灰の王都
雷鳴が空を裂いた。
だが、それはただの自然の音ではなかった。
天に満ちた怒りと悲嘆――世界そのものを呪うような、竜の咆哮だった。
王都中心部。
四方を白い石壁で囲まれ、王家の居城グランフェイル宮を中心に広がるこの街は、今なお多くの民が暮らす、繁栄の象徴だった。
しかし、それも今は過去の話となろうとしていた。
天の彼方から現れたのは、雷を纏う黒き竜。
かつては人の姿をとっていた青年――グラヴェル。
だが、もはやその面影はない。
瞳は燃え、翼は轟き、身体中に刻まれた魔紋は紅蓮と雷光を交互に明滅させていた。
「……この世界が……彼女を奪った」
低く、しかし世界の底から響くような声。
それは誰かに語りかけているのではなく、世界そのものへの断罪だった。
そして、雷が降り注いだ。
最初に崩れたのは王城だった。
かつて王太子エルヴェルトが玉座を狙い続けた石造りの城が、瞬く間に雷に飲まれ、溶け落ち、灰と化した。
その時、すでに王太子はグラヴェルの怒りによって“存在ごと”消し飛んでいた。
だが、その業火は遺された者をも等しく呑み込んだ。
聖騎士たちは剣を抜き、魔導兵は結界を展開した。
魔導塔からは連携による防壁が張られ、都市全体に魔力の網が広がった。
「防衛術式、展開!魔導砲、全基発射許可!」
総指揮官の号令が飛ぶ。
雷竜に一矢報いるべく、巨大な魔導砲塔が火を吹いた。
七つの光柱が空を貫き、竜へと到達する――かに思えた。
だが、それは届かない。
雷を纏う竜は、一撃ごとに姿を霧散させ、雷光へと変じていた。
直撃と思われた一撃は、雷の蜃気楼にすぎなかった。
「これが……神か……!」
誰かが呟いた。
否、それは神ではない。怒りと悲しみを背負った、竜という存在そのものだ。
王都全体に雷が走った。
屋根は吹き飛び、石畳は裂け、民家は火に包まれた。
逃げ惑う民衆の叫びも、やがて風の音に掻き消される。
グラヴェルは降りなかった。
空から見下ろしながら、まるで“この世界に裁きを下す者”として、淡々と雷を落としていく。
かつて心優しき青年だった面影は、そこにはない。
その時、魔導防衛塔〈ヴァステリアの槍〉が最後の魔導砲を展開した。
すべての魔力を一点に収束させた、一撃。
「放てええええええッ!!」
それは人々の意志か、それとも咎への鉄鎚か、塔が閃光を放つと同時、天に咲いたのは、紅い雷と紫の奔流。
爆発が空を覆い、光と音がすべてを包んだ。
「むおおぉぉぉぉぉぉ!!」
竜の咆哮と共に一瞬、すべてが静まり返った。
そして、空から何かが落ちてくる。
それは、かつてのグラヴェル――
今はもう、ただの肉体となった彼の姿だった。
瓦礫の中へと沈むように、グラヴェルの身体は崩れ落ちた。
その場には誰もいなかった。
もう、誰も声をあげる者はいなかった。
人々は恐怖からの解放により歓喜に打ち震え、ある者は泣き、ある者はその場に崩れ落ちた。
……ただ一人を除いて。
焼け焦げた街路の先、崩れかけた噴水の傍ら。
その灰の中で、かすかに震える指先があった。
「……グラ……ヴェル……?」
それは竜を愛した少女、フォリアだった。
あり得ないはずの命の灯火が、ゆっくりと、再び燃え始めていた。




