第7話 禁魔庁局長、プレッツェルに結ばれる
禁魔結界が解けた翌朝、ルーカスはあえて魔法に手を伸ばさなかった。
今日は“結ぶ”日だ。小麦の紐を伸ばし、くるりと交差させ、結び目を作る。
「……プレッツェル。塩は粗め」
ミーナが首をかしげる。
「なんか、和平の形っぽいですね」
「ただのパンだ。こじつけるな」
ルーカスは鍋で湯を沸かし、重曹を溶かす。生地をさっと潜らせると、表面がきゅっと締まり、焼けば艶が出る——魔法より地味で、魔法より確実な手間だ。
鈴が鳴った。
昨日の青年監査官が、今日は背筋を二倍固くして入ってきた。後ろには、銀の徽章が眩しい壮年の男。目が冷たい。笑わない顔だ。
「禁魔庁監査局長、ユリウスだ」
「……で?」
ルーカスは生地を結びながら答える。
「貴様の店は禁忌級魔法の“転用”が疑われる。定期監査として、半径百メートルの禁魔結界を——」
ミーナが青ざめた。
「また!?」
局長が淡々と床へ刻印を打つ。空気が“すん”と沈み、魔力が消えた。
同時に、店内の別の温度も上がる。
魔王グラディオと聖騎士セラフィナが、貼り紙も見ずに入ってきたのだ。
「今日の新作は」
「……結び目?」
二人は棚ではなく、結ばれた生地を凝視した。
「監査中だ。魔法は使えん」
局長が言うと、魔王が低く唸る。
「貴様……我の朝を」
聖騎士も静かに拳を握る。
「秩序を乱すなら——」
「粉が舞う」
ルーカスが言った瞬間、二人はピタリと止まった。学習済みだ。腹が立つほどに。
局長は鼻で笑う。
「さあ、どうする。“ただのパン屋”よ」
「ただのパン屋だ」
ルーカスは鍋から生地を引き上げ、粗塩を散らし、薪の火で窯を起こした。魔法がなくても、火は火だ。
焼き始めると、結び目の隙間から香りが立ち、表面が飴色に艶めく。店内が一瞬、静かに飲み込まれる。
その静けさを狙ったように、行列の端で誰かが囁いた。
「今なら……魔法が使えない」
次の瞬間、フードの刺客が二人、袖から刃を滑らせた。狙いは局長——ではない。焼き台の上、プレッツェルの天板だ。
「新作は我ら反停戦派が回収する!」
「……理由が軽いな」
ルーカスはため息をつき、まな板を持ち上げた。
「外でやれ。粉が舞う」
刺客が踏み込む。
しかし魔王が肩を掴み、聖騎士が足を払った。禁魔結界の中でも、二人は“ただ強い”。刺客は床を転がり、ルーカスのデコピンでまとめて店外へ飛ばされた。きっちり百メートル先の空き地へ。
局長の眉が、初めて僅かに動いた。
「……魔法なしで、この秩序を」
「パン屋だからな」
ルーカスは窯を開け、艶のあるプレッツェルを並べた。硬そうで、噛めばふわっと戻る“ふわもち”。香ばしさと塩気が、舌の上でほどける。
魔王が一口かじり、目を見開く。
「この結び……我が軍と貴様の団が——」
聖騎士も頷く。
「結び目は誓約の象徴。つまり——」
「こじつけるな。食え」
ルーカスが遮ると、二人は黙って噛んだ。結果、黙るので平和だ。
局長も一つ受け取り、渋々かじった。
数秒、沈黙。
そして彼は、胸ポケットから許可証の紙を出し、無言で判を押した。
「……営業継続を認める。条件は一つ。月一回、禁魔結界で味が落ちないこと」
「面倒だな」
「だが……次回、私も列に並ぶ」
ミーナが満面の笑みで鐘を鳴らした。
「局長さん、常連入りでーす! 武装解除・私服・行列、守ってくださいねー!」
こうして、禁魔庁すら結び目に絡め取られ、今日も焼きたてのために世界は静かになる。




