竜に寄り添う花
──王都は、灰の底に沈んでいた。
焼け落ちた石畳の隙間からは、熱を持った煙がなおも立ち昇っていた。聖堂の鐘楼はねじ曲がり、かつて王権の象徴であった玉座の塔は、真っ二つに崩れ落ちていた。空にはもはや太陽も月もなく、ただ、灰色の雲が這うように垂れ込めていた。
その焦土の中心で、ひとりの少女が跪いていた。
――フォリア。
腕の中には、今なお雷を帯びた大きな影が横たわっている。竜――かつての名をグラヴェル。彼女を守り抜いた者。その代償として、全てを滅ぼした者。
彼女の頬を涙が滑り落ちる。
「……ごめん、なさい……」
世界に背を向けてでも生きてほしいと願った彼の最期の選択を、彼女は止めることができなかった。雷竜の咆哮によって王太子エルヴェルトとその婚約者カレン=ミスティアは“存在ごと”消し飛び、魔導防衛の砲撃の果てに彼自身も命を落とした。
彼が守ろうとした世界は、守られるに値したのか。
そして彼女は今、生き残る意味を問われている。
「……そこにいるのは、聖女殿か」
――重く、しかし澄んだ声が響く。
現れたのは、黒の軍装に身を包んだ若き王族だった。
フォリアがゆっくり顔を上げると、その男は瓦礫を踏み越えて近づいてきた。
「第二王太子、ルカ=セイヴィン……」
彼女が呟いた名に、男は小さく頷いた。
「……兄も、父も……焼き尽くされたよ。あれが、竜の怒りだと……誰が止められたろうな」
フォリアとも旧知の仲であった彼は王族でありながら、恐怖よりも哀悼を纏っていた。いや、かつて兄や父と距離を置き、何度も国政改革を訴えていた彼だからこそ、グラヴェルの怒りの正体を理解できたのかもしれない。
「王都は崩壊した。王家も、信仰も、民衆の信頼も……全てが終わった。残ったのは、災厄の記憶だけだ」
ルカの目が、地に伏したグラヴェルの亡骸に注がれる。
その眼差しには、怒りではなく、畏怖があった。
「……この国に残れば、あなたもまた“災厄”と呼ばれる。いや、もうすでにそうだ。誰ひとり、あなたを“聖女”と呼ばぬだろう」
フォリアは答えなかった。ただ、泣いていた。
竜のために祈り、竜のために生き、竜の怒りと共にすべてを焼いた――それが彼女の歩んだ真実。どれほど願っても、彼女の祈りは、この世界には届かなかった。
「……だから、せめて、“竜の傍で”眠ってくれ」
ルカは、静かに膝を折り、彼女の前に跪いた。
それは、王家の人間としての最後の願い。
これ以上の悲劇を起こさせまいとする、ひとりの人間の祈り。
フォリアは、顔を上げた。
涙に濡れたその瞳は、どこまでも澄んでいた。
そして、ほんのわずかに微笑み、頷いた。
「……ありがとう、ルカ様」
彼女は立ち上がり、グラヴェルの亡骸へとそっと手を伸ばす。
その白い指先が、灰に染まった竜の首筋に触れたとき――
空が、わずかに震えた。
雷はもう、そこにはない。ただ、眠るような静けさが彼らを包んでいた。
少女は竜の傍らに歩み寄り、そっと背を預けた。
まだ温もりの残る竜の体に寄り添いながら、彼女は静かに目を閉じた。
灰の降る王都を背にして、少女と竜は、歩き出す。
王家の残照も、信仰の遺骸も、彼女には関係がなかった。
ただひとつ――
「竜の傍で、生きること」
それだけが、彼女に残された最後の祈りだった。
──そして、彼らの姿は、王都から消えた。




