卵はおいしい
ツァリィの巣は横穴式で、斜面や切り立った土壁などを掘って作られる。
そして巣の周辺で彼らは生活をし、餌となる者達を集団で狩るのだ。
故に、一匹見つけたらその周辺に巣があると見て、そこからは慎重に探索を行う必要がある。仲間を呼び寄せられては適わない。
しかしながら、今回の主旨においては最終的に必ず戦闘を行わなければならない。巣の中に入り、気付かれずに卵を回収し撤退するのは不可能に近いからだ。
もっとも、隠密の達人であれば可能かもしれないが、今回そういった技能を持っている者はいない。
巣に常駐しているツァリィは7,8匹のため、迅速に全滅させ、狩りをしに巣から出て行っているツァリィが戻ってこないうちに卵を入手し逃走―――。
「とまあ、ざっと言ってこんな感じの流れになる」
「ふぅん…?」
ダンツェから馬で数時間ほどに位置する山――キルマ山。
そこの麓まで馬車でやってきたアルトは、共にやってきたユーリへこれからの行軍の大雑把な流れを説明していた。
二人の装備は対照的で、重と軽、それぞれその一文字で表すことができるだろう。
アルトは重、火竜の皮をベースに魔鉱石で覆われた赤と銀の鎧。
ユーリは軽、市販されていたツァリィの皮装備一式、青の皮鎧。
初めはもっとちゃんとした装備を買い揃えようとしていたそうだが、作るのにも時間がかかる上、仕事で時間があまり取れないのでこの装備にしたそうだ。
「その巣っていうのはどのくらいのところにあるものなのかしら」
「中腹あたりに多いな。どことは言い切れないがそういう傾向が強い」
もっとも麓にあったり頂上にあるケースもないことはないが――と補足説明を行い、再度注意をする。
道中とは違い、ここから先は全て魔物の巣だと思って行動するように、と。
○▼◇
キルマ山の特色は、危険度の低さである。と、ダンツェにて掃除屋をしている者たちは口を揃えて言うだろう。
竜種はツァリィしか存在せず、基本的に危険度の低い生物しかいない。毒を持っているものもいないことはないが、茸や草であるし口にさえ含まなければ問題はない。そう、口にさえ含まなければ。
だから――
「その辺のもん口に入れるのはやめてもらえませんかね…?」
「ふぁむ?」
後ろを振り返ると、道中生えていた草を口に含んでいるユーリの姿があった。
見たところ毒草ではないようであるが、もし毒であったらどうするつもりなのだろうか。
「大丈夫よ、これでも鑑定士だし。毒があるかどうかくらいわかるわ」
「……寄り道せずにちゃんと着いてきてくれ」
アルトはいつ魔物が現れてもいいよう常に武装である片手剣、そして盾を構えている。いつ現れるかも分からない手前、しっかりと警戒をしなければならないためだ。だが、それはユーリが後ろを着いてきていることを前提としている。
「寄り道してこその遠足じゃない」
「…せめて声をかけてからにしてくれ」
「はいはい」
○▲◇
「あ、あれおいしそう。取ってよ」
「…あれいまいちだぞ?」
ユーリが指差す先には、木に生っている一つの実があった。拳大の淡い紫色をしたそれは、ミズラの実と云い、正直なところ美味とは云えず、渋い。
「別にいいじゃないの。記念よ記念。あとついでにメインディッシュの前菜ってとこね」
「…………」
はぁ、と隣に聞こえない程度にため息を吐き、実の生っている根本を注視する。
頭上4mほどに位置するそれを落とすべく、イメージを形成していく。
イメージするのは薄空の刃、実の根本に透明な薄い刃を創造する。
魔法とはイメージがものを云う。理論があった方が効果が上がるだと言う頭でっかち連中のことなど知ったことではない。己の信仰を、己の感覚を元に組み上げる方が効果的だ。そう思うことこそが最大の武器だと信じている。
故に、形成した薄空の刃を、己が信仰のままに落とす―――。
「ほいっと」
落ちてきた実を軽くキャッチし、瞳を輝かせているユーリへと放り投げる。
「わわっ」
実の状態は割と綺麗で、特に鳥に食われたような形跡はないように見える。
そしてユーリはそれにかぶりつき―――むせた。
「げほっ、ぐっへ――――――しぶっ!?」
「いやだから言ったのに……」
口に含んだ部分をぺっぺと吐き出す姿を視界の端に捉えながら、辺りに気を配る。予想が正しければおそらく、このあたりに巣があるはずである。
「うへえ……口直ししたい……」
しかし、彼女――ユーリは存外体力があるな、と思う。
もう大分歩いている上に、足元も安定していない。こんな状況でよくもまぁ、ここまで元気でいられるものだ。
「まぁ、そろそろメインディッシュにありつけるだろうから待て」
時々後ろに目を送りながら、歩みを再開し、探索を行う。
「もうそろそろ?」
「さっきのあれ――ミズラはツァリィも食べるんだよ。あいつら基本肉食だけど、たまに果物とか草も食うからな」
あの実が一つしか生っていなかったのは、ツァリィが食べたからであろう。つまるところ、つい先ほどまでいたあの木のあたりはツァリィの捕食域であるということになる。
「木も高かったし、あんなところに生ってるのを取るのはこの山ではツァリィだけ……だと思う」
あまり目立ってはいなかったが、ツァリィが木に駆け登ったときについたであろう傷も存在していた。もっとも、単に別の猛獣が縄張りのための傷を刻み、鳥が実を啄んだという可能性もなきにしも非ずであるが――傷の大きさ、深さ、形状からしてツァリィのそれだと、勘が云っている。
「どうせなら断言してほしいもんだけど……何がいいかしらね、目玉焼き? 卵焼き? ゆで卵? オムレツ……はちょっと無理そうね……」
「そういうのは後で考えてくれ」
「えー」
○▲◇
「あら、ほんとにあったわね」
「だろう?」
しばし経ったころ、立って歩けそうにないほど急な斜面を見つけた。ツァリィはそういったところに巣を作る傾向が強いため、そのあたりを捜索していると案の定、巣が見つかった。ツァリィの出入りも確認したため間違いない。
「結局見つからなくて山頂付近まで探しに行くパターンだと思ってたわ」
「それはない」
苦笑し返答をしながらも、巣の動向に注目しつつ、周囲へ気を配ることを忘れない。一か所のみしか見ない奴は奇襲をされて死ぬ、この業界での―――自然界での常識だ。
「ふむ……」
「行かないの?」
「まあ待て」
チラリ、と視線を隣で身を屈めているユーリへと向ける。
彼女を中に連れて行くべきかどうか、少しの間悩む。中に連れていけばツァリィが密集している分危険で、外で待機させると目が届かないところで別の魔物に襲われる危険性となる。
「ま、着いてこい。下手に動くなよ」
「はーい」
ツァリィは群れているとは云え、所詮は最弱の名を冠する竜だ。変に外へ置くよりも、中で守りながら戦う方がいいだろう。
そうと決まれば、
「行きますか」
「おー」
身を潜めていた藪から出、盾と剣を左右の手にそれぞれ構えて突撃する。
ここまで来れば潜むことに意味などない。どうせ巣に入れば必然的に見つかるのだから。
「ライトニング」
巣窟の入り口付近で門番のように待ち構えていた一体を雷魔法で怯ませ、右の手に握った直剣を首筋に振り下ろす。
グギャッと呻き声を上げながら絶命したソレに目もくれず、火炎のイメージを練り上げる。
巣の内部は日の光もあまり届かず、あまり内部の状況が掴めない。故に、把握するための明かりを、そして同時に敵を滅ぼす炎を創造する。先ほど起こしたような雷や光でもよいのだが、雷では一瞬しか明るくならならず、光を直接生むのは単純にアルトが得手としないため非効率であるゆえ、炎を生む。
「ファイア―――バーニング」
イメージを触発するため語句を頭から適当に引っ張り出し、唱える。
それは火炎。たき火へと手を差し入れ、炎のもたらす痛みと熱を身体に刻んだ日々を思い出し―――創造する。
そして生まれたのは火球。アルトの前方に生まれたそれは巣窟内を照らし、彼に状況を伝える役割と―――
「グギャッ」
巣穴に侵入してきた彼を排除しようと近づいてきた、一体のツァリィを迎撃する役割を果たした。
燃え盛る仲間に目もくれず続々とアルトの下へとやってきたツァリィの総数はおよそ10。想定より若干多くはあったが、問題の無い範囲だ。
アルトの背後2mあたりに存在するユーリの方へ決して逃がさないように盾を用い、奥へと押しやる。
幸い、アルトがいるのは巣穴の入り口付近であるため、道が狭くアルトが立っているだけでツァリィが奥へと行くだけのスペースは失われる。アルトにも迂闊に動けなくなるというデメリットは生まれるが、あちらからやって来るのであれば盾で防ぎ、魔法で迎撃すればよい。
「ライトニング」
そして巣穴が崩れ落ちてしまわぬよう手加減をすることも忘れずに、盾で奥へと押しやったツァリィへと電撃を叩き込む。
「ライトニング」
雷系統は彼がもっとも得意とする魔法であるが、手加減をしていることと、奴らが密集していることにより攻撃が分散されたこともあり絶命させることは適わなかった。
が、
「ライトニング」
怯んだ敵に追い打ちをかけぬ理由などなく、続けて雷撃が叩き込まれる。
雷撃のイメージを形成するのに、炎のイメージは邪魔でしかなかったのですでに巣窟を照らしていた明かりは消え失せている。 魔法はイメージが欠けてしまうとその形を保てなくなるのだ。もっとも魔法で生んだ火を種に着火をすることは可能であるが、今回種になるものは存在しなかったため、地面を焦がすだけに留まった。
「ライトニング」
そうして奥にいたため無事であったツァリィが再びやってくる。明かりはすでに失われているため、ツァリィの正確な位置を知ることはできないがあちらから近づいて来るのであればそんなことを考える必要もない。雷撃を生んだ際に明るくなる、その一瞬があれば十分である。
「ライトニング」
そうして獲物に再度雷撃を叩き込み、
「ライトニング」
止めを刺す。
「ふむん―――ファイア」
目に映る外敵は認識しうる範囲内ですべて倒れ、生きているものもいないことはないが瀕死状態―――弱弱しくうめき声を出すだけしかもうできないようである。
しかしこの暗所では、しかも護衛対象がいるこの場では一片の見落としもあってはならない。
故に光源となる火球を前方1mほどのところに生み出し、あたりを照らす。
「終わったの? 大丈夫?」
「大丈夫だ。まだ来るなよ」
「はいはい」
雰囲気から終わったことを察したのか、ユーリはひょこっと顔を出し、安否を尋ねる。いまにも入ってきそうな、興味津々そうな顔をした彼女を制して、アルトは火球を操作して周りを照らし、安全の確認する。
もともと大して広いわけでもない巣は、明かりさえあれば十分に見渡せるようになっている。そして今回の目的物は―――
「あった」
一番奥に存在した。
ツァリィは別段、陰に潜んでいたということもなく、先ほど襲いかかってきたのが全部であったらしい。
そして入り口付近に集中しているツァリィの死体・瀕死体を足で押しのけ、安全な道を作る。
「もういいぞ」
「やたっ!」
ひょいっと軽くステップしながら、ユーリはアルトの元へとやってくる。その途中、脇に除けられたツァリィを見て、立ち止まる。
「触るなよ、危ねえから」
「……ん」
ユーリは多少不満げな顔をしたものの、瀕死であろうとも魔物が危険だと云うことは理解しているようで、一定の距離を保ってその場を離れる。
そして彼女の目はアルトの傍にある目的物―――ツァリィの卵へと注がれ、一気に輝きを取り戻した。
「やー、やっぱり天然物は違うわねぇ。魔力の質が違うわ、質が」
「あー、らしいな」
理由はわかっていないのだが、魔力の宿る素材――媒体は自然界に存在するものの方が媒体中に存在する魔力密度が高いらしい。そして魔力濃度が高い方が効果は高い。それゆえ鑑定士などという職業が存在するのだが。
「うむむ、これ全部持って帰るの無理かしら」
「まぁ、せいぜい三,四個だろ」
色褪せ、生気が失われている草々のクッションの上に六つの卵が置かれていた。少しくすんだ乳白色をしたそれは楕円形をしており、全長40cmと云ったところだろうか。
卵を入れるためのカバンは持ってきてあるが、六つも入るサイズではないし、無理やり入れてしまうと卵が割れてしまう可能性がある。
「とりあえず出ましょうか」
「へいへい」
るんるんと小躍りでもしそうな様子で、ユーリはカバンにそーっと卵を入れてゆく。ツァリィの卵はそれなりの強度を有しているのでもっと雑に扱っても割れはしないのだが、そこは気分によるものなのだろうか。一つ一つ丁寧に取り扱っている。
「ふんふふーん」
アルトは鼻歌を交えながら作業を行う彼女の姿を後ろに立って、そういえば現地で食べたいと言っていたがどこで食べるつもりなのだろうか、とそんなことを思っていた。
「とりあえずお仕事は終了かな…?」
「何言ってるの。山頂で食べて、それまでは終わりじゃないわよ」
「は? 山頂で? マジですか?」
そろそろ日も暮れる上、まだここは中腹だ。彼女は元気なように振る舞っているが実際は疲労困憊であろうし、そんな状況でさらに登るなど正気の沙汰ではない。
「マジに決まってるじゃない。特別にあなたも食べてもいいから」
「そりゃどうも」
今回の依頼はあくまで彼女に卵を食べさせることにあるので、アルトは食べる権利を持たないのだ。
しかしそんな権利はいらないから早く下山したい、と思うものだ。彼女は行く気満々であるようだが、なんとかして説得できないものだろうか。
彼女との言い争いを想像し、アルトは深いため息を吐いた。
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―――
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「あれ…? なにこれ」
男は仕事から帰宅し、食卓に並んでいる妻の作った料理を見て怪訝な声を上げた。
「なにって、卵尽くし?」
「うん、これそんな名前なのね」
「見たままでわかりやすいでしょ?」
「うんそうね」
男は嘆息を吐きながら、改めて料理を注視した。
卵焼き、ゆで卵、目玉焼き、スクランブルエッグ、オムレツなど卵料理がテーブルを埋め尽くしていた。当然のようにその他のものは存在せず、パンすらも置いていない。
「どったの? これ」
「なにって、忘れたの?」
「うん?」
男は首を捻った。
正直、心当たりは――――ある。
だがしかし、それとこの卵尽くしとが結びつかなかったための質問だったのだが……。
「今日、俺らの結婚記念日だよな」
「なんだ、覚えてるんじゃない。そうよ、私たちが結婚してから丁度一年目」
女は朗らかに笑い、男に手を洗って席に着くように言った。
「いや、にしたってなんで卵…?」
彼女は健啖家で、食べることが大好きだ。
故に今日の食卓には高級で華やかな料理が多く並べられると思っていたのだが。
「やあねぇ」
女はひらひらと手を振り、こう言った。
「だって卵は、私とあなたが初めて一緒に食べたものじゃない」