、咲も翼もロベルトたちも驚愕に目を見開いた。声すら出すことができない。
20キロ。
確かに咲にとっては、気づかないレベルの重さでしかない。だが、サッカーは別だ。
その重みを背負ったまま、あんな動きにくい格好で、頼輔はサッカー勝負で翼に勝ったというのだ。ならば、それを脱ぎ捨てた彼の実力は、どれほどのモノなのか?
ぶるりと武者震いが走る。張り詰めた空気が、これから起こる異常事態を暗示しているかのようだった。グラウンドに立つ頼輔の姿が、やけに輝いて見えた。
そして厳かに、ゲーム再開のホイッスルが鳴る。
――この日を境にして、後に「蓮峰の白い悪魔」「白塗りの怨霊」「妖怪黄ばみフンドシ」と恐れられる難波頼輔の伝説がはじまった。
この物語は、サッカーで世界の頂点を目指す熱き白塗りたちの、壮大な戦いの序章である。




