第27話 弟子入り願書と、焦げない“最終試験”
休業日の翌朝、ベーカリー・エデンには久しぶりに“普通の匂い”が戻っていた。粉、薪、そして焼ける前の静けさ。
ルーカスは窯の前で腕を組む。
「……今日は甘くしない。食パン、追加。配給が増えた」
三列は相変わらずだが、列の顔つきが少し違う。泣きそうな顔が減り、代わりに“眠そうな顔”が増えた。眠れるなら、ひとまず生きている。
ミーナが鐘を磨きながら言う。
「昨日、種を持って帰った子、ちゃんと混ぜてるかな」
「混ぜなきゃ死ぬ」
「言い方!」
鈴が鳴った。
入ってきたのは、見慣れない青年。灰色の法衣ではないが、どこか禁味庁の匂いが残っている。胸元の徽章を外した跡が、白く残っていた。
「……ルーカス殿」
青年は深々と頭を下げ、紙束を差し出した。
《弟子入り願書》と太字である。
「は?」
ルーカスは紙束を受け取らず、即座に言った。
「帰れ」
青年は顔を上げ、必死の目で言う。
「禁味庁を辞めました。味を奪う側にいたのに……あのフォカッチャの“温かさ”が忘れられない。俺は、奪うんじゃなく作りたい」
「作りたいなら自分で作れ」
「作れません! 俺は……何も知らない!」
後ろで魔王がぼそりと呟く。
「珍しい。素直な弱者だ」
聖騎士が頷く。
「更生の機会は必要です」
竜王は腕を組む。
「余の谷でも、燃やした者が水を運ぶ」
ユリウスが淡々とメモする。
「再就職支援案件だな」
「店で裁判をするな」
ルーカスが遮る。
「冷める」
青年は願書の端を握り潰しそうになりながら言った。
「条件があるなら何でもします! 俺は——」
「条件は一つだ」
ルーカスはようやく青年を見て言った。
「粉を舞わせるな」
青年が固まる。
「……は、はい?」
ミーナがにこやかに補足した。
「つまり最初の試験! “焦げない、粉が舞わない、騒がない”。パン屋の三大禁忌です!」
「禁忌多くないか」
ルーカスはため息をつき、台に小さなボウルを置いた。
「水と粉と塩。混ぜろ。こねるな。混ぜるだけだ。粉を撒き散らしたら不合格」
青年は震える手で粉を入れ、水を注ぎ、恐る恐る混ぜ始めた。
力を入れすぎてボウルが鳴る。
「静かに」
ルーカスの一言で、青年は息を止め、指先だけで混ぜ直す。
粉が吸う音、指が滑る音。店内が妙に静かになる。
魔王が頷いた。
「……意外とできる」
聖騎士が小声で言う。
「努力が見えます」
「食レポ禁止」
ルーカスが言うと、二人は黙った。えらい。腹が立つ。
混ざった生地を見て、ルーカスは短く言った。
「発酵は待て。待てないなら帰れ」
「待ちます!」
青年は即答した。
その声が大きかったので、ミーナが笑顔で肩を叩く。
「声も発酵させてくださーい。静かにね」
やがて生地がふくらみ、窯に入れる。
青年が窯を覗き込み、うっかり顔を近づけすぎて熱でのけぞった。
「焦げるぞ」
「す、すみません!」
焼けたのは、小さな丸パン。見た目は不格好だが、ちゃんと色がついている。
青年が一口かじり、目を見開いた。
「……味が、ある」
当たり前のことを言って、青年は泣きそうな顔で笑った。
ルーカスは願書を受け取り、端に一筆だけ書いた。
《仮採用:皿洗い》
「弟子じゃない。まず皿を洗え」
「はい!」
「声がでかい」
「……はいっ(小声)!」
ミーナが鐘を鳴らす。
「本日も開店でーす! 新しいスタッフ(仮)入りましたー!」
列が動き、噛む音が続く。
ルーカスは窯の火を見ながら、ぼそりと呟いた。
「……奪う側から作る側へ。そういう“種”なら、増えてもいい」
そして、いつもの一言で締めた。
「パンが冷めるぞ」




