第31話 合格証が通行証になる日と、層になるクロワッサン
卒業式の翌朝、ベーカリー・エデンの前に——また列ができていた。
昨日の列より、目が“欲”に寄っている。嫌な予感しかしない。
「……何が増えた」
ルーカスが窓から覗くと、ミーナが紙を握って青ざめていた。
「ルーカスさん……“合格証”、闇市場に出てます」
「は?」
紙には雑な写しが貼られている。
《平和通り卒業証 明日から国境で通る(らしい)》
最悪の噂だ。焼き印の次はこれか。
カウンターの向こうで、元禁味庁の青年(仮スタッフ)が皿を落としかけて固まっていた。
「……すみません。あの手の“制度の悪用”、禁味の常套です」
「声が小さいのは偉い」
「はい……!」
鈴。
魔王グラディオが入ってくるなり、貼り紙を見て眉を吊り上げた。
「紙が通行証だと? ならば戦争より安い」
聖騎士セラフィナも真顔で頷く。
「公平が壊れます。卒業証は“作法の証明”であって、特権ではありません」
竜王が鼻を鳴らす。
「余の谷でも、札が増えると詐欺が増える」
ユリウスは既に法令っぽい紙を取り出していた。
「“卒業証の転売禁止”を条文化する」
「条文化するな」
ルーカスは即座に言った。
「冷める」
今日の新作はクロワッサン。
層が命。折って、休ませて、また折って。焦るとバターが逃げて、層が死ぬ。
——そして今の状況に一番合う。層があるほど、嘘が混ざりやすい。
「……層は丁寧に作る。人間関係も同じだ」
「名言っぽい!」
「言ってない」
開店前、ミーナが黒板を出した。嫌な予感その二。
《本日のお知らせ:合格証は“紙”では配りません》
「どういうこと?」
列がざわつく。闇市場の男がニヤついた。
「紙じゃないなら、価値が上がるだけだな」
ルーカスはため息をつき、焼き台を指した。
「……今日から“食える合格証”だ」
「食える?」
ミーナが鐘を鳴らし、元禁味庁の青年が(今日は名札をつけていた。レオンと書いてある)小さな札を配り始めた。
札は紙ではない。薄いパイ生地だ。手のひらサイズの“証明書”。
表面には、細い格子の焼き模様。普通の焼き印と違って、角度で艶が変わる。
「これ、偽造できないんです!」
ミーナが胸を張る。
「ルーカスさんが窯の熱を〇・一度刻みで揺らして、層の伸びを調整しないと出ない模様なんです!」
「また魔法か」
「魔法じゃないです、変態技術です!」
「言い方!」
闇市場の男が札を奪おうと手を伸ばす。
「そんなもの、焼けばコピーでき——」
「粉が舞う」
ルーカスの低い声で、男の動きが止まった。止まるのが腹立つほど効く。
ルーカスは続けた。
「合格証は“作法が身についてる証明”だ。買った紙や焼いた偽物じゃ意味がない。……食って終わりだ」
レオンが小声で補足する。
「さらに、食べたら証拠が残りません。転売できません」
「お前、賢いな」
「禁味は、隙を探すので……」
「悲しい理由だな」
闇市場の男が焦って叫ぶ。
「じゃあ俺の“本物の紙”はどうなる!」
「食えばいい」
「食えねえ!」
「食えないものを通行証にするな」
ルーカスが言い切った瞬間、魔王と聖騎士が同時に立った。
「邪魔するな」
「列の秩序を乱さないでください」
男は逃げようとしたが、ユリウスが淡々と手錠を鳴らした。
「転売・詐欺未遂。連行」
「くっ……!」
ルーカスは男の額に指を当てた。
「外でやれ」
デコピン一発。男は半径百メートルの外へ飛び、きっちり空き地に転がった。畑は避けた。最近ほんとにうまい。
その間にクロワッサンが焼けた。
香りが立つ。バターの甘さと小麦の温かさ。層がぱり、と割れる音が、列の腹に直接届く。
ミーナが鐘を鳴らす。
「クロワッサン焼き上がりましたー! 合格証(食べるやつ)も一緒にどうぞー!」
列が動く。
卒業生たちは、食べる証明書を受け取り、恥ずかしそうにかじった。
パリッ。
その音が続く限り、紙の噂は力を持てない。
聖騎士が小さく頷く。
「これなら“特権”になりません」
魔王がぼそりと言った。
「……食えば消える特権か。潔い」
竜王が笑う。
「余も噛む」
ユリウスが書き足す。
「“証明は食べるもの”——条文化」
「するな」
ルーカスは即座に言った。
「冷める」
レオンが皿を片付けながら、ぽつりと呟いた。
「……奪うための札じゃなく、守るための作法が残るの、いいですね」
「皿を洗え」
「はい!」
ルーカスは窯の前に戻り、次の生地を折り込んだ。
層は増える。面倒も増える。
でも、噛む音が増えるなら——まあ、許す。
「パンが冷めるぞ」




