第30話 平和通りの“卒業式”と、焦げ目の証明
朝、ベーカリー・エデンの前に、また黒板が立っていた。
《列の授業:本日 最終試験(卒業式)》
誰が書いた。ミーナだ。字が妙に張り切っている。
「……卒業式?」
「はい!」
ミーナは胸を張る。
「種を持って帰った人たちが、ちゃんと育てられてるか確認する日です。あと、列の作法が“身についてるか”の確認!」
「店で学校ごっこをするな」
「学校じゃなくて、生活です!」
「言い方だけ立派だな……」
カウンターでは元禁味庁の青年(仮スタッフ)が、紙の筒を量産していた。
《合格証》と書いてある。
「……お前、それどこで覚えた」
「ミーナさんが……」
「染まるな」
「はい……!」
鈴。
魔王グラディオが入り、黒板を見て鼻で笑った。
「卒業式か。貴様ら、世界を幼稚園にする気か」
聖騎士セラフィナが真顔で頷く。
「作法を学ぶ場は必要です」
竜王は面白そうに笑う。
「余も卒業する」
ユリウスは既に書類を広げている。
「“中立地運用の標準化”として、記録する」
「政治にするな」
ルーカスは即座に遮り、窯へ向かった。
「今日は焦げ目の確認だ。最終試験は、焼きで決まる」
本日の焼きは“ロールパン”。
小さく丸め、表面に艶を出し、焼き色を揃える。焦げ目が一つでも乱れれば、焼き手の雑さが出る。
【禁忌の業火】を……使わない。
今日は魔法なしで“証明”する日だ。
薪の火を読み、窯の癖を聞き、指の熱で判断する。
焦げ目は、嘘をつかない。
開店前、平和通りには“卒業生”が集まっていた。
種を持ち帰ったパン屋。避難民の母親。元兵士の青年。隣村の子ども。
それぞれが小瓶を大事そうに抱え、列に静かに並んでいる。
ミーナが黒板の前に立った。
「最終試験は簡単です! “並ぶ”“騒がない”“奪わない”。できたら、卒業です!」
「それだけ?」
元兵士が首をかしげる。
「それが一番難しいんだよ」
隣村のパン屋が笑う。
笑いが出ても、列は崩れない。いい兆候だ。
そのとき、平和通りの端に灰色の影が一つ現れた。
禁味庁残党——ではない。制服でもない。
ただ、黒い外套の男が一人。目だけが冷たい。
「……まだ続いていたのか」
声が静かすぎて、逆にざわつく。
ユリウスが目を細める。
「禁味庁の——元長官補佐官。まだ逃げていたか」
男は笑った。
「禁味は失敗した。だが恐怖はまだ使える。列が一つ崩れれば、世界はまた荒れる」
手を上げる。
灰色の札が一枚、風に乗って落ちる。小型禁味札だ。狙いは“卒業式の場”。ここで味と香りが消えれば、動揺が映える。
ミーナが青ざめる。
元禁味庁の青年が一歩出る。
「やめろ!」
「声がでかい!」
ルーカスが反射でツッコんだ。こんな時に。
だが、列が崩れなかった。
卒業生たちは、札を見ても動かない。
母親が子どもの肩に手を置き、子どもが頷く。
元兵士が深呼吸し、最後尾へ一歩下がる。
隣村のパン屋が、静かに帽子を取り、ただ待つ。
——作法が、身についている。
ルーカスは窯から焼き上がったロールパンを取り出し、棚に並べた。
香りが戻る。禁味札は落ちたのに、空気は“無表情”にならない。
札が効いていないのではない。
効いても、列が乱れないから、恐怖が増幅しない。
男が眉をひそめる。
「なぜ、怯えない」
ミーナが震える声で答えた。
「怯えても、並びます。焼きたては、ここで受け取るって決めたから」
ルーカスが短く言った。
「恐怖は、空腹に勝てない。空腹は、作法で静かになる」
男が苛立ち、もう一枚札を投げようとした瞬間、魔王が肩を掴んだ。
「卒業式を邪魔するな」
聖騎士が続ける。
「聖域です」
竜王は息を吸う。
「余の逃げ場だ」
ユリウスが手錠を鳴らす。
「逮捕」
男は抵抗する暇もなく拘束された。
列は、動かなかった。
誰も騒がない。
――卒業だ。
ミーナが鐘を鳴らした。
「卒業生のみなさーん! 合格証、配りまーす!」
元禁味庁の青年が、紙の筒を一人ずつ渡す。
母親が笑う。子どもが照れる。元兵士が小さく頭を下げる。
隣村のパン屋が言った。
「この作法、うちの町でも教えるよ」
ルーカスは窯の火を見つめ、ぼそりと呟いた。
「……勝手に広げろ。支店は作るな」
そして、焼き上がったロールパンの焦げ目を見て、静かに頷く。
揃った焼き色は、魔法でも政治でもない。
ただ、毎日の手の証明だ。
「パンが冷めるぞ」
卒業式の拍手は起きなかった。
代わりに、噛む音が一斉に響いた。
それが、平和通りのいちばん正しい祝福だった。




