第44話 世界同時焼き計画、始動
朝、ベーカリー・エデンのカウンターが“会議室”になっていた。
紙、地図、印章、通信石。
パン屋の机に置いていい種類のものじゃない。
「店で政治をするな」
ルーカスが言うと、ユリウスが淡々と返した。
「政治ではない。防災だ」
「言い換えるな。冷める」
偽合図網。
そしてレオンの告白——《無音籠》。
敵は“合図・香り・味・音”を奪い、列を崩して世界に恐怖を流す。
なら対抗は一つ。**同時に焼く**。
どこか一つが潰れても、別の町で焼けていれば列は残る。象徴は分散する。
ミーナが黒板に大きく書いた。
《世界同時焼き計画》
字が強い。ちょっと怖い。
「……名前が大げさだ」
「大げさなくらいが伝わります!」
「伝わると人が来る」
「来ると焼きます!」
魔王グラディオが椅子を引き、腕を組んだ。
「同時に焼けば、同時に腹が落ち着く。戦争より効くな」
聖騎士セラフィナが頷く。
「“その日だけは争わない”という合図になります」
竜王は面白そうに言う。
「余の谷でもやる。低音合図も添える」
レオンが小さく手を挙げた。
「……無音籠が出ても、視覚合図を統一すれば崩れにくいです」
「よし」
ルーカスは短く言った。
「焼くパンは一つに統一する。簡単で、失敗しても食えるやつ」
本日の新作——ではない。**世界の基礎**。
“基本の丸パン”。
粉、水、塩、酵母(種でも可)。油も砂糖もいらない。
必要なのは、火と待つ気持ちと、列の作法。
ルーカスは紙に書いた。
《同時焼き:共通仕様》
・丸パン(手のひらサイズ)
・一人一個(配給列は別枠)
・合図は二重化(鐘+低音/窯鳴り+旗)
・無音時は旗(赤=開始、青=配給、白=停止)
・列の三つのルール(武装解除・割り込み禁止・喧嘩禁止)
「旗まで……」
ミーナが目を丸くする。
「無音籠が来ても、色は奪えない」
ルーカスが言う。
「奪えるものを前提にするな」
ユリウスが地図に印を打つ。
王都。中立商都。竜の谷。聖都。沿岸の港町。避難民の集まる関所。
そして——ラスト・リゾート。
「同時刻は?」
ユリウスが聞く。
「焼ける時間だ」
ルーカスは答える。
「昼にする。腹が一番荒れる前に落ち着かせる」
魔王が鼻で笑った。
「昼に腹を落ち着かせれば、午後の戦は減る」
聖騎士が真顔で頷く。
「救護も回ります」
竜王が低く笑う。
「余は風で旗を鳴らす」
「旗は鳴らない」
「鳴らす」
ミーナが鐘を持ち上げ、言った。
「じゃあ……合図はこれで始めましょう。今日は予行演習!」
「予行とか言うな」
「予行です!」
開店前。平和通りに旗が立った。
赤、青、白。
村長が勝手に支柱を作っていて腹が立つ。税の匂いがする。
ルーカスは窯に丸パンを入れ、火を見た。
魔法は使わない。ここで失敗したら、世界が真似できない。
焼き上がり。
パチッ、と小さく皮が鳴る。
ミーナが赤旗を上げ、鐘を一回鳴らした。チリン。
竜王が響き石を二回叩く。ゴン、ゴン。
上書き合図、成立。
列が静かに動く。
避難民の子が丸パンを受け取り、すぐにかじった。
バリッ、ではない。もっちり。素朴。
でも、温かい。
「……これでいい」
ルーカスが呟く。
「派手じゃなくていい。毎日続けられるのが強い」
その瞬間、通信石が一斉に光った。
王都から、聖都から、港町から。
同じ報告が飛び込んでくる。
『旗を用意した』
『列の授業を始めた』
『合図責任者を決めた』
『丸パン、焼けた』
店の中に、少しだけ静かな熱が広がった。
象徴が、分散していく音だ。
レオンが小さく言った。
「……禁味は“無音”で支配する。なら同時焼きは、“同時に生活を鳴らす”作戦です」
「言い方だけは格好いいな」
「すみません……」
ルーカスは天板を拭き、次の生地を丸めた。
世界同時焼き。
それは戦争を止める大作戦じゃない。
ただ、各地で“焼きたてを守る作法”を同じ日に確認する、生活の行事だ。
そして、いつもの一言で締めた。
「パンが冷めるぞ」




