第35話 鐘の分け方と、世界の“合図”屋さん
朝、平和通りの入口に見慣れない屋台が立っていた。
板に書かれた文字は、妙に達筆だ。
《合図屋 開店》
《鐘・鈴・窯鳴りの相談承ります》
「……誰だ」
ルーカスが眉間にしわを寄せると、屋台の奥から村長ボルドが顔を出した。
「税収だ」
「それは理由にならない」
「なる。すでに注文が来ている。遠方の町からな」
「やめろ」
「やめない」
ミーナが紙束を抱え、嬉しそうに走ってくる。
「ルーカスさん! 昨日書いた《鐘の分け方》、反響すごいです! “うちも合図が欲しい”って!」
「欲しがるな。作れ」
「だから作り方を教えるんです!」
カウンターの上には、木片、鉄片、陶器の小片、紐、釘。完全に工作室だ。
元禁味庁の青年レオンはエプロン姿で、真剣に金属を磨いていた。
「……これ、鐘の舌の形に似せると音が安定します」
「詳しいな」
「禁味の頃、音を消す装置も見ていたので……逆が分かります」
「悲しい経歴だな」
鈴。
魔王グラディオが入ってきて、屋台を見て鼻で笑った。
「合図屋とは……貴様ら、ついに商売を覚えたか」
聖騎士セラフィナは真顔で頷く。
「秩序のための合図は、公共の利益になります」
竜王は面白そうに笑う。
「余の谷にも“合図”が欲しい。風に負けぬやつだ」
ユリウスは紙を広げて言う。
「条例案:合図の設置基準」
「条文化するな」
ルーカスは即座に言った。
「冷める」
今日は焼き仕事と並行で、“合図”の相談が入る。
一軒目の客は、隣村のパン屋。
「うちは鐘を鳴らすと子どもが走ってきて、列が崩れる。どうすればいい?」
ミーナが頷く。
「じゃあ鐘じゃなくて“窯鳴り”にしましょう。焼き割れの音を合図に!」
「どうやって?」
ルーカスが渋々答える。
「蒸気。切れ目。温度。……鳴るパンを焼け」
「それ、難しくない?」
「難しい。だから列が守られる」
二軒目は、避難民が流れ着いた町の代表。
「配給に並べない人が暴れる。合図があれば落ち着くか?」
ルーカスは短く言った。
「合図だけじゃ足りない。列の三つのルールも教えろ」
ミーナが黒板に書く。
《武装解除・割り込み禁止・喧嘩禁止》
代表が深く頭を下げた。
「持ち帰ります」
三軒目は、竜王。
「余の谷は風が強い。鐘が鳴りすぎてうるさい」
「鳴りすぎるのも駄目だ」
ルーカスは真顔で言う。
「合図は“安心”のため。過剰は“焦り”になる」
レオンが小声で提案した。
「……谷なら、鐘より“低い音”がいい。風に負けにくい」
竜王が目を細める。
「貴様、分かる」
「声が小さいので……」
「誇るな」
そんな感じで、店が“合図相談所”になっていく。
ルーカスは胃を押さえた。面倒が増えてる。確実に増えてる。
――その面倒を、さらに増やすのが村長だ。
ボルドが紙を掲げた。
《合図屋 支店計画(案)》
「やめろ」
「支店ではない。出張だ」
「同じだ」
「税収だ」
「それも同じだ」
ミーナが慌てて紙を隠す。
「村長さん! 支店はルーカスさんが死にます!」
「死ねば税は——」
「言うな!」
そこへ、窯の中でパンが鳴った。
パチッ。
今日の新作――チャバタの焼き割れの音。
香りが立ち、列が静かに動く。
合図があるだけで、人は落ち着ける。
その事実が、世界に伝わっていく。
ルーカスは焼き上がりを見て、静かに言った。
「……合図屋は、店じゃない。作法屋だ」
「名言っぽい!」
「言ってない」
魔王がぼそりと呟く。
「貴様、結局“世界を整える”のが得意なのでは」
「違う」
ルーカスは即答した。
「俺はパン屋だ。……パンが冷めるぞ」
そして今日も、鐘より先に、焼き割れの音が鳴った。
それが遠くの町へ届く日は、もう近い。




