その3 麻呂、イケメンに挑まれる!
前回までの麻呂
平安時代からタイムスリップしてきた麻呂は、難波家に合理的な理由から引き取られたでおじゃる。けれども顔が白いという理由で、バイトを落とされ、昼間の公園でブランコを漕いでいたでおじゃるよ。そこで懐かしの蹴鞠に出会うも、童たちから仲間外れにされ、咲殿には自転車を投げつけられる始末。麻呂、マジでかわいそうでおじゃる。そんななか、誰かが難波家を訪ねてきたようでおじゃるが……。
「せ、せせせせ先輩。どうして私の家に? まさか私に会いに?」
「いや、それはないよ。咲くん、冗談はよしてくれ」
「ですよね〜。えへへへ」
咲は気恥ずかしそうに、自分の頭をコツンと叩いた。
「実は君のお父さんに会いに来たんだ」
「え? お父さん? えっと、うちのお父さんは三年前に失踪したっきりで、あの……」
咲は戸惑いながら答える。どうして行方不明の父を翼が訪ねてくるのだろう?
「さっき警察に聞いてきた。あの白塗りのおっさんが君のお父さんなんだよね?」
咲の笑顔が固まった。一瞬、頭が真っ白になるが、そういや書類上は、あの白塗りが父親になっていることを思い出す。
(日本の警察は何してんのよ! 個人情報垂れ流しじゃない)
「やだな〜、先輩。あの白塗りのおっさんが私のお父さんな訳ないじゃないですか。それに警察が個人情報教えるわけないでしょ? 先輩かわいそうに。警察に嘘を教えられたんですよ」
「な、なんだって? ……そうか、そうだよな。くそっ、彼の手掛かりはなしか」
悔しそうに唇を噛む翼を見て、咲は好奇心が刺激された。
「どうして、あの白塗りを捜してるんですか?」
「いや、あの白塗りに襲われていた子供たちから話を聞いたんだが、どうも彼とはボールの取り合いをしていたらしい。子供とはいえ、八人もの人数でかかって、ボールに触れることすらできなかったそうだ。物凄いテクニックだと思う。名のある選手かと思ってね。できればそのテクニックを一目見たくて」
咲はなるほど、と得心する。翼はサッカーが上手いだけでなく、熱意も凄かった。頼輔の話を聞いた翼は、居ても立ってもいられなくなって警察に赴き、頼輔の行き先を追ったのだろう。
(どうしよう? 先輩の気持ちには応えてあげたいけど、麻呂を紹介するのは嫌だなぁ)
咲がもじもじと内股を擦り合わせながら迷っていると、
「咲殿〜。なんかスマホとやらがブルブル震えてるでおじゃるよ。着信というやつではおじゃらんか〜」
頼輔があどけない表情で現れた。
「絶対あんた、わざとやってるでしょッ!」
「おぶぅううううッ!」
咲の延髄蹴りがクリーンヒットし、頼輔がコマのように回転しながら吹き飛ばされる。
宙を舞った咲のスマホは彼女の目の前に落下してきて、まるで決めポーズのように、咲は最小の動きでそれをキャッチした。
「さ、咲くん。その人は例の……」
「嫌だぁ、先輩。何言ってるんですか?」
咲はにこにこと笑いながら鼻血を流す頼輔に元へ後ずさると、翼に見えないようにして、素早く鼻血を塗り広げた。
「ほらほら、よく見てください。白塗りじゃなく、赤塗りですよ。昼間のおっさんとは別人なんです」
大根を引っこ抜くみたいにマゲを持ち上げて、翼に頼輔の顔を見せつける。
「本当だ。う〜ん、僕の勘違いだったか。すまない」
「そ、そうですよ。あはははは」
翼は少し不満そうだったが、咲に言い切られ、しぶしぶながら難波家を後にした。
「おい、麻呂。あんた私に、なんか恨みでもあんの? 来るなって言ったわよね?」
翼がいなくなり、血が凍りつくような冷酷な目で、咲が頼輔を睥睨してくる。
「う、恨みでおじゃるか? っていうか、胸に手を当てて思い浮かべて――」
不満そうに言う頼輔の両足を掴むと、咲はサソリ固めを極めた。
「うぎゃあああああっ! すまんでおじゃる、ごめんでおじゃる。咲殿、最高! いと素晴らし! あぎゃああああっ」
頼輔は大粒の涙を流して許しを請う。そして、
「あ、そうだ。咲くん。君に伝え忘れていたことが――」
翼が戻ってきた。
「む! 涙で赤い化粧が流れ落ちている。君はやはり、あのときの白塗り!」
翼がくわっと目を見開く。
「あは、あはははは」
咲の力なく笑う声が、玄関に響いていた。
「――なるほど、君は咲くんのお父さんなどではなく、平安時代からタイムスリップしてきた公家だと言うのだな?」
ここは難波家の居間。あれから三十分が経過し、咲はごまかすことなく翼に事実を伝えていた。こんなのが肉親だと思われるよりは、平安貴族を拾ったと言ったほうが、まだ傷は浅いからだ。
「うう、信じてくれるでおじゃるか? お主、いい奴でおじゃるのう」
頼輔はよよよ、と涙を流した。
「当たり前じゃないか。疑う理由がどこにある?」
「お主はなんとなく、もう少し人を疑うことを覚えたほうがよいとは思うでおじゃるが、麻呂うれしいでおじゃる。やっと、まともな人間に出会えたでおじゃる」
「へぇ〜。まるで、今まで会った人間は、人格に問題があるような言い方ねぇ〜」
咲が表情をほとんど変えないまま、殺意だけを増大させた。
「な、なななな何を言ってるでおじゃるか? 一人を褒めたらそれ以外を貶したと考えるのは、損する考えでおじゃるよ。ほほほほ」
「咲くん、麻呂くんの言うとおりだ。君はこんな些細なことに、被害妄想を抱くような女の子じゃないだろ?」
「は、はい。そうでしたね」
咲は上機嫌になって、ぺろりと舌を出す。
頼輔は声には出さずに、表情だけで「ええーっ!」と抗議してみせた。
「というわけだ、麻呂くん。今から僕とサッカーで勝負をしよう」
翼がきらきらと目を輝かせて言う。
「ん? 何が『というわけ』でおじゃるか? サッカー勝負とか初めて聞いたでおじゃるよ」
「ふふふ。確かに言ったのは初めてかもしれない。だが、僕とサッカーで勝負したいという君の気持ちは、痛いほど僕に届いていたよ」
「お主、人の話を聞いているようで、まったく聞いてないでおじゃるな」
「言葉では伝わらないこともある。そうだろ? 麻呂くん」
翼がキランと、歯を輝かせる。
「きゃ〜、翼先輩」
咲がメロメロになった。
「いや、何が『そうだろ?』でおじゃるか。少しは人の話を聞く努力をするでおじゃる」
頼輔には効果がなかった。
「くっ! サッカー勝負はしてくれないのか?」
翼が悲痛な表情をする。唇を噛み締め、目が血走ってきた。
あ、これヤバいパターンでおじゃる、と頼輔は瞬時に悟る。頼輔は貴族の間でも、「空気読むの上手いね」と評判であった。
「わかったでおじゃる。勝負するでおじゃるよ」
「ほ、本当かい!」
歓喜した翼が、ジャンピング正座をして頼輔の両手を握ってくる。
「ただし、条件があるでおじゃる。咲殿に麻呂に対する暴力をやめるよう、約束させるでおじゃる」
「なっ!」
頼輔の言葉を聞いて、咲がたじろいだ。まさかそんな条件を出されるとは思っていなかったのだろう。
頼輔は内心でほくそ笑む。翼が咲を制御できることは、この短い時間で学んでいた。彼を利用して、自分に対する理不尽な暴力をやめさせる作戦だ。
(麻呂、マジで冴えてるでおじゃるんるん!)
「わかった。僕に勝ったら、咲くんにそう約束させよう!」
「え? いや。人の話聞くでおじゃる。なに勝手に条件増やしてるでおじゃるか?」
頼輔は慌てて抗議の声をあげる。参加することに意義があるはずだ。
「何よ、蹴鞠が得意とか言ってるくせに、自信ないんだぁ? まぁ、翼先輩が相手じゃ仕方ないわね」
咲が憎たらしい顔つきで挑発してくる。頼輔はカチンとなった。安い挑発であることはすぐに理解したが、今まで積もり積もって、よく乾燥していた鬱憤に火がついた。
(ぬぅ、貴族である麻呂を事あるごとに見下しおってぇ! 麻呂が如何に素晴らしい貴族であるかを、見せつけてやるでおじゃるぅ!)
そして数分後。近くの公園で翼と頼輔が対峙していた。
「攻守を交代しながら、五本先取したほうが勝ちだ。ただし、バックラインを超えた後のシュートでなければ得点にはならない。また防御側もセンターラインの後ろで待ち伏せしないこと」
翼が簡単に勝負内容を説明する。公園のグラウンドの広さはサッカーグラウンドの半分くらいだ。攻撃側はグラウンドの東側からボールを持った状態でスタートし、西側にあるゴールにボールを収めることで得点となる。
グラウンドの中央に線を引き、そこをセンターラインと定める。守備側はその線よりも後ろで待ち伏せはできない。無論、相手を追って移動するのはありだが、一度はセンターラインの東側で相手とボールの奪い合いをしなければならなかった。
そして、センターラインとゴールの間にも線を引き、そこをバックラインと定める。攻撃側はそこを越えた後のシュートでなければ、得点にはならないのだ。
「ちなみに、麻呂くん。本当に、その格好でやるのかい?」
翼が頼輔の服装を見て、戸惑い気味に問う。頼輔は直衣に鳥帽子という、いつもの平安貴族のスタイルだった。
「当然でおじゃろう! これは蹴鞠師の正装。それに麻呂は貴族でおじゃる。そんな賤民の着るような服が着れるでおじゃるか!」
頼輔は唾を飛ばしながら答えた。
「どうでもいいけど、負けたときの言い訳にしないでよ」
咲が茶化すように言う。彼女も審判役として、この場に立ち会っていた。
「まあいい。ならば僕は全力で君の服を脱がすことにするよ」
翼がキランち歯を光らせて言った。知らない人が聞いたら誤解を受けそうな科白だ。念のために説明すると、実力の差を見せつけて、直衣を脱がないと勝てないぞ、と頼輔に思わせてみせるという意味だよ。
(さて、麻呂くんのお手並み拝見といこうか)
なんだかんだで、翼からの攻撃となった。ゆったりとドリブルをしながら、頼輔に近づいていく。
「おじゃるおじゃるおじゃるっ!」
頼輔が物凄い形相で迫ってきた。いや、むしろキモイ。
「くっ! なんというプレッシャー。夢に出てきそうな顔だ」
翼は興奮気味に呟き、スピードを上げる。接触する直前エラシコで揺さぶり、向かって左へと抜ける。
「むっ! 今のは『浮き雲』。お主、やるでおじゃるなっ!」
背後から頼輔の驚愕の声が聞こえた。フェイントは成功し、目の前は完全にクリアだ。あとは一気にバックラインを目指すだけ。だが――。
「おじゃるおじゃるおじゃるっ!」
「――なっ!」
今度は翼が驚愕の声をあげる。完全に隙を突いたにも関わらず、頼輔はすぐさまターンすると、物凄いスピードで追い縋ってきたのだ。驚くべき反応速度。しかもプレッシャーも凄く、すぐに端へと追いやられてしまった。堪らずターンをして切り返したところを、待ってましたとばかりにカットされる。
「え? うそっ!」
咲が目を見開いた。まさか翼が抜かれるとは思っていなかったのだ。
「のほほほほっ! どうでおじゃる。驚いたでおじゃるか? 麻呂は凄いでおじゃろう!」
頼輔は満足げに笑う。
「はっ! まさか、あんた。その袴を着ているのは、股抜きさせない作戦だったのねっ!」
「いや、違うでおじゃるよ。正装って言ったでおじゃろう。勝ったら勝ったで難癖つけるでおじゃるか? いと恐ろし」
「いや、いいんだ。咲くん」少し息を乱しながら翼が言った。「一対一で僕のドリブルを抜いたのは、この半年の間、誰一人としていなかった。僕は、うれしいよ」
今度は頼輔の攻撃だ。
「先ほどは、なかなか雅な技を見せてくれたでおじゃるな。ならば麻呂も、雅なる究極奥義を披露しておじゃろう」
「奥義だとっ!」
翼が若干、わくわくしながら乗ってきた。
「……絶対、くだらない技だと思う」
咲はすでに冷めた表情となっている。
「とくと見よ、麻呂が奥義!」
「来い、麻呂くん!」
頼輔は翼の一メートル手前で足を止めると、両膝に手を着き、下から覗き込むような形で前屈みとなる。そのまま不機嫌な般若のような白塗りの顔で、円を描きはじめた。
訝しげにそれを見ていた翼は次の瞬間、その恐るべき事実に気づく。ぞわぞわと戦慄が背中を駆け抜けた。
円を描く白塗りの顔。インパクトのある不気味な顔が、その面影を空間に刻みつけてくる。 残像現象。それがもたらしてくるのは、無数に連なる白塗りの気持ち悪い顔。
「うっ! こ、この動きはっ、ネットでググっても正式名称がわからない、縦に一列に並んで顔をくるくる回す、例のアレ! うわっ! キモイッ!」
翼は思わず顔を背けてしまった。
「隙あり、でおじゃる! のほほほほ!」
頼輔は翼の股にボールを通し、あっさり彼を抜き去っていく。上機嫌でドリブルをする頼輔は、バックラインを超えると同時に、シュートを打ち放った。
だがそのボールは、ゴールに入る前に、止められてしまう。翼ではない。
「おろ?」
「あんた、サッカー舐めてんの?」
咲だった。漆黒のオーラが全身を染め上げ、燦然たる瞳の輝きが頼輔を貫いている。
「ひぃ、卑怯でおじゃるよ。なんで止めるでおじゃるか?」
頼輔が半分泣きそうな声で抗議する。怒られるのがわかった途端、なんか条件反射的に泣いていた。そんな自分に気づき、頼輔はさらに惨めな気持ちになる。
「翼先輩が真面目にやってるってのに、あんたは何ふざけてんのよッ!」
咆哮と共に咲は、足元のボールを蹴り放つ。刹那、ボールはオレンジ色の光線となり、空を切り裂きながら頼輔めがけて飛翔する。
「のおおおおおっ! でおじゃる!」
麻呂は半泣きのまま体を反らし、足でそのボールを受け止める。かくん、と吸い込むように威力を吸収し、ほとんどバウンドすることなく真下に落とす。
「馬鹿なっ!」翼は叫んでいた。「『蓮峰のレールガン』『リアル少林サッカー』『筋肉ゴリラ』の異名を持つ咲くんのシュートを受け止めただと!」
咲はマネージャーだが、その殺人的な強さを持つ肉体から放たれるシュートは、文字通り兵器級だった。ライトノベルならば、二巻の終わりくらいで女であることを隠して試合に参加し、逆転勝利させるくらいの伏線的な実力を持っている。
たらりと汗が翼の頬を伝った。翼の知る限り、あれほどの威力のボールを、あそこまで完璧にいなせる高校生など存在しない。熱いモノが込み上げてくる。
「やめろ、咲くん!」
逃げる頼輔を猛獣の如く追う咲に向かって、翼は制止の声を放った。
「で、でも先輩」
「いいんだ。主に足技で揺さぶるサッカーにおいて、顔芸での揺さぶり。実に斬新だった!」
「え、あ、……そうですね」
清々しく言い放つ翼の姿に、遅ればせながら咲は不安を覚えてしまった。
(う、上手いっ!)
翼は内心で舌を巻く。やりあえばやりあうほど、頼輔の実力を肌で実感する。フェイントの巧みさもさることながら、切り返しと瞬発力は目を見張るモノがある。
頼輔はターンで翼を抜き去り、必死に追い縋ってきたのを、ヒールリフトで優雅にかわし、ワンバウンドのあとボレーシュートを決める。それで、勝敗は決した。5ー2の大差で、頼輔が勝利したのだ。
「う……そ?」
咲は信じられないモノでも見たような顔で、呆然と呟いた。
「のほほほほっ! どうでおじゃるか? これで麻呂の凄さがわかったでおじゃろう」
頼輔は上機嫌で欣喜雀躍する。あまりに調子に乗りすぎた頼輔の姿は、仏でさえ一発でぶち切れるレベルだ。
「さあ、翼殿。約束どおり、咲殿に理不尽な暴力を振るわないよう言うでおじゃる!」
グラウンドに寝っ転がり、荒い息を吐いていた翼は、ゆっくりと立ち上がると「理不尽な暴力をしないように」と咲に言い聞かせる。
「……はい」
咲はシュンとしながらも頷いた。
――こうして頼輔の自由を賭けた戦いは、幕を閉じたのだ。
「ふぅ〜。長かったでおじゃる。この世界に来てからというもの、地味に不幸でおじゃった。まぁ、食べ物が美味であるから、それほど気にはならなかったでおじゃるが……」
しみじみとする頼輔に、翼が近づいてきて、すっと右手を差し出してきた。
「完敗だよ、麻呂くん。――それと、君さえよければサッカー部に入ってほしい。僕と一緒にサッカーをしよう」
「え? 普通に嫌でおじゃるけど?」
「――――え?(←翼)」
「――――え?(←咲)」
「…………え?(←頼輔)」
微妙な空気が流れた。少しばかりの静寂のあと、頼輔が口を開く。
「な、なんでおじゃるか? その『さも受けるのが当然』みたいな空気。別に麻呂、サッカーとかやる必要ないでおじゃるよね?」
「っていうか、あんた蹴鞠が好きなんでしょ? なんで断るのよ?」
口を開いたのは咲だ。翼は完全に予想外だったらしく、笑顔のまま固まっている。
「え? いや、別に麻呂は蹴鞠が好きという訳じゃないでおじゃるよ? 蹴鞠は得意とは言ったでおじゃるが、好きとは一言も。どちらかと言えば、体を動かすのは苦手でおじゃる。麻呂、貴族でおじゃるし」
咲はぽかんとなったあと、呆然と翼のほうを見る。翼も咲と目を合わせてから、咲と一緒になって頼輔に視線を戻した。
「「ええっ!」」
公園で咲と翼の声がハモった。




