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最強の魔導師だった俺、隠居して辺境でパン屋を開く~なぜか伝説の魔王や聖騎士が常連客になってしまい、のんびりできない件について~  作者: 綾瀬蒼
(2)章

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第29話 種の分け前と、列の“授業”

 朝、ベーカリー・エデンのカウンターに、小さな瓶がずらりと並んだ。

 泡の立つ天然酵母の“種”。昨日、ミーナが夜遅くまで分けていたやつだ。


「……増えたな」

「増やしました!」

 ミーナは胸を張る。

「昨日の残り火を見て思ったんです。奪われるから怖いなら、もっと“分けられる”ようにしちゃえばいいって!」


 ルーカスは胃のあたりを押さえた。

 分ける=人が来る。人が来る=面倒が増える。

 だが、もう逃げられない段階まで来ているのも事実だ。


 元禁味庁の青年(仮スタッフ)は、慣れない手つきで札を書いていた。

《本日:種の分け前(希望者に少量)

※条件:列のルールを守れる人》

「字が硬い」

「す、すみません!」

「声がでかい」


 鈴。

 魔王グラディオ、聖騎士セラフィナ、竜王、ユリウスがいつものように入ってくる……が、今日はみんな瓶を見て真顔になった。


「分けるのか」

「公平に……」

「余も……」

「運用手順が必要だな」


「政治をするな」

 ルーカスは即座に言い、窯に向き直った。

「今日は“授業”だ。列の」


「授業?」

 ミーナが目を輝かせる。

「やった! “並び方講座”ですね!」

「講座とか言うな。増える」


 ――増えた。外の行列が、いつもより長い。

 しかも、避難民だけじゃない。隣村のパン屋、遠方の店主、商人、そしてなぜか若い兵士までいる。

 目的は一つ。種。


 ルーカスは開店前に外へ出た。

 平和通りの端に、黒板が立っている。誰が用意した。村長か。腹立つ。

 黒板にはミーナの字でこう書かれていた。


《列の授業:合格した人だけ、種がもらえます》


「……やりすぎだ」

「必要です!」ミーナが即答する。

「昨日、残党が“列を崩して撮る”って言ってたじゃないですか。列が崩れないなら、攻撃が効かない!」


 確かにそうだ。理屈としては。


 ルーカスは黒板の前に立ち、短く言った。

「ルールは三つ。守れない奴は帰れ」


 ざわ、と列が揺れる。

 魔王が腕を組み、聖騎士が背筋を正し、竜王が面白そうに見ている。ユリウスは既にメモを取っている。やめろ。


「一つ。武装解除。私服」

「二つ。割り込み禁止」

「三つ。店の半径百メートルで喧嘩しない」


 当たり前だ。だが当たり前を守るのが一番難しい。


 そこで、わざと問題児が出る。

 若い兵士が腕を組み、列の前へ出ようとした。

「俺は前線帰りだ。早く——」


 ミーナが笑顔で言う。

「不合格です!」

「は?」

「理由:割り込み!」


 兵士が怒鳴りかけた瞬間、魔王が一歩出た。

「列を守れ」

 聖騎士が続ける。

「公平です」

 竜王は低く笑う。

「余の谷なら、割り込んだ者は噛まれる」

 ユリウスが紙を掲げる。

「条例違反。罰金」


 兵士は黙って最後尾へ戻った。

 列が、静かに納得する。

 “強い奴が守るルール”は、案外浸透が早い。腹立つ。


 次に、隣村のパン屋が手を挙げた。

「種をもらったら、店を増やしてもいいのか?」

「支店は作るな」

 ルーカスが即答する。

「自分の店で焼け。お前の町の空気で」


 パン屋は少し考え、頷いた。

「……分かった。自分の窯で育てる」


 それでいい。

 独占じゃなく、文化として育つなら。


 授業の最後に、ルーカスは言った。

「合格者だけ、種を渡す。量は少ない。育てられない奴は返せ。死なせるな」


 厳しい声のはずなのに、列は真剣に頷いた。

 “種”は、味の源であると同時に、責任の塊だからだ。


 開店。

 ミーナが鐘を鳴らし、元禁味庁の青年が瓶を一つずつ手渡していく。


「毎日混ぜてください」

「温度を見てください」

「話しかけ……なくてもいいですけど、すると機嫌が」


 最後の一言で、受け取った人が笑う。

 笑いが増えると、列が崩れない。

 列が崩れないと、禁味の残り火も燃え広がれない。


 ルーカスは窯の前に戻り、今日のパン——シンプルな丸パンを焼いた。

 香りが戻る。焼きたてが戻る。

 そして、焼きたてを守る“作法”も、少しずつ世界に広がっていく。


 ミーナが小声で言った。

「ルーカスさん、授業、成功ですね」

「成功じゃない。面倒が増えただけだ」

「でも、いい面倒です!」

「……それも腹立つ」


 ルーカスは焼き上がったパンを棚に並べ、短く告げる。

「パンが冷めるぞ」

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