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最強の魔導師だった俺、隠居して辺境でパン屋を開く~なぜか伝説の魔王や聖騎士が常連客になってしまい、のんびりできない件について~  作者: 綾瀬蒼
(1)章

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第23話 ミーナの宣言――私が店を守る

 禁味結界の中で迎えた朝は、ひどく静かだった。

 香りがないから静かなのではない。人が、息を潜めている。

 避難民の列は今日も長く、一般の列は短くなった。観光客は減り、代わりに“切羽詰まった人”が増えている。


 ルーカスはフォカッチャの天板を出しながら、ふと思った。

 この静けさは、平和じゃない。――恐怖だ。


 鈴。

 禁味庁の執行官が、昨日より多い人数で入ってきた。六人。隊列が揃い、目が硬い。

 その後ろに、灰色の法衣の上から黒い外套を纏った男が立つ。顔は優しいのに、目が冷たい。


「禁味庁、次官代理。貴店の“中心人物”を連行する」

 男は淡々と告げた。

「香りを奪っても、なお人を集める。これは扇動ではない。……“危険”だ」


 ミーナが息を呑んだ。

 魔王が低く唸る。

 聖騎士の指が震える。

 竜王の影が揺れる。

 ユリウスは紙束を握り潰しそうになった。


「違法だ」

 ユリウスが言う。

「中立地だ。連行には手続きが——」

「恐怖が根拠だ」

 次官代理は昨日と同じ言葉で返した。

「手続きは後で作る。先に押さえる」


 執行官たちが一歩前に出る。

 ルーカスは息を吸った。いつもの言葉が喉まで来る。

 粉が舞う。外でやれ。冷める。

 ――だが、今回は違う。相手は“店の外へ飛ばせば終わる程度”じゃない。連行されれば、店は終わり、配給も止まる。


 ルーカスは、初めて迷った。


 その瞬間、カウンターの向こうからミーナが前に出た。

 小さな体で、執行官の列の前に立つ。


「……やめてください」


 声は震えている。だが、引かない。


「この店は、パン屋です。政治の場じゃない。戦争の道具でもない。……お腹が空いた人が来る場所です」

 次官代理が目を細める。

「君は誰だ」

「看板娘です。ミーナです」


 ミーナは胸の前の小瓶をぎゅっと握った。天然酵母の“種”。第17話から彼女が世話している、小さな泡。

「ルーカスさんがいなくなったら、これも死にます。店も死にます。……人も倒れます」


 執行官が鼻で笑う。

「なら連行して、国の管理下で——」

「無理です」

 ミーナが即答した。

「これは“生き物”です。育てるのは、命令じゃできません。毎日、話しかけて、温度を見て、失敗して、やっと続くんです」


 ルーカスは少しだけ目を見開いた。

 話しかけているのか。あの種に。……やめろ、かわいいだろ。


 次官代理が冷たく言う。

「結局、君も“扇動”の一部だ。なら一緒に——」


「粉が舞うから、やめてください!」


 ミーナの声が、店内に落ちた。

 禁味結界の中でも、その言葉は効いた。

 魔王が笑った。

「言えるではないか」

 聖騎士が頷く。

「立派です」

 竜王は小さく息を吐く。

「余の谷の子らも、こう言えたら燃えなかった」


 ユリウスが一歩前へ出る。

「次官代理。ここで強行すれば、記録は残る。禁味庁は中立地を踏みにじったと世界が知る」

「知ってどうする」

 次官代理は笑う。

「味のない世界で、誰が怒る」


「怒る」

 ルーカスが言った。

 そしてミーナの隣に立つ。


「噛めば分かる。温かさは怒りを呼ぶ。奪われたら、人は必ず取り返しに来る」


 ミーナが一歩前に出て、はっきり言った。


「ルーカスさんを連れていくなら、私が店を守ります」


 次官代理が嘲る。

「君一人で?」

「一人じゃありません」


 ミーナが振り向く。

 配給列の避難民が、ゆっくりと立ち上がる。

 村人が、店の前に並ぶ。

 観光客の残りも、なぜか立つ。

 そして常連たちが、同時に前へ出る。


「この店の静けさを壊すな」

 魔王が低く言う。

「聖域です」

 聖騎士が告げる。

「余の逃げ場を奪うな」

 竜王が息を吸う。

「法はここにある」

 ユリウスが紙を掲げる。


 次官代理は一瞬だけ黙り、舌打ちした。

「……今日は引く。だが長官が来る。次は“店ごと”だ」


 執行官たちは去った。

 扉が閉まる。

 静けさが戻る。だがそれは恐怖ではなく、噛む音の静けさだった。


 ミーナはへたり込みそうになりながら、ルーカスに笑った。

「……守れました?」

「守ったのは俺じゃない」

 ルーカスは短く言った。

「お前だ。……店の方が」


 ミーナは涙を拭い、鐘を鳴らした。


「配給、続けます! 焼きたて、冷める前に!」


 香りのない世界で、店はまだ温かかった。

 そして次は——禁味庁長官が来る。焼きたてを奪うために。

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