第20話 監査ラスクと、裏切り未遂
世界パン会談の翌朝。店の前には、昨日の条文の写しが貼られていた。
《平和通り:中立地(暫定)》
文字が乾く前に、別の紙が重ね貼りされる。
《禁魔庁監査:本日実施》
「……ユリウス」
ルーカスが呼ぶと、禁魔庁局長ユリウスは無表情で入ってきた。背中に封印札の束。胸元の徽章がやけに硬い。
「命令だ。禁味庁が“共同監査”を要求してきた。貴店に装置を——」
言い終える前に、魔王グラディオが椅子を引いた。
「貴様、禁味側につくのか」
聖騎士セラフィナも一歩前へ。
「この店の秩序を壊すなら、敵です」
竜王は静かに息を吸う。吐けば終わるやつだ。
「粉が舞う」
ルーカスの一言で、全員が止まった。止まるのが腹立つ。
ユリウスは淡々と紙を出した。
「私も壊したくない。だから手順が必要だ。……今日は“証明”を作る」
「証明?」
「禁味下でも価値が落ちないことを示せば、禁味庁の主張は弱まる。香りが扇動なら、香り抜きで勝てばいい」
ルーカスは短く息を吐いた。
「……ラスクだな」
昨日の余りバゲットを薄く切り、低温でじっくり乾かす。バターは最小。砂糖も控えめ。狙うのは“香り”じゃない。“音”と“歯応え”だ。
窯の温度を【禁忌の業火】で〇・一度追い込み、最後だけ【時間停止】を一瞬――焼き色が決まる境界で止めて解除する。
鈴が鳴り、禁味庁の巡察官が現れた。例の灰色法衣、無表情。
「監査に同意を」
ユリウスが頷き、わざとらしく封印札を窯に近づける。
魔王が低く唸る。聖騎士の手が震える。
――裏切りだ、と誰もが思った。
次の瞬間、ユリウスは封印札を窯ではなく“巡察官の杖”に貼った。
「結界の発動履歴を記録する。中立地での濫用は違法だ。……証拠を残す」
巡察官の眉が、初めて動いた。
ちょうどそのとき、ラスクが焼けた。香りは薄い。だが、噛めば分かる。
バリッ。音が店内に落ちる。粉が舞わない程度の、鋭い快感。
魔王が一口で黙った。
聖騎士も無言で頷いた。
竜王は目を細める。
「味がなくても、満ちる」
「食レポ禁止。冷める」
ルーカスが言うと、全員が黙って噛む。
巡察官も渋々かじり、僅かに息を飲んだ。
「……扇動ではない」
「そうだ」ユリウスが言う。
「これは“生活”だ。禁味庁が奪う理由はない」
巡察官は紙を握り潰しかけ、しかし結界を強めることはできなかった。杖に貼られた札が、全部記録しているからだ。
「……長官に報告する」
そう言って去る背中は、昨日より少しだけ速かった。
店内に残った空気が解ける。
魔王がユリウスを睨み、ようやく言った。
「裏切りではなかったか」
「誤解だ」
ユリウスは淡々とラスクをもう一枚取る。
「だが次は来る。もっと上が」
「誰だ」
「禁味庁長官」
ルーカスは胃のあたりを押さえ、次の天板を差し込んだ。
「……来るなら列に並べ。武装解除。私服。守れ」
そして小さく付け足す。
「パンが冷めるぞ」




