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最強の魔導師だった俺、隠居して辺境でパン屋を開く~なぜか伝説の魔王や聖騎士が常連客になってしまい、のんびりできない件について~  作者: 綾瀬蒼
(2)章

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第30話 平和通りの“卒業式”と、焦げ目の証明

 朝、ベーカリー・エデンの前に、また黒板が立っていた。

 《列の授業:本日 最終試験(卒業式)》

 誰が書いた。ミーナだ。字が妙に張り切っている。


「……卒業式?」

「はい!」

 ミーナは胸を張る。

「種を持って帰った人たちが、ちゃんと育てられてるか確認する日です。あと、列の作法が“身についてるか”の確認!」


「店で学校ごっこをするな」

「学校じゃなくて、生活です!」

「言い方だけ立派だな……」


 カウンターでは元禁味庁の青年(仮スタッフ)が、紙の筒を量産していた。

《合格証》と書いてある。

「……お前、それどこで覚えた」

「ミーナさんが……」

「染まるな」

「はい……!」


 鈴。

 魔王グラディオが入り、黒板を見て鼻で笑った。

「卒業式か。貴様ら、世界を幼稚園にする気か」

 聖騎士セラフィナが真顔で頷く。

「作法を学ぶ場は必要です」

 竜王は面白そうに笑う。

「余も卒業する」

 ユリウスは既に書類を広げている。

「“中立地運用の標準化”として、記録する」


「政治にするな」

 ルーカスは即座に遮り、窯へ向かった。

「今日は焦げ目の確認だ。最終試験は、焼きで決まる」


 本日の焼きは“ロールパン”。

 小さく丸め、表面に艶を出し、焼き色を揃える。焦げ目が一つでも乱れれば、焼き手の雑さが出る。

 【禁忌の業火】を……使わない。

 今日は魔法なしで“証明”する日だ。

 薪の火を読み、窯の癖を聞き、指の熱で判断する。

 焦げ目は、嘘をつかない。


 開店前、平和通りには“卒業生”が集まっていた。

 種を持ち帰ったパン屋。避難民の母親。元兵士の青年。隣村の子ども。

 それぞれが小瓶を大事そうに抱え、列に静かに並んでいる。


 ミーナが黒板の前に立った。

「最終試験は簡単です! “並ぶ”“騒がない”“奪わない”。できたら、卒業です!」


「それだけ?」

 元兵士が首をかしげる。

「それが一番難しいんだよ」

 隣村のパン屋が笑う。

 笑いが出ても、列は崩れない。いい兆候だ。


 そのとき、平和通りの端に灰色の影が一つ現れた。

 禁味庁残党——ではない。制服でもない。

 ただ、黒い外套の男が一人。目だけが冷たい。


「……まだ続いていたのか」


 声が静かすぎて、逆にざわつく。

 ユリウスが目を細める。

「禁味庁の——元長官補佐官。まだ逃げていたか」


 男は笑った。

「禁味は失敗した。だが恐怖はまだ使える。列が一つ崩れれば、世界はまた荒れる」

 手を上げる。

 灰色の札が一枚、風に乗って落ちる。小型禁味札だ。狙いは“卒業式の場”。ここで味と香りが消えれば、動揺が映える。


 ミーナが青ざめる。

 元禁味庁の青年が一歩出る。

「やめろ!」


「声がでかい!」

 ルーカスが反射でツッコんだ。こんな時に。


 だが、列が崩れなかった。

 卒業生たちは、札を見ても動かない。

 母親が子どもの肩に手を置き、子どもが頷く。

 元兵士が深呼吸し、最後尾へ一歩下がる。

 隣村のパン屋が、静かに帽子を取り、ただ待つ。


 ——作法が、身についている。


 ルーカスは窯から焼き上がったロールパンを取り出し、棚に並べた。

 香りが戻る。禁味札は落ちたのに、空気は“無表情”にならない。

 札が効いていないのではない。

 効いても、列が乱れないから、恐怖が増幅しない。


 男が眉をひそめる。

「なぜ、怯えない」

 ミーナが震える声で答えた。

「怯えても、並びます。焼きたては、ここで受け取るって決めたから」


 ルーカスが短く言った。

「恐怖は、空腹に勝てない。空腹は、作法で静かになる」


 男が苛立ち、もう一枚札を投げようとした瞬間、魔王が肩を掴んだ。

「卒業式を邪魔するな」

 聖騎士が続ける。

「聖域です」

 竜王は息を吸う。

「余の逃げ場だ」

 ユリウスが手錠を鳴らす。

「逮捕」


 男は抵抗する暇もなく拘束された。

 列は、動かなかった。

 誰も騒がない。

 ――卒業だ。


 ミーナが鐘を鳴らした。

「卒業生のみなさーん! 合格証、配りまーす!」


 元禁味庁の青年が、紙の筒を一人ずつ渡す。

 母親が笑う。子どもが照れる。元兵士が小さく頭を下げる。

 隣村のパン屋が言った。

「この作法、うちの町でも教えるよ」


 ルーカスは窯の火を見つめ、ぼそりと呟いた。

「……勝手に広げろ。支店は作るな」


 そして、焼き上がったロールパンの焦げ目を見て、静かに頷く。

 揃った焼き色は、魔法でも政治でもない。

 ただ、毎日の手の証明だ。


「パンが冷めるぞ」


 卒業式の拍手は起きなかった。

 代わりに、噛む音が一斉に響いた。

 それが、平和通りのいちばん正しい祝福だった。

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