第14話 偽スタンプ騒動と、ミルクフランスの“刻印”
朝、ルーカスは鍋の前で腕を組んでいた。牛乳に砂糖、塩ひとつまみ。そこへ“聖水(魔水)”を一滴――温度を少しでも誤れば、ただ甘いだけの乳になる。
「……八十六・四度。沸かすな、焦がすな、香りだけ出せ」
【禁忌の業火】は千分の一、温度は〇・一度刻み。出来上がった練乳は、白く艶めき、鼻に抜ける甘さが“軽い”。これをバゲットに挟めば、ミルクフランスは凶器になる。美味しさの。
そこへミーナが回覧板を抱えて飛び込んできた。
「ルーカスさん! スタンプラリー、コンプリート特典が決まりました!」
「聞きたくない」
「聞いてください! “コンプリートの人は限定ミルクフランス一個”です!」
「……勝手に決めるな」
「村長が!」
「村長を呼べ。畑に刺す」
言う間もなく、店の外がざわついた。観光客がスタンプ帳を掲げ、行列が二重三重に伸びている。武装解除、私服、整列――だけは守られている。偉い。腹が立つ。
鈴。
魔王グラディオが入ってきて、貼り紙を見た。
「限定……だと?」
鈴。
聖騎士セラフィナも貼り紙を見て、真顔で頷く。
「公平に配布されるべきです」
鈴。
竜王は「余の谷にも」と言いかけて、ルーカスの目を見て黙った。
鈴。
禁魔庁局長ユリウスはスタンプ台を見て眉をひそめる。
「また印章絡みか。嫌な予感がする」
予感は当たる。
行列の中から、やけに自信満々の男が進み出た。スタンプ帳は、なぜか“全部押されている”。昨日始まったばかりなのに。
「はい、コンプリート。限定ください」
「……早すぎる」
ミーナが首をかしげる。
「え、これ昨日からですよ? 全部は無理――」
ユリウスが男の帳面を覗き込み、即座に結論を出した。
「偽造だ。インクの魔力波形が均一すぎる」
「は?」
男は笑う。
「偽造? 失礼な。これは“効率化”です。押すのも面倒でしょう?」
その瞬間、男の袖から小さなスタンプが滑り落ちた。印面には、ベーカリー・エデンのロゴが完璧に彫られている。
「……スタンプをコピーしたのか」
聖騎士が低く言った。
「限定を独占すれば、配布権の交渉材料になる。そういう算段ですね」
魔王が鼻で笑う。
「貴様、欲が浅い。独占するなら“耳”にしろ」
「粉が舞う」
ルーカスの一言で、全員が黙った。いまじゃ魔王すら止まる。おかしい。
偽造男は肩をすくめ、次の手を出す。
「では、スタンプ台ごと頂きます。これがあれば“世界に支店”も作れる」
店内の空気が冷えた。支店。最悪の単語だ。
ルーカスはため息をつき、ミルクフランス用の練乳を絞り袋に詰めながら言った。
「外でやれ」
「拒否します。ここで――」
言い終わる前に、ルーカスは【時間停止】を“二秒だけ”かけた。
偽造男の指がスタンプ台に触れる寸前、世界が止まり、インクの一滴すら宙に浮いた。
停止解除。
ルーカスの指が男の額に当たる。
「営業妨害だ」
デコピン一発。偽造男は半径百メートルの外、空き地へ綺麗に転がった。畑は避けた。今日は優しい。
だが問題は残る。偽造スタンプが出回れば、限定目当ての争いが増える。世界より面倒が増える。
「……対策だ」
ユリウスが言う。
「スタンプは偽造される。制度を変えろ」
ミーナが青ざめる。
「えっ、スタンプラリー終わり!?」
「終わらない」
ルーカスが言い切った。
彼は焼き上がったミルクフランスを一つ持ち上げ、底を見せる。
そこには、うっすらと“焼き印”が入っていた。焦げではない。パンの皮が光る、ちょうどいい艶の刻印。
「この焼き印は、窯の温度を〇・一度刻みで揺らして、皮の伸びを制御しないと出ない」
ミーナが目を丸くする。
「え、パンが……身分証に!?」
「身分証にするな。……ただの偽造対策だ」
魔王が感心したように頷いた。
「なるほど。偽造できぬ“印”か」
聖騎士も真顔で言う。
「公平です。焼き印がある者だけが限定を受け取れる」
竜王は嬉しそうに笑った。
「余の鱗より上品だ」
「食レポ禁止。冷める」
ミーナが鐘を鳴らす。
「本日の限定ミルクフランス! 焼き印つきの人だけでーす! えへへ、偽造は無理ですよー!」
行列は驚くほど静かに動き、噛む音だけが店に落ちた。
甘いのに重くない。噛むほどミルクが広がり、戦争の話が喉で詰まる味だ。
ルーカスは胃を押さえながら、次のバゲットを切った。
世界を救うより、スタンプ制度を守る方が疲れる。
それでも、焼きたてが静かに消えていくなら――今日もまあ、平和でいい。




