第33話:それは、火ではなく“水”。静かに染み込む、知の革命
帝国南部・バラン領。
新たに設立された“リオン式仮分校”には、朝から様々な声が飛び交っていた。
「踊って九九!?ふざけるな!」
「読み書きは“論語”から始めるのが帝国の常識だ!」
「“算数の冒険絵本”?そんなものは教育ではない!」
分校の前に集まったのは、伝統主義の貴族や学者たち。
しかし――中から聞こえてきたのは、明るい笑い声だった。
「わたし、買い物で計算できたよー!」
「“い-ろ-は-に-ほ-へ-と”、歌で漢字も覚えた!」
リオン式教材は、子どもたちにとって“遊びながら学ぶ”入り口だった。
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数日後、帝国地方紙にひとつの投書が掲載された。
投稿者は、ある学者の孫娘だった。
『祖父は、リオン式を笑っていた。でも、わたしは学んだ。
そして、祖父が“間違えていた歴史年代”を、指摘してしまった。
祖父は怒らなかった。ただ、黙って、私の本を読み始めた。
“知る”って、恥じゃない。“知らぬままを良しとする”のが、恥だと知ったから』
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リオンは、その報告を育成庁で聞いて、ただ一言つぶやいた。
「……水だな。」
ロルフさんが尋ねた。
「水、ですか?」
「うん。“火”は一気に燃えるけど、“水”はゆっくり、でも確実に染みる。
抵抗はある。でも、“必要だ”と体が知ってれば、やがて受け入れる。」
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事実、帝国の一部都市では大人向けの“夜間教室”が自然発生的に始まっていた。
・計算ミスで損をしていた商人
・読み書きできず契約で搾取されていた農民
・時代の変化についていけなかった兵士
彼らは皆、子供たちに教わるようになっていた。
「この“教材”……息子がくれたんです。“パパも使ってみて”って。」
「教えてくれるのは孫娘で……先生がちっちゃくてねぇ……ありがたくて泣けるよ。」
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そして、静かに一つの言葉が帝国に根づいていく。
「リオン式は、子ども用ではない。“生き直す”ための道具なんだ。」
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リオン・フォン・エルトレード、5歳。
火を使わず、刃も振るわず、ただ“知”という名の水をまき続けている。
それは、誰の心にも届くもの――“未来”の土壌を潤すものなのだから。
つづく。




