第15話 焼き印は通行証じゃない――揚げたてカレーパンの罪
ルーカスは油鍋を見下ろし、眉間にしわを寄せた。
「……一七〇・三度。上げすぎるな、下げるな。衣が泣く」
【禁忌の業火】を千分の一。炎は壊すためじゃない。揚げ油の温度を〇・一度単位で固定するためにある。
生地に包んだカレーは、昨日仕込んだ“辛すぎない戦争抑止”配合。揚げた瞬間だけ【時間停止】を挟み、衣が最も膨らむ一秒を保存する。
ミーナが札を掲げた。
《本日の新作:揚げたてカレーパン(焼き印つき)》
「焼き印、便利だからって何でも付けるな」
「偽造対策です!」
「俺の胃痛対策もしろ」
鈴。魔王グラディオ。鈴。聖騎士セラフィナ。鈴。竜王。鈴。禁魔庁局長ユリウス。
全員、貼り紙を見て、同時に喉を鳴らす。怖い。
「焼き印……それがあれば、国境で——」
竜王が言いかけた瞬間、ルーカスが遮った。
「通行証にするな。パンだ」
ところが行列の端で、旅装の男が小声で囁いているのが見えた。
「焼き印の皮だけでいい。高く買う」
次の瞬間、別の客がこそこそと袋を差し出す。中身は――パンの“皮”だけ。
ユリウスの目が冷たくなる。
「闇取引だ。焼き印を切り取って売っている」
セラフィナが震える声で言う。
「それでは“公平”が壊れます」
魔王は低く唸った。
「俺の至福が市場価格にされるのは気に入らん」
売人の男が肩をすくめ、開き直る。
「欲しい奴がいる。難民が国境を越えるのに“平和通りの印”が効くって噂だ。善いことだろ?」
その言葉に、一瞬だけ店が静かになった。
行列の中、疲れた顔の母親が小さく頭を下げる。
「……すみません。子どもを安全な場所へ。印があれば、兵が通してくれると……」
ルーカスは油鍋の泡を見つめ、短く息を吐いた。
「噂は止めろ。責任が取れない」
売人が舌打ちし、袖から刃を出す。
「なら、ここで——」
「粉が舞う」
ルーカスの声が落ちた瞬間、魔王と聖騎士が同時に立ち上がった。竜王が椅子を引く音すら威圧になる。ユリウスは淡々と手錠を構える。
それでも売人が踏み込んだ、その一歩。
「外でやれ」
ルーカスはデコピン一発で男を店外へ飛ばし、ついでに男の袋から“切り取られた皮”を奪い取った。
「焼き印は切り取れないようにする。次からは“中まで印”だ」
「えっ、どうやって?」とミーナ。
「生地に刻む。温度と湿度を狂わせないと出ない模様でな」
ちょうどその時、カレーパンが揚がった。こんがりとした衣、香り立つスパイス、じゅわっと滲む肉汁。
ルーカスは疲れた母親に一つ差し出す。
「金はいらん。列の分は守る。……ただし、ここで頼るな。食え」
母親が泣きそうに笑い、子どもがかぶりつく。
サクッ。
その音で店内の肩が、少しだけ下がった。
魔王がぼそりと言う。
「……やっぱりここのカレーパンが一番だな」
「食レポ禁止。冷める」
ルーカスは油鍋に次の生地を落とした。
世界を救うより、揚げたてを守る方が難しい――今日もまた。




