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その2 麻呂、サッカーと出会う!

 前回までの麻呂


 蹴鞠が得意な平安時代の貴族である麻呂は、気がついたら現代にタイムスリップしていたでおじゃる。車に撥ねられたりデブにのし掛かられたりと、酷い目に遭うた麻呂は、三年前に行方不明となった難波咲の父親と間違えられて、難波家に連れてこられたでおじゃる。だがそこは、鬼のような暴力女たちの巣窟。果たして麻呂は、生き残れるでおじゃろうか?




 難波家の食卓。ここには今、女子高校生の咲とその母親である翔香、そして平安時代からタイムスリップしてきた難波頼輔が席についていた。

「ほう〜。このクッキーとやら、美味いでおじゃる。美味でおじゃる。のほほほ〜」

 顔を白塗りにして神主が着るような直衣を纏った頼輔が、テーブルのお椀の中にあるクッキーを、上機嫌なリスのような仕草で囓っていた。

「困ったわね〜。この白塗りのおっさん、どうしましょう?」

 翔香が眉根を顰めながら言った。

「本当、ごめん。お父さんの顔とかあんまり覚えていなくて。ちょっとは変かなぁ〜、って思ったんだけど、警察の人の言い分も、もっともかなぁって」

 咲がシュンと俯いて答える。いつもはピコンと跳ね上がったサイドテールも、今は水をやり忘れた植物のように萎れていた。

「いくらなんでもコレはないでしょ? コレは」

 翔香がエレベーターのボタンを押すような仕草で、頼輔を指さす。

「咲ちゃんは半分お父さんの血が混じっているのよ。こんなのが父親だなんて、もっと疑問に思うべきよ。っていうか、クッキーの食べ方汚い」

「うわっ! 本当だ、マジ汚い」

 頼輔の前のテーブルは、まるでフケ症の人が頭を掻いたみたいに、クッキーのクズが降り積もっていた。見るだけで背筋がむずむずとする。

「お主らうるさいでおじゃるよ。麻呂の雅な食べ方にケチをつけおじゃって」

 麻呂は不満を口にすると、次に陸に打ち上げられたマンボウのように顔を横にして、やけに長い舌でテーブルのクズを舐めとった。

「やだ、キモイッ!」

 叫んだ咲が、手に持っていたフォークを振り下ろす。

「――――ッ!」

 頼輔は間一髪、舌をずらしてその攻撃を避けた。先ほどまで舌があった場所に、フォークが深々と突き刺さっている。

「避けるな、こなくそーっ!」

 咲は再びフォークを振り下ろす。避けられると、本能的に刺したくなるのだ。まるでミシン針のような速度で、連続でフォークを上下させた。

「!!!!!!」

 頼輔は舌を上下に動かして必死にそれをかわす。恐怖で涙が滝のように流れ落ちていた。ややあって、舌を引っ込めればいいじゃないか、という当然の事実に気づく。

「逃げるなっ!」

 ムキーと激昂した咲が舌を追って、つまりは頼輔の頬を狙って、フォークを振り下ろす。

「ひぃいいい、でおじゃる〜!」

 ――ドン!

 深々とテーブルに突き刺さるフォークの先端。顔を背けた頼輔は椅子から転げ落ち、なんとか咲の攻撃をかわしていた。

「し、死ぬかと思ったでおじゃる。マジ半端ないでおじゃるぅ」

「駄目よ〜、咲ちゃん」翔香が咲を窘めた。「将を射るにはまず馬からって言うでしょ? 舌を刺すには、先に喉を刺さなきゃ」

「――って、なに恐ろしいことを教えてるでおじゃるかっ! それ、死ぬでおじゃるから。いくら麻呂でも、死ぬでおじゃるからっ!」

 そして頼輔はぶわっと涙を浮かべて、失恋した乙女のように女の子座りで泣きはじめた。

「うう、酷いでおじゃる、酷いでおじゃる〜。麻呂がいったい何をしたというでおじゃるか? 訳も分からずタイムスリップしてきて、馴染みのない土地でこんな仕打ち。うう、ヒックでおじゃる」

「そうよね〜。元の世界に帰りたいわよね〜」

 翔香が頬に手を当てながら、頼輔に同情してきた。

「いや、それはないでおじゃるよ」頼輔はあっけらかんと否定する。「この世界は不思議が多くておもしろいでおじゃるし、何より食べ物が美味でおじゃる。別に帰らなくてもよいでおじゃるよ」

「あ、あんた、なんでそんなに前向きなの? 電気アンマ喰らったり、頭燃やされたり、フォークで殺されそうな目に遭ったってのに、こんな過酷な世界にまだいたいだなんて……」

「お主、しれっと他人事のように言ってるでおじゃるが、その過酷な世界のほとんどはお主がやったことでおじゃるからな」

「ええと、麻呂さん?」

 翔香が戸惑いながら、頼輔に話しかける。

「母殿。麻呂の名前は麻呂ではなく、頼輔でおじゃるよ」

「それは分かってるけど、お父さんと同じ名前だと生理的に嫌だし、麻呂麻呂言ってるから、麻呂でいいでしょ? っていうか、断ったら目玉に針千本通しちゃうぞ。うふっ」

「可愛い仕草で、なに恐ろしいことを言ってるでおじゃるかっ! っていうか、母殿からはやると言ったら絶対にやるというオーラを感じるでおじゃる。わかったでおじゃるよ。麻呂のことは麻呂でよいでおじゃる」

「あらあら、ちょっと残念。で、麻呂さんが平安時代からタイムスリップしてきたっていうのは、本当の事なの?」

「嘘に決まってんじゃん。さっきから『マジ』とか現代語使いまくりでしょ」

 咲が臭いモノでも追い払うように、手をひらひらさせながら否定してきた。

「あらあら〜。それは違うわよ、咲ちゃん。『マジ』っていうは江戸時代から使われていた日本古来の言葉よ。私たちが現代語だと思ってる多くの言葉は、古くからあるものだったりするの。麻呂さんの科白はぜんぜんOKよ〜」

「え、それ本当なの? 私こうみえても、その手の話、結構信じちゃうんだからねっ!」

「まことでおじゃるよ。麻呂は平安の都に住んでたでおじゃる。ほら、この白塗りの顔とか、現在にはおらぬでおじゃろう?」

 咲は無言でリモコンを操作すると、以前録画していた「バ○殿様」をテレビに映し出した。

「うぬっ! こ、こやつ、麻呂に通じる何かを感じるっ!」

「あっれ〜? 過去から来たんなら、テレビ見て『箱の中に人が入ってる』とか言って、驚かないの?」

 咲がからかうような表情で言ってきた。

「何を言ってるでおじゃるか? 箱の中に人が入ってるわけないでおじゃる。あれ映像でおじゃるよ。お主は馬鹿でおじゃるか? ぷぷぷ」

「――くっ! む、ムカつく。こいつ絶対に嘘つきよ。テレビのこと知ってるなんておかしいわよっ!」

 咲が顔を真っ赤にして、テーブルを叩いた。

「麻呂は学習能力と適応能力が異様に高いと、貴族の間でも有名でおじゃった。この程度の知識、御茶の子さいさいでおじゃる」

「そういえば、とある歴史小説のレビューで、『科白が現代的で違和感がある。当時の科白で再現すべき』って言ってる人がいたけど、本気でそれやったら読める人いないのにね〜。それ以前に、本人が昔の言葉と思っているモノは、実は文明開化以降の言葉だって知らないんでしょうねぇ」

「お、お母さん。キャラの科白を借りて読者をディスるのはやめて。それ、ヤバイから」


「で、どうすんのよ? この白塗り」

 咲がぶすっとした顔で言った。

「この際だから、お父さんの代わりとして受け入れようと思うの」

 翔香がぽんと手を合わせて答える。

「ちょっと本気? この白塗りがお父さんになるのよ」

「おじゃるおじゃるおじゃる〜」

 頼輔が勝ち誇ったみたいに、舌をレロレロさせた。イラッとした咲が、射殺すような目で睨むと、頼輔は蛇に睨まれた蛙のように脂汗を流す。

「咲ちゃん、真面目な話ね。失踪扱いだと、生命保険が下りないのよ」

「あ、……うん」

 急に重い話になって、咲は戸惑い気味に頷いた。

「だからね。彼が死んでくれると、生命保険がもらえるの」

「は、母殿! その科白、もろアウトでおじゃるよっ!」

「お、お母さん。いくら白塗りだからって殺人はっ!」

「――おろ?」

 頼輔は「お前が言うの?」という目で咲を見た。

「な、何よ」

「違うわよ〜。さすがにアシがつくようなヘマはしないわよ〜。麻呂さんは平安時代の人でしょ? だから寿命も私たちより遙かに短いんじゃないかしら〜。五十歳まで生きていれば長生き、みたいな〜。だから、もうすぐポックリ逝くはずなのよねぇ」

「ああっ! なるほど。お母さん、頭いいっ!」

「『なるほど』って、お主はほかに思うことがないでおじゃるか?」

「そんな訳で麻呂さんは、今おいくつなんですか〜」

 翔香がにこにこと訊いてくる。

「麻呂は十六歳でおじゃるよ」


「公家って燃えるゴミに出せないのかしら〜」

 翔香がため息混じりに言い出した。

「とりあえず段ボールに入れて、橋の下にでも置いといたら誰か拾ってくれるんじゃない?」

 咲が腕組をしながら答える。

「ちょっ、お主らマジで酷いでおじゃるよ。人としてどうなの? その思考。よくよく考えたら麻呂は、何一つ悪くないでおじゃるよね?」

 頼輔は涙ながらに抗議した。

「でも、『働かざる者食うべからず』っていうし。あんた、いったい何ができるの?」

 咲が睥睨しながら、質問してくる。

「つーか、麻呂は貴族だから、意外といろんな事イケるでおじゃるよ。でも強いてあげるなら、蹴鞠が得意でおじゃった」

「そういや、さっきから出てくる蹴鞠って何よ?」

「あらあら、咲ちゃん。知らなかったかしら? そうねぇ〜、分かりやすく言うと、平安時代のサッカーみたいなものかしら?」

「え、サッカー?」

 咲は呆然と反芻する。彼女は蓮峰高校でサッカー部のマネージャーをしていた。理由はもちろん、サッカーが好きなどという不純な理由ではなく、サッカー部の主将がイケメンでカッコいいからだ。

 主将である青空翼は、弱小の蓮峰高校サッカー部において、一人だけずば抜けてサッカーが上手かった。

 それもそのはず、彼はサッカーで有名な某強豪高から編入してきたという、ライトノベルでいえば二巻あたりで公になりそうな伏線――、もとい、ミステリアスな過去を持っていた。

『え? ボールが友達? いや、そんな趣味はないけど』

 咲はぽわわ〜んと、初めて翼と会話したときのことを思い浮かべる。

(こいつがサッカー得意なら、うちの部に入ってくれたら、翼先輩が喜んでくれるかも)

 そう思って、咲はじっと頼輔の顔を見つめる。そして三秒で頭を振った。

(ないわ〜。これ、ないわ〜)

 さすがにこの白塗りペテン師野郎を、翼に紹介するのには抵抗があった。

「まぁ、異世界から来た魔王がハンバーガーショップで店長になる時代だし〜、某ブラックな居酒屋あたりに放り込んでおけば、元は取れるかもしれないわね〜。過労死でもしてくれれば、賠償金も貰えそうだし〜」

 こんな感じで、翔香のまるで契約者みたい合理的判断により、頼輔は難波家で引き取られることとなった。


「時に母殿」

「なんですか? 麻呂さん」

「麻呂は母殿の夫となる訳でおじゃるな? ということは夜伽なんかは……。デュフフフ」

 頼輔はデへデへと好色な顔をつくる。「頼輔ちゃんのエロ顔キモッ!」「生理的に無理!」と貴族の間でも有名であった。

「う〜ん、そうねぇ〜。じゃあ、大人のプロレスごっこでもしましょうか〜?」

 翔香が笑顔のまま頼輔に近づき、彼の背後から手を伸ばす。

「のほほほ〜。積極的でおじゃるな。――って、あばばばばっ!」

 そして案の定、頼輔は関節を極められ、悲鳴を漏らした。モノの見事に決まったコブラツイストである。

「あ〜、言い忘れてたけど、うちのお母さん。現役女子プロレスラーだから」

「うごごごっ! それがなんだか分からぬでおじゃるが、とにかく咲殿が麻呂に仕掛けてきた技が伏線になっていたことだけは分かったでおじゃる〜!」

 頼輔は陸に上げられた深海魚みたいな表情で喘いだ。無論、顔のキモさも加速する。

「ひぃいいっ! く、苦しい。……あれ、ここはどこでおじゃるか? 彼岸花が綺麗でおじゃるなぁ。川の向こうにいるのは、去年亡くなった叔母殿ではおじゃらんか〜」

 そこで頼輔の意識はなくなり、気がついたら朝になっていた。


「はぁ〜」

 頼輔は公園でブランコに乗りながら、深いため息をついた。

「はぅ。まさか面接で落ちるなんて、母殿になんと言えばよいでおじゃろうか? つーか、この世界の女子共は強すぎるでおじゃるよ。鬼の血でも入っておじゃらんか?」

 某ブラック居酒屋でバイトの面接を受けた頼輔だったが、「うちはブラック居酒屋なの。白塗りは必要ないの」と断られてしまったのだ。

 頼輔は生まれついての公家である。なので、生まれつき白塗りだった。生まれついての顔を変えることなどできない。

 じゃあ、顔を黒く塗ればいいじゃん、と勘のいい読者ならば気づくであろう。

 ……そのアイデアいいじゃん。ほら、みんな大声を出して、頼輔にそのアイデアを伝えるんだ!

「はぁ〜。困ったでおじゃる。麻呂は高貴すぎて雅でおじゃるので、下賤の者共は雇ってくれないでおじゃるよ」

 残念。君たちのアイデアは頼輔に届かなかったみたいだ。

「おろ? あれは蹴鞠ではおじゃらんか?」

 公園のグラウンドでは、数人の子供たちがサッカーをしていた。うずうずと体の中に熱い火が灯り、頼輔は彼らの元へと近づいていく。

 あまり知られていないが、蹴鞠にはいくつかの種類がある。一番よく知られているのが、一度も地面につけずに蹴り上げる、サッカーでいうリフティングのような競技だろう。

 実はそれ以外にもあり、ボールを取り合うドリブル勝負。六人ずつに分かれ、柱の上の輪っかに鞠を入れると得点になる、今のサッカーに極めて近い競技もあったりするのだ。

「うおっ! なんか気持ち悪い白塗りがこっち見てるぜ」

「ヤバい人じゃない? 警察に連絡しようよ」

 頼輔の姿に気づいた子供たちが、怯えたような視線を向けてくる。

「童たちよ。そう怯えるでないでおじゃる。麻呂は確かに高貴な身分で、お主たちが気軽に話しかけてよい者ではないでおじゃるが、なんかもう色々あって慣れたでおじゃる。苦しゅうない。麻呂も仲間に入れてくれでおじゃる」

 頼輔は優しげな笑みを浮かべて言った。だがその顔もヤバイくらいに気持ち悪かった。

「え? 嫌だよ」

「あっち行けよ。変態!」

「ムッキーッ! マジ酷いでおじゃる! こんな頭が悪そうな童にまでコケにされて、麻呂は傷ついたでおじゃるッ!」

 色々と鬱憤が溜まっていた頼輔は、相手が子供だということも相まって、憤るままに突進していった。そしてあっさりとボールを奪い取る。

「ほっ、鞠よりも硬いでおじゃるが、この足に掛かる感触、懐かしいでおじゃる」

「ああっ! ボールを取られた!」

「何やってんだよっ!」

 ボールを取られた子供たちは、躍起になって頼輔からボールを奪い返そうとする。けれども頼輔は足で巧みにボールを操り、子供たちの間をすり抜けていく。

「うおっ! この白塗り速いよ」

「ちょろちょろと素早い!」

「何やってんだよ! 両側から挟み込めッ!」

 全部で八人の子供たちがボールを奪おうと押し寄せてくるが、誰一人としてボールに触れることはできなかった。

「のほほほほ〜。未熟でおじゃるぅ。おじゃる、おじゃる。その程度の動きで麻呂からボールを奪うなんて、百年早いでおじゃるよ〜。――べばッ!」

 上機嫌でボールをドリブルしていた頼輔は、唐突に地面とキスをする。セカンドキスは、土の感触がした。

 子供の一人が、頼輔の袴の裾を掴んでコケさせたのだ。

「ぺっ、ぺっ、ぺっ! な、何をするでおじゃるかっ!」

「うるさい! そんな変な格好しているお前が悪いんだ!」

「や〜い、や〜い! アホ白塗り。悔しかったらボールを取り返してみろ!」

 子供に挑発され、頼輔は頬がピーチ色になった。まるで恋する乙女のような色遣いだ。子供たちは本能的に貞操の危機を覚える。

「うげっ、気持ち悪い」

「うわわ〜ん、お母さん」

 中にはPTSDになった子供もいた。

 頼輔は変態の形相のまま、子供たちを追いかける。そしてボールを奪おうとするが、再び地面に顔を叩きつけることとなった。何度も何度も。

「うが〜! 卑怯でおじゃる!」

 子供たちが事あるごとに、袴の裾を引っ張って妨害してくるのだ。ビターン、ビターンと顔をグラウンドに打ち付け、今なら某ブラック居酒屋も雇ってくれそうな感じになった。

「ううっ! 麻呂をコケにしおって、でおじゃる〜! このドチビクソがっ!」

 本気で切れた頼輔は、ボールのことなど忘れて、猛獣の如く子供たちに襲いかかった。


「麻呂の奴、ちゃんとバイトに受かったかなぁ〜」

 咲は自転車を漕ぎながら不安を口にした。

 彼女は今、サッカー部のロードワークに自転車で参加し、疲れ気味の部員を励ます役をしている。実際なんの役に立つか分からない仕事だが、サッカー部っぽいという理由で容認されていた。

「なんだかんだ言って、拾ってきた手前、捨てるのも忍びないんだよなぁ〜。野垂れ死にでもされたら気分悪いし」

 そんな咲の耳に、子供たちの悲鳴が聞こえてくる。反射的にその方向を見た。

「待て待て〜、でおじゃるっ!」

「うわ〜ん、ママ助けてっ!」

 頼輔が子供たちを襲っていた。

 ――ガン!

 思わず目を奪われてしまった先は、ブレーキをかける間もなく、電柱に激突した。


「大変だ! マネージャーが電柱に激突したぞ!」

 部員の声を聞き、先頭を走るサッカー部主将の青空翼は、後ろを振り返って叫んだ。

「どのマネージャーだ?」

「難波です。難波が電柱とぶつかりました!」

 部員の返事を聞いて、翼はさっと青ざめる。

「なんだと? ぶ、無事なのか? 電柱はっ!」

 翼は、部員たちが損傷具合を確かめている電柱まで駆け寄った。

「ぶ、無事です。当たりが浅かったみたいで」

「そ、そうか。よかった。電柱を破壊したら、賠償金で部費が消えるところだった。……はっ、そういえば――」

 翼はきょろきょろとあたりを見回して、そこで頭を押さえる咲を発見する。

「じ、自転車は無事か?」

 今度は自転車に走り寄って、その無事を確認した。少ない部費で購入した物品である。そうそう替えが効くモノではない。

「よかった。無事みたいだ」

 翼はほっと胸を撫で下ろした。ほかの部員たちも、「よかった」と安堵の息を漏らしている。

「――おい」

 咲がゆらりと幽鬼のように立ち上がった。

「花の女子高生が電柱に激突して、心配するのはそっちのほうかよ?」

「「ひ、ひぃいい〜! 主将ぉ〜」」

 部員たちは涙目になり、翼に助けを求めた。

「む? なんだ?」

 自転車に夢中になっていた翼は、初めて咲に注意を向ける。

「ふええ〜ん、翼先輩。咲、頭ぶつけて痛いです〜。『痛いの痛いの飛んでいけ〜』してくださ〜い」

 咲はか弱い少女を演じてみせた。恋する乙女の本能が、翼の前で歪な女子力を発揮させる咲を造り上げるのだ。人はそれを詐欺と呼ぶ。

「おお、そうだな」

 言って、翼は自転車と電柱に、痛いの痛いの飛んでいけ〜をする。

「あ、あの、先輩。そっちじゃなくて、痛いのは私のほうなんですけど?」

「はははは。咲くんはおもしろいな。僕の知っている咲くんは、電柱に激突したくらいで痛がったりはしないよ」

 キランと歯を光らせて翼は言い放つ。イケメン力全開の笑顔だった。

「そ、そうですよね〜。えへへ」

 咲は舌を出して、こつんと自分の頭を叩いた。

「……主将は相変わらずだな」

「あの天然ぶり。一歩間違えば、難波に殺されるぞ」

「聞いてるこっちがドキドキするぜ」

 部員たちはひそひそ声で、笑い合う翼と咲を見守っていた。


「うえ〜ん、助けて!」

 そんな彼らの耳にも、子供たちの悲鳴が聞こえてきた。

「む! なんだアレは? 子供たちが白塗りのおっさんに襲われているぞ」

 翼が頼輔の存在に遅ればせながら気づく。咲は視線を逸らして「そうですね〜」とやる気のない相づちを打った。

 やべぇな、と咲は内心で焦った。あの白塗りと知り合いだとバレたら、もう何をするか自分でも分からない。主にあの白塗りに対して。

「みんな、あの白塗りから子供たちを守るぞ! さぁ、咲くんもっ! 危険だから女子マネージャは下がっていろ!」

「え? 翼先輩、私も女子マネージャーですけど? あれ?」

「はははは。僕の知ってる咲くんは、熊にも素手で挑むような女の子だよ。ほかのマネージャーとは違う、特別な女の子なんだ」

(と、特別!)

 咲はどくんと胸が高鳴った。涎があふれ出て、思わずにやけてしまう。

「ふふっ。ふへへへへへへ〜」

「ほ、褒めてないよな?」

「ああ」

 ほかの部員たちは、恐る恐るといった感じで突っ込みを入れた。

「おろ? そこにいるのは咲殿ではおじゃらんか?」

 咲の姿に気づいた頼輔が声をかけてきた。

「む? あの白塗り、咲くんの名前を呼んでいるみたいだが、君の知り合いなのか?」

「え? 違いますよ。なに言ってるんですか、翼先輩。うふふふ、ふふのふ」

 咲は数日ほったらかした餅のように固くなった表情で、それを否定する。

「お〜い、咲殿。難波咲殿〜。麻呂でおじゃるよ。奇遇でおじゃるな〜」

「しかし、あの白塗り。咲くんのフルネームを叫びながら、両手を振って、ぴょんぴょん飛び跳ねているみたいだが?」

「嫌ですよ〜。先輩の見間違いですって〜」

 咲は自分の口の端が痙攣するのを止められなかった。

(ああ、もうあいつ。絶対に、○してやろう)

 追い詰められた咲は、翼の後ろを指さして大声をあげる。

「あーっ! 先輩見てください! ムーンウォークするロドリゲスですっ!」

「な、なんだと!」

「どっせいッ!」

 咲は翼がきょろきょろしている隙に、自分に近づいてくる頼輔に向かって自転車を投げつけた。

「……おろ?」

 不意を突かれた頼輔の顔に、車輪がめり込む。彼の唇は、再びゴムに奪われてしまったのだ。

「むう、どこにもいないじゃないか。……はっ!」

 そこで翼は、自転車を顔面に受けて悶絶する白塗りに気づく。

「くっ! 自転車がっ!」

 翼は頼輔に駆け寄って自転車の安否を確かめるが、車輪がひん曲がっていた。

「誰がこんな酷いことを!」

 悲痛な声で、翼が叫んだ。

「東西先輩と、南北先輩です」

 咲がさらりと嘘をつく。名指しされた東西と南北は、慌てて否定をはじめた。そんな二人に対して咲は、本性の一部を垣間見せる。

「……先輩、わかっていますよね?」

 この瞬間、二人の先輩たちは、入院するか自転車を弁償するかの選択を迫られた。


「つーか、あんた。あんなところで何してたのよ?」

 あの後、警察に連れていかれた頼輔は、巡り巡って再び難波家にやってきていた。

 テーブルをコツコツと不機嫌そうに叩く咲。彼女の見下ろす先には、頼輔がシュンと項垂れたまま正座している。

「一緒に蹴鞠をしようとしていただけでおじゃる。それなのに、あの童たちときたら……」

 グチグチと話す頼輔の話を聞いて、咲は事情を把握する。ついでにバイトの面接に落ちたことも知った。これはアレかな。九州にいるおじいちゃんに頼んで、フグでも送ってもらって、処理していないそれをうっかり麻呂が食べてしまうシナリオかな、と想像する。

 そんな時だ。ピンポーン、とインターフォンが鳴った。

「おろ? なんの音でおじゃるか?」

「いい。絶対に出て来ないでね」

 言い放って、咲は玄関へと向かう。そこで咲は、予想だにしていなかった人物と出会った。

「やあ、咲くん。夜分、申し訳ない」

 そこに立っていたのは、サッカー部の主将で咲の想い人、青空翼だった。


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