表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/4

その1 麻呂、現代に現る!

(おろ? ここはどこでおじゃるか?)

 難波頼輔は、円らな瞳をぱちくりとさせた。白塗りの顔に真っ赤な唇、頭には鳥帽子、体には神主が着るような直衣を纏っている。

(奇妙な風景でおじゃる。鬼の世界にでも迷い込んでしまったでおじゃるか?)

 頼輔が戸惑っているのには訳があった。彼は正真正銘、平安時代の公家であり、先ほどまで庭先で得意の蹴鞠を楽しんでいたのだ。

 けれども雷に撃たれたようなショックを全身に感じた瞬間、意識が飛んでしまっていた。そして気がつくと、彼の知る世界とは似ても似つかぬ場所にいたのである。

 鉄筋コンクリートのビルが立ち並び、平に舗装された道路には、車が勢いよく走っていた。つまりは現代。

「これ、そこの者。ここはどこでおじゃるか? やけに賑やかでおじゃるが、今日は祭りの日でおじゃるか?」

 頼輔は目の前を歩く二組の男女に声をかけた。

「うお、何アイツ?」

「コスプレじゃない。まじキモイ」

 ケラケラと笑いながら、二人は頼輔の問いに答えることなく去っていく。

「……おろ?」

 頼輔は状況を理解するのに若干時間を要した。まさか無視されるとは思わなかったのである。それは彼の人生において、一度も経験したことのない無礼な態度であった。

「な、なんでおじゃるか? 彼奴らは! ぷんぷん!」

 怒りで顔が真っ赤になる。いや、元が白塗りなのでどちらかと言えば、ピーチ色だった。

「出会え、出会え!」

 頼輔は頬をピーチ色に染めて叫ぶが、従者の者たち姿を見せない。

 彼のその姿は、「残った、残った」と叫ぶ行司よろしく、「出会え、出会え」と叫ぶ恋の行司のようであった。

「どうして誰も来ぬでおじゃるか? ううっ、もしかして麻呂、嫌われておるでおじゃるか」

 頼輔は悲しい気持ちになった。

「ま、いいか、でおじゃる」

 そしてすぐに復活する。頼輔は貴族の間でも、「頼輔ちゃん打たれ強っ!」と有名だった。

 気を取り直して今度は、一人で歩く女性に声をかける。

「そこのお主。麻呂の質問に答えるでおじゃる」

 けれども女性は、まるで頼輔の声が聞こえないかのように無視をする。だが体が避けていることから、彼の存在に気づいていることは明らかだ。

「ムッキーッ! 無視するなでおじゃる!」

「きゃっ! 何をするんです!」

 頼輔が腕を掴むと、彼女は大声を張り上げた。そして頼輔の腕を捻じると共に、腹パンを数発喰らわせる。

「ふぐっ!」

 くぐもった声をあげ、血走った目が飛び出す頼輔の顔を、彼女のバッグが殴打した。見事な連続コンボである。頼輔は堪らずひっくり返り、アスファルトの上で悶絶する。

「痛いでおじゃる。もろ目玉に当たったでおじゃる!」

 やがて頼輔は、さめざめと泣きはじめた。路上に横向きで寝っ転がったまま膝を抱え、アスファルトの窪みを指でほじほじする。

「ううっ、酷い目に遭ったでおじゃる。親父にだって、ぶたれたことないでおじゃるのに〜」

 そんな頼輔を、人々はまるで路上に落ちている犬の糞のように避けて通っていく。

「むう、麻呂は怒ったでおじゃる。屈辱でおじゃる!」

 むっくと起き上がると、頼輔は道路を走る車の前に飛び出した。

「そこの奇妙な形をした牛車。停まるでおじゃる! 麻呂を乗せて――」

 けれども車は急には停まれない。甲高いブレキーキ音が鳴り響き、あっさりと頼輔を撥ね飛ばした。

「ぴぎゃーっ!」

 更に対向車にも弾き飛ばされる。

「のっひょーっ!」

 宙を飛翔する頼輔は、相撲取りのような体型の女性の、股の下へとジャストフィットする。

「きゃあ〜ん、痴漢んんんっ!」

 やけにシナをつくった野太い悲鳴が聞こえた。

「証拠写真、証拠写真」

 太った女はパシャパシャと写真を撮ると、それをツイッターに投稿する。

「女の敵っ!」

 次に太った女は、頼輔の上に飛び乗るようにしてヒップアタックを喰らわせた。

「ふごっ!」

 車に轢かれても無事だった頼輔の体が、ぼきぼきと不気味な音を響かせる。

「写真、写真」

 太った女性は、ピクピクと痙攣する頼輔を再び写真に収めると、「痴漢撃退なう」と文章を添えて、それをツイッターで拡散させた。

「痴漢が怖くて、おちおち街も歩けないわ」

 太った女はわざと周囲に聞こえるように大声で言うと、地面を揺らしながら立ち去っていく。

「うう。あな痛し。もう無理ぽ。誰か麻呂を助けてくれる者はおらぬでおじゃるか?」

 頼輔はしくしくと泣いた。仰向けで滝のような涙を流す彼を、前からやってきた自転車が轢いていく。白塗りの顔に、くっきりと車輪の跡が残る。ファーストキスはゴムの味がした。

「もしもし、おたく何してんの?」

 そんな頼輔に、紺色と黒の服を着た二人組の男が話しかけてきた。


「で、おたく名前は?」

「難波頼輔でおじゃる?」

「仕事は?」

「帝にお仕えしているでおじゃる」

 頼輔は警察署に連れてこられていた。出された牛丼が美味しくて、頼輔は上機嫌になっていた。

「麻呂からも質問でおじゃる。ここはどこで、さっきの牛なしの牛車はなんでおじゃるか? マジ死ぬかと思ったでおじゃる」

「あー、はいはい。まずはこっちの質問からね。それに答えたら、ちゃんと教えるから。な?」

 頼輔は頷いて、警察の質問に素直に答える。貴族の間でも、「頼輔ちゃんは素直で良い子ね」と評判だった。

「つまりおたくは、平安時代からタイムスリップしてきた公家で、蹴鞠と和歌が得意。好きな女性のタイプは小野小町と。そういうことね?」

「そうでおじゃる。あとこの牛丼とやらも追加してよいでおじゃるか? とても美味でおじゃる。褒めてつかわす」

「おかわり禁止」

 頼輔は警官に拒否され、ショックのあまり恨めしそうな表情となった。

「っていうか、そんな怨霊みたいな顔しても駄目。白塗りでただでさえ気持ち悪いんだから。警察がドンブリ奢るなんてフィクションなの。おたくが腹減ったっていうから、その牛丼は俺が自腹で食わせてんの。わかる?」

「麻呂、お腹空いたでおじゃルン」

 頼輔は箸を口に咥えて、うるうるしてみせた。

「うっわー、マジでキモイわ」

 警察官は頼輔をパシャパシャとスマホで撮ると、『閲覧注意。キモイと思った人は、リツイート』と書いて、ツイッターに投稿する。

「先輩、その人の身元わかりましたよ」

 別の警官が取調室に入ってきた。

「三年前に失踪届けが出ている行方不明者と名前が一致しました。娘さんと連絡がついて、今から迎えに来るそうです」

「よかったな。娘さんが迎えに来るってよ。牛丼だけじゃなく、美味いもん食わせてもらえ」

「麻呂は帰れるでおじゃるか? この世界には麻呂の従者の者はいないと思っておったでおじゃるが? まあ、牛丼食えるなら、よしとするでおじゃる」


「すいません、父が迷惑をかけたそうで」

 難波咲が頭を下げるたびに、彼女のサイドテールがピコピコと揺れる。高校から帰宅してすぐに、父が見つかったと電話をもらったため、制服のままで警察署にやってきていた。

「自分は平安時代からタイムスリップしてきた貴族だって言ってるけど、気にしないで。失踪する人にはよくある症状だから。暇なときにちゃんと病院に連れていってあげてね」

「は、はぁ。重ね重ね申し訳ありません」

 咲は警官に連れられ取調室に入ると、そこに珍妙な格好をした白塗りの男がいるのを見る。軽くショックだったが、同時に熱いモノが込み上げてきた。

「お父さん! 本当に心配したんだからね。三年間もいったいどこを――って、あれ?」

 咲は固まった。まじまじと白塗りの男を見る。

「どうしました?」

 動きを止めた先を不審に思ってか、警官が尋ねてくる。

「あ、いえ……。うちのお父さん、こんな顔だったかなって」

「もう三年も会ってないんでしょ? 記憶が曖昧になってても仕方ないんじゃない?」

「そ、そうですよね。でも、お父さんはもう少し丸々としていたような……」

「今まで何していたかは不明だけど、痩せるには十分だと思うよ」

「そ、そうですよね。でもお父さんは、もう少し色が黒かったような……」

「色黒も何も、白塗りだから分かんないでしょ? 顔洗ったら元に戻るんじゃない?」

「そ、そうですよね? せっかく捜して頂いたのに、申し訳ありません」

 咲はぺこりと頭を下げて、頼輔に詰め寄った。

「さあ、お父さん。家に帰るわよ」

「むう、やけに態度がでかい小娘でおじゃるな。まあよい。麻呂は貴族の間でも『頼輔ちゃん寛容だね。あと無駄に適応能力高え』と言われていたでおじゃる。帰ってやるから、牛丼食わせるでおじゃる」

「――は?(怒)」

 咲は半眼になると、無言で頼輔の座る椅子を蹴飛ばした。そして、ひっくり返る彼の両足を持つと、彼の股間に右足を突き入れる。その右足が高速でバイブレートを奏でた。

「三年振りに会って、第一声がまずそれかぁああああああっっ!」

「うぴょおおおおおおおっっ! 玉が潰れるでおじゃるぅううっ! 今まで受けたことのない刺激ぃいいいっっ! あな痛しぃいいいッ!」

「おお、見事な電気アンマですね。先輩」

「俺が子供の頃は流行っていたが、今の平成の時代にも受け継ぐ者がいたとはなぁ。写真、写真」

 二人の警官はうっとりとした表情で、それを眺めていた。


 咲は頼輔を連れて自宅に戻っていた。

「――まったく、なんでそんな格好をしてるのよ。恥掻いたじゃない」

 咲は帰り道での、変人を見るような周囲の視線を思い出し、頭を抱えた。

 いや、確かに頼輔は変人の格好をしているのだが、それとセットで見られてしまったことが許せない。着替えを持ってくるべきだったと後悔する。

「まあ、帰る途中に知り合いに会わなかったことが、せめてもの救いよね」

 咲が力なく呟くと、彼女のスマホが鳴った。

『この白塗り誰?』

 頼輔を連れて歩く咲の姿が、LINEで拡散されていた。

「いやぁあああああああっっ!」

 咲は四つん這いになって、さめざめと泣いた。明日学校で、みんなに会うことを想像すると、それだけで胃がきりきりと痛む。

「おい、お主。犬のような格好で吠えておらずに、麻呂にはよ牛丼を食べさせるでおじゃる」

「――誰のせいでこうなったと思ってんのよ」

 咲が幽鬼の如くゆらりと立ち上がる。怒りのオーラが陽炎の如く立ち昇っていた。

「ご、ごめんでおじゃる。すまんでおじゃる。ぼ、暴力反対でおじゃる!」

 頼輔は速攻で謝った。頼輔の学習能力の高さは貴族の間でも折り紙付だ。

「牛丼、牛丼って。あんたはキン○マンかぁっ!」

 咲は頼輔を逆さにして、肩で担ぎ上げるようにすると、ソファの上から彼の両足を掴んだまま飛び降りる。

「キン肉バ○ターっっ!」

「うぎゃあああああああっっ!」


「麻呂はな、公家でおじゃるよ。高貴な身分でおじゃるぞ。それなのにこんな扱い、酷くないでおじゃるか?」

 頼輔はしくしくと泣いていた。フローリングに横わたりながら、ゴミを拾っては指で弾いている。

「いい加減、その平安貴族設定やめてよね」

 咲はため息をつきながら、頼輔が横たわる居間に入ってきた。直衣を着替えさせるために、今まで父の服を捜していたのだが、どこにも見当たらなかったのだ。

 そういえば母である翔香が、「たぶん、帰ってこない気がするわ〜」と言って、父の服などを全部捨てたのを思い出す。

「とりあえず、その白塗りだけでも落とさなくちゃね」

 言って咲は、頼輔の顔を濡れたタオルで擦りはじめた。

「痛っ! ちょ、あな痛し。力強すぎでおじゃらんか?」

「――って、何よ、この白塗り。ぜんぜん落ちないじゃないっ! なんで?」

「そりゃ、麻呂は生まれついての公家でおじゃるから」

「何よ、それ。意味わかんない!」

 ムキになった咲は、さらにごしごしと力を入れて擦り上げる。

「痛っ、痛っ! ちょ、やばいでおじゃる。あちっ、あちっ、おばばばぁあああっっ!」

 刹那、頼輔の頭が火を噴いた。

「な、なに? これが怪奇現象で有名な人体自然発火?」

「あち、あちっ! どこが自然発火でおじゃるか? お主のせいであろう? 明らかに人為的でおじゃる! うおっ! 今度こそ死ぬでおじゃる。ファイヤーでおじゃるぅうう!」

 と、そのとき。誰かがシンクに栓をして、猛烈な勢いで水を貯めはじめた。次に炎を上げる頼輔を掴むと、シンクの中に頭から放り込む。シューという音と共に、周囲に白煙が広がった。

「咲ちゃん。室内で火遊びは危険だって教えたでしょ?」

 ほんわかした声が室内に響く。けれどもその奥底からは、抗い難い威圧感がビシビシと放たれていた。

 黒焦げになって、更には水責めに遭って、死にそうになっている頼輔の首根っこを掴んでいるのは、いつの間にか帰宅していた難波翔香だった。

「ごめんなさい。お母さん」

「大事に至らなかったからいいけど、今度から注意しましょうねぇ」

「あ、そうだ。メールは見た? お父さんが見つかったの」

「見たわよ。ごめんなさいね。仕事中で迎えに行けなくて。でね、咲ちゃん。一つ質問なんだけど」

 翔香は頼輔をフローリングに放り投げると、彼を足で突きながら言った。

「このおっさん、誰?」

「――――え?」

 咲は間抜けな声を漏らした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ