ニコ編 前⑥ もう一つ増やされました (改訂版)
その後、幼いベリルくんの前だろうと駄々をこねまくった私に領主さまが一枚の紙を見せる。溜息付きで。
「……読めそうか?」
「…………いえ、全く」
「ニコ、これがこの世界の文字なのだが」
……ぐっ。会話で意思疎通ができるのにどうして文字は読めないんですか!?
脳内変換機能を付けてくれるならこっちだって何とかしておいて下さいよ神さまッ!!
得意科目が音楽と家庭科(調理実習のみ)でそれ以外は赤点常習犯のおバカさんに、一から勉強させたら何年かかると思っているんですか!?
イヤだーーッ!! もう勉強したくないよぉっ!
「……文字が読めずとも違和感なく出来る職か。あるにはあるが」
「ホントですか!? ならそれでいいです! お仕事しながら文字の勉強もするので!」
「うわ。自分から飛び込んでいった……」
え? ちょっとロードくん? それどういう意味ですか?
あとその可哀そうな子を見る目はなんですか。ニコちゃんが可哀そうなのは脳ミソの造りだけですよ?
「文字の勉強と練習も同時にできる」
「そうっすね! それに自分からやりたいって言うんだから仕方ないっすよね!」
「そうだな」
いやいやいや。待って下さい。二人だけで納得して私を置いてけぼりにしないで下さいよ。
私のことなのに本人が何一つ理解してませんよ!?
説明を求める私に領主さまが真剣な顔つきで言いました。
「おめでとう、ニコ。今このときより、オマエは見習い魔声士だ」
「やっぱ歌姫って秘密を隠すんなら魔声士が最適だよな! 木を隠すなら森の中ってやつ?」
…………はい?
「それはまた急なお話でしたね……」
シャロンさんの苦笑混じりの「お疲れさまにございます」という労わりの言葉に、苦手な裁縫を乗り切った身体がだらしなくテーブルの上に雪崩れ込む。
指先のテープ――絆創膏のようなもの――なんて見えませーん。刺しまくった記憶も知りませーん。シュシュには血がついてないからいいんですぅ。
ただいま領主さまの仕事部屋からベリルくんのお部屋に移動し、お姉ちゃんのへの手紙を中に隠す作業が終わっての愚痴タイムです。
「他のはって言ってもやっぱり文字が読めないと難しいの一点張りで! そりゃ、私は勉強苦手ですし覚えも悪いですけど、時間をかければ文字くらい!」
「そうですね。微力ながら私もお手伝いさせていただきますので、カルセドニさまとロードさまを驚かせて差し上げましょう、ニコさま」
「シャロンさんだけが味方だーっ!!」
午前中の出来事をシャロンさんに愚痴りまくって少しだけスッキリしました。
サッと出された冷たい飲み物も飲んでいったん落ち着きましょう。
というか、シャロンさん仕事早いっすね。もうテーブルの上が片付けられてお菓子まで準備されてますよ。
「…………ベルも、ニコのみかた……」
「ベリルくんッ!!」
なんて優しい子!
ついでに「……う」とお菓子まで差し出して慰めてくれるなんて! 感激で涙が出てしまいそう!
でもそのお菓子はベリルくんの分だからちゃんと自分で食べようね。
はぁ。この優しさをどこかの領主さまとワンコくんに見習ってほしいですよ!
あ、思い出したらまたムシャクシャしてきた。
「お世話になる身でワガママを言うのは良くないって分かってますけど、それにしたって強引ですよ! 選択肢があるようでなかった!」
「徹底して道を塞がれてしまったのですね」
「そうなんです!」
シャロンさんが迎えにきてくれるまで散々ロードくんたちの前で「イヤです! もっと平和な職を下さい!」って騒いでいたんですよ。だって魔声士って歌うのが仕事なんだから楽譜読めなきゃダメじゃん! なら文字が読めない私はムリじゃん! きゃっほーい!! て思ったのに……。
――曲の内容は口頭でも教えられる。
――てか、耳で覚えるモンだから読めないニコには最適。
――見習い魔声士でいて歌姫かバレないか、か。バレないだろう。
――『神の声』使わなきゃいいんだし。それにニコは魔力練るのヘタだったから当分一人じゃ使えねーって。安心しろ。
だってェェェェエッ!!
逃げ道ない! 皆無!
見習い魔声士に決定したのだって領主さまかたのほぼ強制じゃないですか! 職権乱用です!
しかもしかも領主さまときたら!
――見習い魔声士と兼業でかまわないのだが、ベリルの世話係りにもなってもらいたい。給金は弾むぞ。
とか追加してくるしィィィイッ!!
というか、そっちの方って私よりも先に確認しなきゃいけない子がいるじゃないですか!
「お給料がどうとかじゃなくてさっ! そんな大切なことはベリルくん本人の意見を聞いて、なおかつ私の職が決まる前に誘って下さいって話なのにッ!!」
「では、辞退なされたのですか?」
「いいえ! どっちもやります!」
「さすがでございますわ、ニコさま」
にこやかに微笑んで空のカップにおかわりを注ぐシャロンさん。鼻歌でも歌いだしそうなくらいに動作が軽やかです。そんなに嬉しいですか。
ぶっちゃけ私はとても微妙です。
魔声士の仕事はもちろんですが、ベリルくんのお世話係りの件については『領主さま』にではなく『ベリルくんのお兄ちゃん』に物申したいんです。
……でも時間がなかったから「……分かりましたッ!」以外全然言えませんでした。多忙過ぎじゃないですか、お兄さん。
それに対する気持ちが不完全燃焼で不満もタラタラ。取り繕う気力もなしにブスッとしていると。
「ニコさま、よろしければベリルさまのお世話係りをお受けした理由をお聞かせ下さいませんか?」
シャロンさんの穏やかな問いかけの声に、隣で美味しそうにお菓子を頬張っているベリルくんへ視線を移した。
パクパクと早いペースでお菓子を食べていくベリルくん。真ん中にジャムが乗っているクッキーが特に好きらしいことは口に含んだときの垂れた目尻だけで十分に分かる。
たまに目が合うと、小さな手でクッキーを掴みながら私に食べてみてと進めてくる。
クッキーを受け取って食べてみせるとキラキラした瞳で感想を待っていた。
「美味しいね!」
「……う! ベル、これスキ……」
やっぱり。私も好きです。メッチャ美味い!
口の周りについた食べカスを取ってあげながら、昨日出会ったばかりのこの可愛らしい幼児の特徴を、今まで遊びに行っていた保育園の園児たちから学んだ性格と当てはめて整理する。
ベリルくんは口数こそ少ないけど、自分の思ったことはちゃんと言葉にする子だ。
大人しくて感情表現が苦手のように見えるけど、ベリルくんなりに要所で静かな主張をしている。
これが本当に苦手な子は一貫してとても静かで、人の輪の端にいようとしていた場合が多かったと思う。
だけどベリルくんはそうじゃない。
私の服を放さなかったり、一緒に過ごした時間が多いメイドさんたちよりもポッと出の私を選んだり、お兄さんである領主さまが呼べばとても嬉しそうに傍へ寄る。
好きなことにはその気持ちに忠実な印象が強いんです。
……なのに。
「ベリルくんが領主さまの前では大人し過ぎるのが気になったんです」
「大人しい、でございますか?」
「はい。ベリルくんくらいの子ならもう少し自分に素直な行動を取ります。たとえば、お兄さんと一緒にご飯を食べたいや遊んでほしい、こっちを見てほしいとかです」
ベリルくんは昨日から一度も私と領主さまたちの会話を遮らなかったんです。
普通、同じ年頃の子供なら暇を持て余して構ってほしいと訴えてくるのに。
それにベリルくんは幼い内にお母さんを亡くしています。寂しさを理解し切れなくても無意識に代わりの温もりを求める行動をしていておかしくないはずなんです。
お父さんにことは分かりませんが、おそらく唯一の身内であるお兄さんにほとんどベッタリしないって不思議じゃないですか?
私ならどんなときも泣いて離れるのを嫌がりますよ。実際、やった経験がありますし。
領主さまがいない、私やシャロンさん、ロードくんといるときだけ素直に気持ちを伝えてくるのは反動のような気がするんです。
「ホントは甘えたいのに甘えるのを我慢しているのかなって。あれ? って思ったのは昨日の夕食のときなんですけど、領主さまが一人だけ早く食べ終わって部屋に戻る姿を何も言わずに寂しそうに見送っていたから、何かしてあげられないのかなって」
「だからお引き受けになられたのですね」
「でも同情じゃないんです。たしかに私にも似たような経験があるからベリルくんの寂しさは分かります。だけど、それをただ寂しいねって言って傍にいるのは何か違う気がするんです。まだ具体的には思い付かないんですが、同じ寂しさを知っているならソレと上手に付き合う方法や我慢せずに甘えてもいい瞬間を教えてあげたい、もっと領主さまと自然にいられるように手伝ってあげたいって思って。……あれ? やっぱりこれって同情でしょうか」
「ニコさまが思うだけで行動に移されなければ同情になるのでしょう。ですが、ベリルさまを想い、ともに寂しさと向き合って行動なされるのならばそれは同情ではなくニコさまの優しさの表れになるのだと思います」
「優しさ、ですか」
「はい。同情とは哀れむこと同じだと私は考えております。哀れみの中には無意識であろうと優劣の差を理解している部分が僅かながら含まれていると思います。可哀そうと思うのは自分が相手よりも恵まれた位置にいるからこそ思うのです。可哀そうだからその場限りで何かを施すという行動もその延長であり、根本の解決には決して手を出さない上辺だけのもので、」
「――つまり、解決策を考え行動にも移してなおかつ結果も出せば、それは上辺だけの空っぽな想いではなく、情に溢れた実りある想いになると。そう言いたいのかな、シャロンちゃんは?」
「ッ!?」
ビックリしたぁっ!!
口から何か出るかと思った!
「驚かせないで下さいよッ! ジェードさんッ!!」
「アハハ。ごめんごめん。とても興味深い話が聞こえたものだからついね」
いつの間にそこにいたのか。
扉に寄り掛かりながら片手をヒラヒラ振っていた爽やか笑顔のジェードさんがこっちに向かって歩いてくる。
どの辺から盗み聞いていたんですか、この人。
ジロッと批難の視線を投げつけてみましたが、あの笑顔にあっさり流されました。ちくせう。
「準備ができたようだね」
「あ!」
実はお姉ちゃんの件は私の準備が終わり次第、ジェードさんをシュシュの受け取りと捜索を担当する、でまとまったんでした。
どうしてジェードさんなのかは本人に訊いてほしいとのこと。
そう話を終わらせたときの領主さまとロードくんの表情が苦いものだったので、おそらくロクな理由ではないんでしょう。
これは私の方からもジェードさんに釘を刺しておかねばいけませんね。
「うん。個性的だけど可愛らしい出来だよ」
どうせ縫い目ガタガタですよ!
勝手に取ったかと思えば、何でなんですか! まったく。お世辞なんていりませんよ!
「それでいいんですー! 一発で私が縫ったって分かりますから。ついでに元通りキレイにしてほしいって書きましたし」
「それならこの髪飾りと一緒に裁縫道具も借りていこうかな。本人かどうか調べる材料にもなるからね。いいかな、シャロンちゃん?」
「はい」
なるほど。自分が異世界人だって嘘をつく人もいるかもしれないよね。
お姉ちゃんを愛してやまないニコちゃんならマイスイートシスターの縫い目かどうか一発で分かりますよ!
ああ、そういえばこの爽やかお兄さんに訊きたいことがありました。
「どうしてジェードさんが行くんですか?」
するとジェードさん。今までで一番良いお顔でクスリと笑って。
「運命を感じたからだよ」
はい?
うんめい?
領主さまとロードくんが男の子だと間違えたあのお姉ちゃんに?
というか二人が間違えたんならジェードさんだってお姉ちゃんを間違えていたんじゃ。
「……えっと、どの辺に?」
「戦う姿と殺気溢れる気迫に」
……ニコちゃん、このお兄さんが何を言っているのか分からないよ。
つまりは漢らしいお姉ちゃんの姿が気に入ってしまったということでいいんでしょうか。
…………え、それっていいの? ホントに? マジで?
気になる。とても気になる。さっちゃんがソレ系の薄い本を売り買い・制作もしていたから抵抗はありませんし、むしろ野次馬根性がムクムクしてきます。
うん、とにかく気になるわ。よし、失礼かもしれないけど訊いてみよう。
「…………ジェードさんは同性もいける人なんですか」
「あの子ならそれもありだね。それ以外の野郎は死んでもごめんだよ」
……大変だよ、お姉ちゃん。
さっちゃんの同類さん――変態――がお姉ちゃんを捕獲しに行くってッ!! 逃げてェェェェエッ!!